孔子

孔子の教え|高校倫理2章5節中国思想①

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第2章
「人間としての自覚」
第5節「中国思想」
孔子の教え
を扱っていきます。
前回まで仏教(全③回)を扱いました。
①インド思想から仏教誕生
②ブッダの教えとは
③大乗仏教
今回から中国思想に入っていきます。
なんで中国哲学じゃなくて中国思想なんだろう?
中国は日本を経由して「哲学」という語訳を使うようになりました。
中国にも物事の原理を問う学問はありましたが、「哲学(論理)」と「宗教」を区別する枠組みがありませんでした。
つまり、「宗教」という概念がなかったのです。
中国思想とは言いますが、中国思想の源流は諸子百家という有能なコンサルタントやブレーンから成り立つので、「中国哲学」とも呼ばれます。
ブログ構成
  • 孔子がでてきた背景
  • 孔子の教え

参考文献 道徳を基礎づける(フランソワ・ジュリアン 中島隆博訳 志野好伸訳)続・哲学用語図鑑(田中正人、斎藤哲也)、「哲学と宗教 全史」(出口明治

孔子がでてきた背景

中国では紀元前11世紀ごろ、周(BC1046-BC771)が政権をにぎっていました。

周の初期統治はすばらしいとされましたが、春秋時代(BC771-BC453)になると秩序がくずれだしました。

春秋時代に周は残ってたんだけど、分裂している状態だったよ
そして、力が正義となる時代、戦国時代(BC453-BC221)に突入します。
この春秋時代と戦国時代をあわせて春秋戦国時代とも呼ばれます。
諸侯(天子から封土を受け、その封土内の人民を支配していた人)は富国強兵につとめ、競って有能な政治家や思想家を求めました。
そこで登場したのが諸子百家です。
国のための思想を登用!
孔子は諸子百家のトップバッターともいえる人物。
当時、孔子自身は国々に登用されることはありませんでした。
彼は儒家と呼ばれ、その思想を儒教と言います。
儒教はのちに登場する諸子百家、孟子荀子朱子(朱憙)王陽明などに受け継がれました。
今日の中国(共産党)で儒教教育をする動きもあるよ。
でも、儒教の孟子の教えはルソー(民主主義)に似てる部分もあって、もろ刃の刃みたい!

孔子の思想の要点

哲学と宗教 全史」(出口明治)から、孔子の思想の要点を抜粋します。

「周初、武王と成王、そして周公旦がいた時代は聖人政治が存在していた。

君主は君主らしく、閣僚は閣僚らしく、家臣は家臣らしく、そして農民は農民らしく、それぞれに互いを認めていた。

人と人の間では礼儀作法が守られ、社会の中には人々の行動やその評価についての拠るべき規範があって、平和が実現していた」

‐孔子はそのように考え、その時代の精神に戻れと主張しました。(p113)

あの頃はよかった
孔子は昔の何が理想形態をつくっていたのか考察した!

では、孔子は具体的にどのようなことを説いたのでしょうか。

孔子の思想

孔子は儀礼を重要視しました。

儀礼は実際のイベントなどにおこなう儀式のこと。

国が荒れてくると、儀式する余裕ってない
儀礼は形式だけでなく、現実の人に対する愛情や思いやりのあらわれだと孔子は考えたのです。
この儀礼のことが孔子の言うです。
お葬式があるから故人をしのんだり、成人式があるから気持ちを切り替えられたり、といった心境の変化もある礼
孔子は儀礼にともなっておこる、人を愛する心をと呼びました。
仁と礼は一体
  • 礼⇒礼儀作法や社会規範
  • 仁⇒人を愛する気持ち
仁が礼をうみ、礼が仁をうみます。
つくり笑いでも笑っていれば楽しくなってくるような
孔子によれば、仁はまず親子兄弟の間の愛情である悌(てい)という自然な愛情として示されると考えました。
  • 孝⇒両親や祖先への敬愛
  • 悌⇒兄や年長者への従順
親や年上を敬えというのは儒教特有!
日本文化は儒教が入ってる
例えば、もし父親が盗みを働いたとしても、その子は父のために隠すことのほうがまっすぐな生き方だと教えます。

他人に対しては克己・忠・恕・信という心のあり方を大事にします。

  • 克己⇒自分のわがままを抑えること
  • 忠⇒自分をいつわらない真心
  • 恕⇒他人への思いやりの心
  • 信⇒他人を欺かないこと

まずは孝と悌の2つが自然な感情だとして最も尊く、そしてその二つの気持ちを他の人間関係に広げていくことで、よりよい社会ができると説きました。

孔子の仁愛

孔子の説く仁愛は、キリスト教的愛(アガペー)のような無差別の人類愛とは異なります。

孝や悌といった自然な愛情を基本とするありかたで、呼ばれ方によっては差別愛です。

差別愛!?
具体例。(孟子が説く仁愛)
ある王様が、儀式用の牛と目が合いました。
その瞳に、処刑場に引き立てられる民を思いだします。
王様は牛の怯えた様子に忍びなくなって、牛を離すように命じました。
家臣「犠牲をやめるべきでしょうか」
王様「それはできない。この牛に代えて羊を用いよ。」
牛の代わりに羊を犠牲にしているので、平等ではありません。
このことによって、後に墨子(兼愛⇒平等愛)に避難されました。
しかし、この仁という考え方は近年、見直されています。
西洋哲学において道徳を基礎づけることができなくなったので、中国思想が見直されているのです。
この仁愛から道徳を基礎づけようとする議論があります。
孔子は多くの人と議論をしたわけではないから、孔子の思想の詳細は後の人々から読み取っていくよ。
孔子の後、諸子百家たちの論争によって中国思想は哲学と言える論理体系が出来上がっていったみたい
孔子といえば「論語」です。
論語⇒孔子とその弟子たちの言行録

「論語」

朝(あした)にを聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり

もし朝に道を悟れたら、夕方に死んでもいいという意味。

道の大切さを説きました。

を実践しながらの完成を目指すことを
孔子は道を人間関係の普遍的な原理(人倫の道)だと考えました。
儒教とは道の歩みを説く教えだと言えます。

克己復礼(こっきふくれい)

己に勝ちて、礼に返るを、仁となす

自分の欲望に勝ち、礼に立ち返ることが仁だ、という意味。

克己復礼(こっきふくれい)を読み下したものです。

克己復礼⇒私利私欲を抑えて礼を実践し、心に仁を守ること

人生は楽しいものだ

学びて時にこれを習う。また説(よろこ)ばしからずや。

朋(とも)あり、遠方より来る。また楽しからずや。

人知らずしていきどおらず、また君子ならずや。

「学んでおさらいすることは喜ばしい。
知識が身につくと、共に学ぼうと遠くから同士が訪ねてくることは楽しい。
他人が自分を理解してくれなくても不満を抱かない人は立派だ。」という意味。
孔子は学問や人生を楽しいものだと考えました。
人生が楽しいという基礎は、ブッダとは異なります。
>>ブッダの教え
また孔子は君子を仁の実現と自己の道徳的感性をめざす人間だと考えました。
  • 君子⇒仁の実現と自己の道徳的感性を目指す
  • 小人⇒君子と比較されるときによく用いられる、自分の目先の利益のみを考える自己中心のつまらない人間

恕(他人への思いやりの心)

己の欲せざるところは人に施すことなかれ

自分がして欲しくないことを、人にしてはいけないという意味。

恕(他人への思いやりの心)。

キリスト教的な「自分がしてほしいことを人にするべき」という考え方とは違います。
>>イエスの教え

現実に関心を向ける

怪力乱神を語らず

「まだ現実もわからないのに死後のことなどわからない。

怪しげな力や神については語らない。」という意味。

孔子は超自然的なことは語りません。

その頃、占いで国政を決めたりしていたんだけど、科学的な感じ

これが宗教を基礎におく西洋との大きな違い。

宗教を基礎におかなくても、道徳が考えられるという視点になります。

天とは知るもの

吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。

四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。

七十にして心の欲するところに従いて、矩(のり)をこえず。

「私が十五歳で学問を志した。三十歳で方向性が決まった。四十で惑うことがなくなった。

五十歳で自分の使命を知った。六十歳で何を聞いても受け入れられるようになった。

七十歳で心のおもむくままに行動しても、道徳から外れなくなった」という意味。

志学、而立、不惑、知命、耳順、従心の語源です。

孔子は七十歳で仁と礼が一体化した

ここで天がありますが、中国では天をすべての神の上にたつ超越的なもので、自然界・人間界を支配するものとして信仰していました。

例えば、政治がうまくいかないときは、天命によって悪い王から善い王に変わります。

「論語」はここまでにして、政治についてもふれます。

孔子の徳治主義

孔子は徳治主義を説きました。

すべての人間がまずみずからを修めて仁に向かい、人徳をそなえた人がその感化によって政治をおこなえば、社会の秩序は安定する。

つまり、法と刑罰による統治(法治主義)を退けました。

ご褒美も刑罰もいらないって考えた

人徳を修めた人がその徳の感化によって人々を治めるという修己治人の考え方です。

修己治人⇒儒教で学びえた高い道徳心が周りを感化させる
あの人をまねする!
孔子の教えをやりました。
次回は儒家思想の展開を取り扱います。
孔子
最新情報をチェックしよう!
>けうブログ

けうブログ

哲学を身近に