荻生徂徠

荻生徂徠(おぎゅうそらい)と経世済民|高校倫理3章3節近世日本の思想④

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第3章
「日本人としての自覚」
第3節「近世日本の思想」
荻生徂徠(おぎゅうそらい)経世済民
を扱っていきます。
前回は古学から山鹿素行伊藤仁斎の思想をやりました。
>>①林羅山と江戸幕府
>>②中江藤樹と日本陽明学
>>③古学が流行した理由
江戸幕府を開いた徳川家康が世の中を安定させるために儒学を取り入れます。
身分秩序統制を図り、幕府はまず朱子学(儒学の一つ)を広めていきました。
しかし、幕府の政治でいいように使われていた朱子学に対して、他の儒学者たちから批判が発生。
朱子学批判の一つが古学です。
山鹿素行は士道を提唱。
伊藤仁斎は、孔子と孟子の性善説からに着目。
次に、今回扱う荻生徂徠は主に経世済民を説きました。
朱子学が軽くみられることで身分秩序の統制がはかれないと思った政府は、1790年に「寛政異学の禁」で朱子学以外の学問を統制した
ブログ構成
  • 荻生徂徠と古文辞学
  • 荻生徂徠の思想
  • 荻生徂徠とドン・キホーテ

参考文献  反「近代」の思想(舩橋清)荻生徂徠 江戸のドン・キホーテ(野口武彦)

荻生徂徠と古文辞学

荻生徂徠(1666-1728)は古文辞学を唱えました。

初めは朱子学を勉強し、次に伊藤仁斎の思想(古義学)にも感銘を受けたといっていたのですが、後年には独自の古文辞学をうちたてたのです。

古義学と古文辞学ってどう違うの?
古義学と古文辞学はともに古学の一つです。
朱子学が成立した以前の孔子の思想にたちかえります。
伊藤仁斎(古義学)は孔子にたちかえり、孔子の思想の注釈だとした孟子の思想を重要視しました。
孟子は性善説で有名で、人にはそれぞれに仁の芽ばえがあると述べています。
伊藤仁斎は仁を大事にしたから、仁って文字を自分につけたんだよ
荻生徂徠(古文辞学)は孔子にたちかえり、孔子がどのような経緯でその思想を説いたのか、さらに以前の先王にたちかえります。
孔子がいた時に世の中は荒れてたんだけど、以前は平和な時代があって、孔子は先王を参考にして思想を打ち立てた
>>孔子の教え
まとめます。
  • 古義学⇒朱子学より前の孔子・孟子の思想にかえる
  • 古文辞学⇒朱子学より前の孔子にかえり、さらには孔子が参考にした先王の思想(先王の道)にかえる

つまり、古文辞学の方がさらに前にかえっているということです。

朱子学を基準にしてそれより前が古学としてまとめられているんだね
ちなみに、荻生徂徠は一庫分の蔵書を手に入れるために、家財を全部売り払ったそうです。
そこで手に入れた孔子以前の書物である李于鱗と王世貞の詩文集を入手したとき、古語が読めなかったと言われています。
なんでこのセリフがでてきたのかわからないな
わからないことがわからない…
(古語を)訓読したのでは、ただ多少むずかしい漢字を使った漢文一般としか感じないのである。
だから、徂徠に李王の古文辞がよめなかったことはたいへんな学力であった。
「荻生徂徠 江戸のドン・キホーテ」p76
荻生徂徠は勤勉家で、わかるまで勉強に取り組み、わかるようになった後年に古文辞学を提唱しました。
徂徠は多くの儒家を批判していますが、他の儒家が古語を読めていないことも批判しています。
原文にあたっていないという批判は、現代にも通じるところがある…

荻生徂徠は伊藤仁斎を非難した

荻生徂徠が古文辞学をたちあげたのは晩年になってからです。

一時は伊藤仁斎の思想に感銘を受けて、手紙を書きました。

伊藤仁斎から返事が来なくて、そこから論敵としたのかも、という説もある
荻生徂徠は伊藤仁斎が亡くなってから、伊藤仁斎を批判した本を出版しました。
「伊藤仁斎は古文辞が読めていない。
それに、仁斎の朱子学批判はただ言葉によって批判しているだけだ」というような内容です。
確かに、伊藤仁斎は仁が大事だということを示してみんなに勉強の必要性は示しましたが、世の中が実際的に善くなる方法を説いてはいません。
性善説に立つということは、基本が善いとされるから規則や対策が立ちにくい
荻生徂徠は実学的と言われています。
つまり、実際に世の中がよくなる兵法や経世済民を説いているのです。
歴史的に性悪説(荀子)から法治主義(法で統治)が出てきてる
対比として、日本版性善説が伊藤仁斎なら、日本版性悪説が荻生徂徠、としても面白いよね。
>>性善説と性悪説
ただし、性悪説と性善説というのは言葉による区切りであって、実際に性悪説を説いた荀子も性善説の仁を批判できているわけではないよ。性悪説では礼(規則、しきたり)を重視しようという面が強め。
荻生徂徠は人の道(例:立派な人や善い人になること)は人の道として、国を善くする法は法として別々に考えました。
朱子学は君主が統治すれば国が善くなるとする思想でもあり、人の道と法が一緒になっていたといえます。
つまり、荻生徂徠の思想から読み取れば、「どんなに優れた君子が統治しても、世の中に役立つような政策を立てなければ意味がない」としたのです。
勉強が得意な人でも、教えるのは苦手、というのはあるよね

荻生徂徠が幕府に重んじられた理由

荻生徂徠は将軍徳川綱吉のブレインである柳沢吉保(やなぎさわよしやす)に一目おかれました。

こんなストーリーがあります。

一人の百姓が、貧困のあまり田んぼや家や妻を手放して、自ら頭をそって僧形となって道入と名乗った。

道入は母を連れて乞食をしながら生きていた。

あるとき、母が病気となった。

道入は母を道端に捨て置いて、自分は江戸に出てきてしまった。

置き去りにされた母から事情を聞いたものが、道入に親捨ての罪があるとした。

それでも、

儒者一般「母を養うことが出来ない状態だったので、刑を課すことはできない」

という判断をした。

儒者一般の中で、徂徠はその先を提示。

徂徠「刑を課すことはできない。

しかし、問題はそういう者が領地から生まれたということにある。

それは領主の責任であり、家老の責任であり、その上の責任にもなる。」

柳沢吉保は徂徠の言葉を聞いて、導入に玄米5合を与え、元の在所に住まわせてやることにした。

それ以来、吉保は徂徠を「用に立べき者也」と評価するようになった。
「反『近代』の思想」p63

荻生徂徠は実学的であり、功利主義とも言われています。

功利主義といえば、最大多数の最大幸福の追求
それを考えるときよくトロッコ問題が提示されるね

他にも本を参照すると、このような思想が徂徠に読み取れます。

  • 陰謀というのはもともと仁の道である。
    敵味方の人員の損傷を少なくして成果をあげるのが陰謀の本来のあり方だ
  • 人君たるものはたとえ道理に外れ、人に笑われるようなことでも、それが人々の安心安寧につながるなら、どんなことも行う
  • 荻生徂徠の学が中心とするものは功利である
  • 為政者は、天候不順(飢餓や災害など)の予兆をいかに感知するかが重要

国を安泰にする思想が読み取れます。

荻生徂徠の思想

そもそも徂徠の「先王の道」は、古代の聖王が「天下を安んずる」あるいは「民を安んずる」目的を持って制作したものであった。
「反『近代』の思想」p307

先王の道は制作したもの、というのがポイントです。

先王の道は、聖王が国を統治するためにつくった「天下を安んずる道(安天下の道)」。

聖人や君主がその当時に合っている礼楽(礼儀と、心をなごませる音楽など)を作り上げたから、孔子以前には平和な時代(先王の時代)があったとしたのです。

「先王の道」は「礼楽刑政」(れいがくけいせい)に代表されています。

礼学刑政(れいがくけいせい)
⇒古代中国で国の秩序を保つために必要とされた四つで、礼儀・音楽・刑罰・政令の事

徂徠は世界がこのような複雑な文化装置によってなりたっていることを認めます。

そこから、その時代に合った礼楽は、聖人にしか打ち立てることはできないとしました。

経世済民

荻生徂徠が考えた安天下の道は、世界全体を調和させて発展させていくものです。

なので、個人の修養ではありません。

平等というよりも、個人の素質や才能を重視したし、その活用によって世の中が善くなることを一番においた
よい礼楽(政策、聖王がつくったもの)によって、世をおさめ民を救うこと(経世済民)に儒学の目的を置いたのです。
経世済民
⇒世を経め(おさめ)民を救うこと。
民衆の安寧をはかること。
江戸時代はすでに貨幣がなければ成り立たない世の中でした。
貨幣経済の世の中ですが、荻生徂徠の経世済民は貨幣に重きをおくのではなくて、礼楽(聖王が示すもの)をトップに置くことが良いとしました。

荻生徂徠とドン・キホーテ(教科書外)

参考文献にした本では、荻生徂徠をドン・キホーテに例えています。

ドン・キホーテといえば、スペインに住む初老の男が、騎士道小説に感化されて冒険に乗り出すという話。

風車を巨人だと言い張って突撃していく場面もあるよ

ドン・キホーテは貨幣経済成立期の世の中で、時代遅れの「騎士道精神」を叫んだ滑稽本としても評価を受けた本です。

ドン・キホーテが「騎士道精神」を叫ぶ対比として、荻生徂徠が「封建井田」(ほうけんせいでん)を提唱したことと比較させています。
(封建井田⇒一里の田んぼを9分割して、8個を家族に与えて残りの一つを公田として共同で耕して租税とする制度)

徂徠は貨幣経済の波が押し寄せている時代に、先王の時代で良いとされてた井田制を取り入れようと説いたよ。
現実はしなかったみたいだけど、貨幣経済に対して批判をしていた
貨幣経済では、礼楽(価値基準)を主君が決めるのではなくて、自然とお金がトップと言う価値基準になってしまいがちです。
高いものって良いものだよね
現代批判につながる視点。
確かに、貨幣経済は価値観のトップがお金になりがち
荻生徂徠は反「近代」的思想的なのですが、それゆえに、今の私たちに参考になるのではないかと本にありました。
ドン・キホーテが正気になって世にもたらすであろう利益なんぞ、彼の狂気沙汰がわれわれに与える喜びに比べたら物の数ではないってことが、あなたにはお分かりにならないんですか?
「反『近代』の思想 p313 (ドン・キホーテ後編から抜粋した個所)」
その時代に合わなかった思想が今には合うかもしれない、合わなくても参考になるかもしれない、という視点があります。
江戸時代において、貨幣経済が出回ってきたときに、その弊害を説いたのは荻生徂徠でした。
お金が一番という価値基準の世の中では、善い世の中にならないと説いたのです。
倫理の教科書では、荻生徂徠の思想は、近代的な考えの芽ばえとも言われているよ。
社会秩序は天から与えられるのではなく、人が作り出すもの、という点は近代的!
ただ、現代が貨幣経済の価値の転換を図ろうとしたとき、徂徠の思想は脱近代的思想にもなる
荻生徂徠をやりました。
次回は国学について取り扱います。
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