林羅山

林羅山と徳川幕府|高校倫理第3章3節近世日本の思想①

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第3章
「日本人としての自覚」
第3節「近世日本の思想」
林羅山と徳川幕府
を扱っていきます。
今回から、近世日本の思想に移ります。
日本の歴史の中で、徳川家康によって開かれた江戸幕府は、平和的な社会の継続ができていたと言われる時代です。
徳川家康が注目したのが儒学。
戦国時代の混乱から、秩序を基礎づける原理を儒学に求めたのです。
儒学といえば仁政
>>孔子の教え
当時、流行っていたのは仏教。
仏教の周辺教育として残っていた儒学を、家康は重視することにしました。
今まで仏教が政治と結びついてたのに、それを儒学に変えた!
儒学は近世日本の思想にどのような影響を与えたのか、追ってみていきましょう。
  • なぜ林羅山が注目されたのか
  • 林羅山の思想
  • 林羅山に批判した山崎闇斎
朱子学者林羅山を中心に、当時の思想をみていくよ

林羅山が重視された理由

徳川家康(1542-1616)は儒学を政道にもちいようと、藤原惺窩(1561-1619、ふじわらせいか)を仕官させようとしました。

藤原惺窩は近世日本儒学の祖。

禅と朱子学を特に学んでいましたが、陽明学も取り入れたり仏教に寛容であったりしたと言われています。

藤原惺窩は家康の要求を辞退し、代わりに林羅山(1583-1657)を推挙しました。

林羅山は家康と40歳くらい年の差がある!
林羅山は記憶力抜群!
家康は辞書(ものよみ坊主)として林羅山を活用してたと言われている
林羅山が歴史で登場するのは、1614年大坂の陣(家康が豊臣家を破った)。
家康が豊臣家を亡ぼす根拠を作成するのを手伝ったといわれています。
そして、林羅山は仏教僧ではなかったのですが、体面を保つために頭を剃髪したり、僧侶として家康に仕えていました。
林羅山は出家を拒否したよ。
出家は父母と親子の縁を絶つことだったから、孝(両親や祖先への敬愛)を説く儒家にとって許せないことだった
林羅山は外交文書の作成や「武家諸法度」の作成など、その能力を発揮して幕府を支えました。

林羅山の本心

そのような扱い(ものよみ坊主)を受けていた林羅山にとって、朱子学を広めることが自分の役目だということも感じていました。
なので、家康にたびたび学校を建てることを進めていたのです。
今まで学問といえば、仏教と結びついていました。
儒教も仏教を学ぶための周辺教育。
仏教ではない学校制度の確立を林羅山は願っていたのです。
林羅山はかなりの読書家だったし、本もたくさん書いた。
仏教を批判しつつも、仏教やそれに関連した老荘思想などもよく読んだと言われているよ
自分の思想が儒学によっているのに、仏教メインで学ぶところしかないのは嫌だよね
その念願がかなうのは林羅山が48歳のとき。
三代将軍家光から別邸と賞与をもらうのですが、その領地内に林羅山は私的に学寮を建てました。
幕府は公的な学校は用意してくれなかったけど、幕府からのお金で私塾を開くことができた
朱子学の私塾は、他の藩主の協力もあり、建物の数が増えていきました。
今に至るまで人倫が滅びることがないのは、ひとえに孔子によるが、その孔子をお祭りする先聖殿をこうして創建することができたのは、天下泰平の世のお蔭であると記して、羅山はその喜びを書き留めている。
「江戸幕府と儒学者」p82
天下泰平になったし、朱子学の学校も増えていったし、林羅山は意にそわないことをしても目的はかなえられた
私塾から朱子学の学校が幕府の公的なものになるのは、林家3代目林鳳岡(ほうこう)のとき。
5代将軍綱吉は林家の家塾(昌平坂学問所)を湯島に移し,次第に官学化しました。
湯島聖堂
「湯島聖堂の孔子像」
このときになって初めて剃髪しなくてもよくなったよ!
それまでは僧侶の姿でいなくちゃいけなかった
林羅山は現実主義者であったと言われています。
現実の幕藩体制に朱子学を適応させて、朱子学を広めていきました。

林羅山の思想

幕府がなぜ朱子学に目をつけたのかというと、上下定分の理(じょうげていぶんのりが説かれていたからだと言われています。

「天は尊く地は卑し(いやし)、天は高く地は低し、上下差別あるごとく、人には又君は尊く、臣は卑しきぞ」
『春鑑抄』(林羅山 著作)

つまり、天地自然の秩序になぞらえて当時の身分秩序をとらえました。

江戸時代の人々の身分は武士、町人、百姓、えた・ひにん、公家・僧・天皇、というように、身分ごとに基本は移動できないように定めたのです。

徳川幕府は下剋上を嫌ったよ。
戦国時代は農民も武器をとって戦ったんだけど、百姓から武士になれないようにした
仏教はカースト制度を否定して広まっていったけど、仏教を抑えて朱子学(カースト制度のような身分制度)を伸ばした感じ
>>仏教とカースト制度
林羅山は上下尊卑の身分秩序は礼(礼儀法度)を厳格に守ることによって実現されるとしました。
朱子学のなかでも特にを重視します。
敬⇒「つつしむ」こと
「うやまう」のではなく、「つつしむ」という態度です。
私利私欲をきびしく戒めて、つねに心を理と一体とする(存心持敬)とともに、礼儀法度にのっとって行動することを求めました。
林羅山はそのまま朱子学を伝えたと言われているけど、敬に対しては私欲をつつしむ心のあり方がより強調されていたよ
>>朱子学とは

林羅山とレッテル

明治以後の近代日本学問研究はあるレッテルを林羅山に張り付けたと言われています。

  • 人間性を否定する封建数学の守護神
  • 強権的な幕府政治に迎合する権力の走狗
  • 思想的な独創性を持たない凡庸な儒者

確かに朱子学の発達により、身分制度や家父長的な家制度が強くなった面もあります。

しかし、朱子学が広められたのは、親子兄弟が争い合った戦国時代。

人倫道徳を顧みない不安定な弱肉強食の時代。

争いにシフトしすぎている時代だったので、それを緩和させる朱子学が注目されたのです。

反対の思想は良い点もあれば、その良い点のせいで悪くなってしまう面もある
例えば、会社にはマニュアルがある。
その通りに行動すると会社は利益がえられるし、従業員もその通りに動けばいいから安心感が得られる。
でも、そのせいでトラブルもある、という感じかな

林羅山を批判した山崎闇斎

山崎闇斎(やまざきあんさい 1618-1682)は林羅山を批判しました。

山崎闇斎「林羅山は朱子学を幕府のいいように解釈して歪曲しているから、元の朱熹(朱子学の構築者)を学ぶべきだ」。

山崎闇斎は君臣関係を基本とした社会秩序の儀を重視し、君臣関係の絶対性を説きました。

敬(つつしみ)を心のなかにもって義(正しさ)を自分にも他人にも求めるように述べたのです。

山崎闇斎も朱子学者。
林羅山を批判したけど、仏教も批判したし、剃髪することも批判した

また、山崎闇斎は垂加神道(すいかしんとう)を唱えました。

単純に表すと、儒学と神道を足したものが垂加神道です。

垂加神道=儒学+神道

日本に仏教が入ってきたときの神仏融合を批判して、代わりに儒学と神道をつなぎあわせたのです。

林羅山も神道を朱子学によって再構成しようとしてたみたい

裁判事件

林家は、幕府とくっついたり離れたりといった遍歴があります。

5代将軍綱吉のときには、林家の塾が公的なものになるなど、強い権力を持ちました。

しかし、6代将軍家宣(いえのぶ)になると、林家は遠ざけられたそうです。

代わりに家宣は朱子学者新井白石を仕えさせたよ

1711年、6代将軍徳川家宣(いえのぶ)のときに起こった事件。

ある農家の夫が妻の実家に出かけたまま帰ってこなかった。

妻は近くの川に上がった水死体が夫ではないかと疑うけれど、実家の父や兄は「そんなことはない」といって取り合わない。

そこで、妻が所の名主に訴え出たところ、その水死体は夫と判明。

妻の実の父と兄が夫を殺していたことがわかった。

殺人を犯した父と兄の罪は問われたが、問題はここから!

『論語』
「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す」

つまり、儒教道徳的には子どもは父親のためにはその悪事さえも隠すべきであるとされる。

この論語からいえば、妻は不孝の罪に問われた。
(孝⇒両親や祖先への敬愛

林家三代目林鳳岡は、「父の罪が明らかになったのは女の訴えによるものであり、これは不孝の罪にあたる」と判断。

よって、父の悪事を訴えた女は死罪にあたると主張した。

しかし、6代将軍家宣は納得ができなかったので、新井白石の考えを聞いた。

白石は、女は水死体が夫ではないかと訴えただけであり、父や兄を殺人犯として訴えたわけではないので、女を無罪だとした。
「江戸幕府と儒学者」p330

さっきのマニュアル問題にもつながるね!
『論語』はそう言っていても、この女性を死罪にすれば犯罪は増えそう
家宣の前、5代将軍徳川綱吉は「生類憐みの令」で有名。
天下の悪法とも言われました。
綱吉は跡取りがいなくて、綱吉の母「跡継ぎが欲しければ動物を大事にしなさい」という言葉から「生類憐みの令」を発行。
母の言葉はある僧侶から影響を受けたそうですが、親の言葉を大切にするという思想は儒教から来ています。
徳川綱吉は儒教の仁を大事にしたよ。
悪法とは言われたけど、子捨てや見殺しなども罪にしたことで、後の人々の倫理観に影響を与えた
6代将軍徳川家宣は綱吉によって混乱していた世の中を、家庭教師だった新井白石の意見を聞きつつ立て直したと言われています。
林羅山を中心に見てきました。
次は日本陽明学を取り扱います。
林羅山
最新情報をチェックしよう!
>けうブログ

けうブログ

哲学を身近に