大乗仏教

大乗仏教とは|高校倫理2章4節仏教③

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第2章
「人間としての自覚」
第4節「仏教」
大乗仏教
を扱っていきます。
仏教は全③回
①インド思想から仏教誕生
②ブッダの教えとは
③大乗仏教(今回)
今回で仏教は最終回です。(のちに日本の思想としては登場します)
ブログ構成
  • 大乗仏教と上座部仏教の違い
  • 大乗仏教の中心的思想
  • 大乗仏教の経典「法華経」

参考文献「だから仏教は面白い!」(魚川裕司)、「日本仏教は謎だらけ」(三田誠広)、「一冊でわかる『仏教』って何?」(三田誠広)「龍樹」(中村元)

大乗仏教と上座部仏教

ブッダの死後、仏教教団は戒律を守ろうとする上座部と、戒律を柔軟にとらえる大衆部に分裂し、そこからさらに複数の部派(部派仏教)にわかれました。

この分裂はのちに大きな2つに分裂。

ここから出てきたのが大乗仏教で、大乗仏教徒は伝統的な部派仏教を小乗仏教と呼びました。

ただし、小乗仏教という呼び方には蔑称が含まれているとして、今は上座部仏教などと呼ばれています。

自分たちは大きな乗り物だけど、もう一方は小さい乗り物だ、という意味がこめられてたんだね

大きく二つに分裂

  • 大乗仏教
  • 小乗仏教(上座部仏教)
では、この違いを明確にしていきます。
ここでは違いをわかりやすくするために、小乗仏教と記述します。

小乗仏教の悟った状態は阿羅漢

小乗仏教は前回やったブッダの教えです。
>>ブッダの教え

ニートになれ!世界をおわらせろ
というような現代からみればヤバい思想であることを紹介したのですが、小乗仏教では悟りを得てブッダになったのはゴーダマ・ブッダ本人だけです。
ブッダの教えを体得して悟りに至ったものを阿羅漢と言います。
  • 仏陀(ブッダ)⇒(真理に)目覚めた人
  • 阿羅漢(あらかん)⇒ゴーダマ・ブッダの説いた教えから悟りを得た人

阿羅漢の悟りは、解脱をしている状態。

いわゆる、スポーツ選手が体験するようなゾーンに入った状態を24時間維持できる状態。

欲望がなくなった心の落ち着いた状態(涅槃・ねはん)です。

欲望がなくなった!!(阿羅漢)
君は救われたんだね!
でも、私にはそれがわからない…
つまり、小乗仏教の人が目指す状態は阿羅漢であり、自分一人がそのような状態になることを目指します。
小乗仏教と呼んだのは、本人だけが小さな乗り物にのっていて他の人が乗れないから
ゴーダマ・ブッタはとてつもなく長い前世からの修行の果てにブッダになりました。
とてつもなく長い修行で獲得した能力。
そこには「一切智」(対象世界一般に関して完璧に知っている)など、一般の人には到達しえないものがありました。
欲望はなくなったけど、君がどういう気持ちでいるのかわからない…
それも知ってるのがブッダ!
「一切智」をもっているからこそ、ブッダには自分以外の生きとし生けるものを救う能力があるのです。
小乗仏教徒は知っていました。
今世だけでは涅槃(心の平安)にいたるだけで精いっぱいだ、と。
どうあっても、そのような能力は今世だけで手に入れることはできない。
なので、まずは阿羅漢の状態を目指した、と解釈ができます。
ブッタは悟った時に、この法をみんなに解こうか迷った(梵天勧請)。
悟るだけで満足なのか、他の人も救うのか、という葛藤が本人にもあったと解釈できるんだね
小乗仏教では、今までブッダになれた人はゴーダマ・ブッダ本人だけです。
ブッダがそのような完璧な状態であるからこそ、そのようにはなれないと考えました。
そこで、少しでもその状態に近づくために、まずは阿羅漢を目指します。
まずは阿羅漢といっても、かなりの修行が必要だし、なれるかどうかもわからない…
小乗仏教の修行では戒律を厳格に守ろうとします。
戒律の基本は五戒
不殺生(殺さない)、不偸盗(盗まない)、不邪淫(みだらなことをしない)、不妄語(嘘をつかない)、不飲酒(酒を飲まない)です。
さらに出家者になると250、女性の出家者はその倍ちかくもの戒律を守ることになっています。
その修行の結果が阿羅漢です。

大乗仏教

ゴーダマ・ブッダは法(ダルマ、真理など)を説き続け、多くの人々を救いました。
大乗仏教の人々は、阿羅漢ではなく、ブッダ(他者の救済ができる)になることを目指したのです。
阿羅漢にならなくても、他者の救済でブッダになると考えたんだね
ブッダになりたい!という気持ちは同じだけど、方法が違う
  • 小乗仏教⇒まずは阿羅漢をめざす⇒いつかブッダに
  • 大乗仏教⇒直接ブッダを目指す
「仏になりたい。なれないけど仏になりたいという気持ちを、ずっと持ちつづけることが仏教です」(梅原猛の授業 仏教 引用
というのは共通!
大乗仏教では、自分の悟り(自利)よりも他者の救済(利他)を第一に考えます。
具体的には、「ジャータカ」(ゴータマ=シッダッタがブッダになる前《前世》の物語)を参考。
  • 尸毘王(しびおう)⇒鷹に追われた鳩を救うために、王(ブッダの前世)が鳩と同じ分量の自分の肉を切り取って鷹に与えた話
  • 薩埵王子(さったおうじ)⇒ブッダの前世である王子が、飢えた虎とその7匹の子のためにその身を投げて虎の命を救った話
  • 捨身月兎(しゃしんげっと)⇒飢えた仙人のためにわが身をさしだしたウサギ(ブッダの前世)の話
このように、自分を犠牲にしても他者の救済にはげむことが理想とされました。
ブッダは何度も自己犠牲をしながら輪廻転生してきたんだね
直接ブッダを目指すもののことを菩薩(ぼさつ)といいます。
菩薩⇒悟りを求めるもの、六波羅蜜(次の段落で説明)の実践者
では、大乗仏教徒はどのようにブッダになろうとしたのでしょうか。

大乗仏教の中心的思想

大乗仏教の悟りの手段の一つは六波羅蜜(ろくはらみつ)の実践です。

波羅蜜の意味は完成という意味。
6つを実践し、完成させることが目的!

六波羅蜜

  • 布施(教えを授けたり、財を与えること)
  • 持戒(戒律を守ること)
  • 忍辱(苦難にたえ忍ぶこと)
  • 精進(仏道修行に努力すること)
  • 禅定(瞑想し精神を統一すること)
  • 智慧(真理をきわめた悟りの認識)
あれ?最後の智慧だけ具体的じゃなくてあいまい…
最後の智慧波羅蜜は般若波羅蜜とも呼ばれます。
般若⇒言葉では表現できない智恵を得る
このわからない般若波羅蜜多の重要性を説き、般若とは結局のところ呪文なのだとしたのが「般若心経」です。
般若心経はもっとも短い心経で漢字262文字!
般若心経の最後にはこのような漢字が並びます。
羯帝羯帝波羅羯帝波羅僧羯諦菩提薩婆訶(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)
これは読み方に漢字を当てはめただけのもの。
単語の意味だけをとれば訳すことは可能なのですが、むしろこれは意味不明の呪文として、無心に唱えることに意味があると解釈ができるそうです。
呪文を無心に唱える。
その無心であることこそが、般若という言葉にならない智恵をあらわします。
ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか(精神集中)
音の響きに宇宙を動かす神秘的な力がそなわっているとして、一心に呪文(マントラ)を唱えることで、悟りの境地に達することができると考えます。
……
呪文を唱える環境にいるとき、その人にとっては唱えることが真理であり、呪文を唱えない無言の状態にいるとき、その人にとっては無言が真理になります。
言葉によらないものが真理という考え方を、竜樹が説いた「の理論」から解釈していきます。

大乗仏教の中心的人物「竜樹」(ナーガールジュナ)

大乗仏教は竜樹(ナーガールジュナ)から出発したといっても過言ではありません。

竜樹は天才なので、ブッダが持つ「一切智」も持っていました。

薬の匂いを嗅いだだけで70種類の配合が正確にわかってしまったみたい

しかし、竜樹は衆生に対する慈悲ゆえに涅槃に入らずに菩薩でいつづけました。

竜樹は小乗仏教に疑問をなげかけます。

  • 小乗仏教「縁起の道理に従って欲望は絶たなければいけない。欲があるから苦しみがあるんだから」
    大乗仏教「ブッダは欲望はいけないと説きましたよね?その決意は欲望ではないんですか?」
  • 小乗仏教「よし、涅槃に到るために修行にはげむぞ!」
    大乗仏教「涅槃はあるんでしょうか?涅槃があるとしたら、縁起の道理として対になっているものは何でしょうか?」
    (死んだら輪廻転生するので、地獄という発想はない)
  • 小乗仏教「縁起の道理は正しい」
    大乗仏教「因果関係の原因と結果はいつも同じだとは限りませんよね?それぞれが変わることがあります。
    99回は同じ結果になっても、100回目は違うかもしれない」

小乗仏教の縁起の道理は因果関係ですが、龍樹の説く縁起は相互依存だと説きました。

例えば、有があるから無がある。

有がないなら、有と相関関係のある無もないと考えます。

竜樹は縁起を相互に影響を与え合う関係性の世界(縁起の世界)だけが存在すると考えたのです。

涅槃に憧れる…
涅槃の境地に憧れるということが迷い

では、竜樹は涅槃がないとしているのかというと、そうではありません。

「束縛と解脱とがある」と思うときは束縛であり、「束縛もなく、解脱もない」と思うときに解脱がある。

例えていうならば、われわれが夜眠れないときに「眠ろう」「眠ろう」と努めると、なかなか眠れない。

眠れなくてもよいのだ、と覚悟を決めると、あっさり眠れるようなものである。

故に「ニルヴァーナ(涅槃)が無い」というのはたんなる形式理論をもって解釈することのできない境地である。

結局各人の体験を通して理解するよりほかに仕方がないのであろう。「龍樹」p299

幸せになりたいと意識するときは不幸だけど、幸せになっている状態だと「幸せになりたい」ということ自体を意識しないとかもそうだね。空気も酸欠じゃなきゃ普段意識しないし、当たり前のものを意識とすると言葉(思考)になって出てくる

竜樹は仏教の「の思想」を哲学的・論理的に基礎づけました。

空の思想とはいっても、本当にないわけではありません。

例えば、あなたは今ブログを見ていると思っているかもしれませんが、これはただのドットであり、パソコン(スマホ)の画面です。

あなたがブログを見ていると思うからこそ、ブログがあるのであり、そこには固有の本性はありません。(無自性

でも、これはブログだよね?
君がそう見ているからブログがない(無)なわけではないよね

ちなみに、世界のありのままを見ることを観法(かんぽう)と言います。

般若経

竜樹は大乗経典の一つである「般若経」をめぐって空の理論を説きました。

「色即是空、空即是色」(しきそくぜくう、くうそくぜしき)

「色」は「空」に異ならず、その逆に「空」は「色」と同じようなもの。

物質や肉体は影絵のようなものですよ、影絵を見ているうちに、本当に存在しているような気分になってしまうけれども、それは幻想ですよ、ということです。
‐形のあるものはすべて幻影である。そういうことです。
(「一冊でわかる仏教って何?」p180)

現代哲学でも「世界は存在しない」ってマルクス・ガブリエル(竜樹の影響を受けていると述べていた)は説いているね
>>世界は存在しないとは
哲学的に考えるに応用することもできる
>>哲学的に「世界情勢」に目を向けてみる
竜樹は完全にブッダを否定しているわけではありません。
世俗で覆われた立場での真理と、究極の立場から見た真理、このように場合わけをしてブッダは人々に教えを説いたと考えたのです。

大乗仏教の経典「法華経」

他の経典も紹介します。

「法華経」(ほけきょう)といえば、大乗仏教の基本的な教科書であり、百科事典のようなものだそうです。

「法華経」のオープニングでは、ゴーダマ・ブッダは死にかけています。

そこで最後に「法華経」という尊い教えを説くと言うのです。

ブッダ「自分はこれまで、衆生、高僧、菩薩のそれぞれに応じて、さまざまな教えを説いてきたが、それらはすべて方便にすぎない。

本当の真理は言葉では語ることができないので、もはや語るべきことは何もない」

!?方便って嘘のことだよね?
ブッダは教えをその説いた人専用にわかりやすく説いただけであって、残ってる言葉は方便(嘘)ってことだね。
方便⇒仏教で、人を真の教えに導くための仮の手段
「空の理論」でいえば、教えは存在するけれど、それはわたしたちが言語や概念でそう思い込んでいる通りには存在しない、ということです。
これを聞いた弟子たちは何人か帰ってしまいました。
そして、残った弟子に対してブッダは言います。
ブッダ「これから『法華経』を語るから、この経典を読み、唱え、書写し、経典そのものを供養しなさい」
「法華経」は「法華経」について述べられたお経!
法華経ではいくつも物語を紹介し、すべての人に仏性があるという話も出てきます。
「衣裏繋珠のたとえ」
ある貧しい男がいました。
その男の友人は資産家で、その貧しい男に気がつかれないように、宝玉を服の裏に縫いつけておきました。
数年がたち、また二人が再開。
貧しい男は貧しいままでした。
資産家は男に「なぜあの宝玉を使わなかったのか?」と問いかけます。
男は「宝玉って何のこと?」と、自分が服の裏に宝玉を持っていることに気がついていませんでした。
この話から「あらゆるものには本来的に仏たるべき本性がある」(一切衆生悉有仏性)と解釈されました。
誰もがブッダと等しい境地を得ること(成仏)ができるのです。
「私にはない」と思っていてもそれは気がついていないだけ、という解釈。
仏教は気づきを大切にしている!
「法華経」では、「法華経」という経典を世に広めることが悟りに至る道だということも説きます。
そしてクライマックスでは、ブッダが死ぬというのも方便の一つだと語るのです。
!?えっ、死ぬのも方便!
肉体の虚しさを弟子たちに伝えるための方便であり、ブッダは永遠に存在して、衆正を救済するためにさまざまな姿で再びこの世に現れる。
すなわち、ブッダというのは無限の存在だ、と説きました。
「法華経」は、経典としては破綻しているように見えます。
‐このやや破綻した経典の全体を信じ、理解し、伝道し、書写し、経典そのものを大切に供養する。
これが信仰です。
「法華経」を受持し伝道することが、すなわち悟りに到る修行なのです。
一冊でわかる『仏教』って何?」p155
ここでも言葉以外のものを大事にしています。
………
ここでの沈黙の意味って何!?
他の経典「維摩経」では菩薩同士が問答をしているのですが、最終的に維摩は沈黙によって問答を制しています。
沈黙など他の手段を駆使して表現不能の限界をこえています。
他にも有名な経典。
  • 「華厳経」⇒宇宙のあらゆる存在が相互に関係しあうこと(一即一切)を説いた
  • 「無量寿経」⇒阿弥陀仏とその極楽浄土を描いた

大乗仏教とその後

大乗仏教には唯識思想の体系もあります。

大乗仏教の二大学派

  • 竜樹のあとで空の思想を継承した中観派
  • 無著(アサンガ)と世親(バスバンドゥ)兄弟の瑜伽行(ゆがぎょう)派
    瑜伽行(ゆがぎょう)派⇒精神集中(ヨーガ、瑜伽行《ゆがぎょう》)を実践すれば、ただ心()のみが存在するという真理が得られる

無著(アサンガ)と世親(バスバンドゥ)兄弟は「この世界は心がつくりだした表象にすぎない」と主張しました。

表象はイメージって考えると理解しやすいかも!
今回は大乗仏教についてやりました。
次回は中国思想を取り扱います。
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