ブッダの教え

ブッダの教えとは|高校倫理2章4節仏教②

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
今回は
高校倫理第2章
「人間としての自覚」
第4節「仏教」
ブッダの教え
を扱っていきます。
前回はインド思想から仏教誕生の理由を扱いました。
>>インド思想から仏教誕生
今の日本に伝わっている多くは、大乗仏教といい当初のブッダの教え(主に上座部仏教)とは違った形で伝わっていると言われています。
私はかねてから疑問がありました。
ブッダが悟ったとき、この事実をみんなに教えたくない、と思ったそうです。(梵天勧請)
なんで教えたくないって思ったんだろう…
その理由の一つは、苦労して悟ったのだからみんなに教えたくない、というもの。
けれど、これだとブッダ(目覚めたもの)なのに欲があるように思えます。
ブッダ⇒(真理に)目覚めた者という意味
他の理由は、悟った内容を人にいうと、無駄なのではないか、酷い目に合うのではないかというもの。
こちらの方がブッダの心持としてはしっくりきます。
けれど、今の日本に伝わっているような道徳的な教えは、教えるのにとまどうような内容ではありません。
大乗仏教だから、当初とはかなりのズレがある!?
なぜブッダは人々に説くのを戸惑ったのか。
それは彼が自分の教えを「世の流れに逆らうもの(パティソータガーミン)」だと理解していたからです
つまり、「普通の人だったらこうするよね」ということとは、逆のことを教えるのが自分の教えだと。
だから仏教は面白い!」(魚川裕司)p14
その視点から主に「だから仏教は面白い!」(魚川裕司)を参考に、倫理の教科書の主要語句を説明していきます。
太字は倫理の教科書の主要語句です。

ブッダの教えがやばい理由

だから仏教は面白い!」(魚川裕司)では、「ブッダの教えはこんなにヤバかった!」という紹介があります。

ブッダの教えの要点の一つはこちら。

ニートになれ!世界を終わらせろ
ヤバい…でも、ほんとにこんな解釈ができるの?!

では、まずどのようにニートなのかを逸話からみてみましょう。

ちなみにブッダの本名はゴータマ=シッダッタで、シャカ族の王子としてうまれています。

悟りをひらいた(35歳)以後、ブッダと呼ばれました。

ニートとは|最古の経典「スッタニパータ」から

ブッダの時代に、バーラドヴァージャというバラモン(司祭)がいました。

彼は大きな田んぼを持っている農場経営者。

そこにゴーダマ・ブッダがやってきて托鉢(乞食、食物を乞うて歩くこと)を求めるために立っていました。

バラードドヴァージャ「私は働いて食べているのだから、あなたも畑を耕してから食べなさい」

働かざる者食うべからず、というまっとうな言い分です。

ゴーダマ・ブッダ「いや、私はすでに働いています」

ブッタにとって信仰が種子であり、苦行が雨であり、宗教的実践が耕作労働なのである、という内容の詩を唱えました。

バラードドヴァージャはこれに納得して喜び、鉢に乳粥をいれたのですが、ブッタはこれを捨てさせます。

ゴーダマ・ブッタ「私は詩を唱えた報酬として得たものを食べてはならない」
つまり、ブッダは一般的な意味での労働(プロダクション)を拒否しています。
現代の労働感覚でいえば、ブッダはニートになってしまうのです。
労働の拒否は現代社会にはうけいれられない…
でも、「働き」のとらえ直しとして参考になる視点!
ちなみに托鉢は、人々に喜捨させてあげるという修行。
托鉢僧は、もらってあげるために立っていると考えます。

世界を終わらせろ

ブッダの教えを解釈するポイントは輪廻です。

輪廻⇒移りゆくこと
人はこの世でのおこない(業、カルマ)によって輪廻します。
カースト制度などがあり、人々は輪廻転生によって差別される身分に生まれ変わることを恐れていました。
ブッダの教えも、輪廻からの解脱(輪廻そのものからの解放)を目指します。
生まれ変わりが延々と続く輪廻である世界を終わらせることが目的。
インド文化圏の人たちは、自分がこれまで輪廻転生を繰り返してきて、そしてこれからも同様に繰り返すであろうことを「事実」であると考えている。
上座部圏ではよく唱えられる「ダンマパダ」の詩に「生を何度も繰り返すことは苦しいことである」という意味のフレーズがあります
(「だから仏教は面白い!」p68)
同じことの繰り返しが苦しいという考え方は、地獄に落ちると「さいの河原」で石つみをするということにも表れてる
石を積んでも鬼が来て崩しちゃうことから、さいの河原は「いくら続けても、あとからあとからくずされる、むだな努力のたとえ」
先ほどは「労働」(プロダクション)の否定でしたが、それに続いて「生殖」(リプロダクション)も否定します。

「スッタニパータ」からみる「生殖」の否定

マーガンディヤというバラモンが、ある時ゴータマ・ブッダを見かけました。

ブッダの立派な姿に一目ぼれ。
(ブッダは超絶イケメンだったらしい)

マーガンディヤ(この人をぜひ自分の娘の婿(むこ)にしたい!)
「私の家はお金持ちですから、托鉢をやめて私の娘と結婚して、家で楽しく暮らして下さい」
彼には自慢のとても美人な娘がいました。
ゴーダマ・ブッダは答えます。
ブッダ「この糞尿に満ちた女が何だというのだ。私はそれに足でさえも触れたくない」

つまり、美人とはいっても、それは要するに皮一枚のことで、中身をみれば糞尿が詰まっているとブッダはみたのです。

失礼…
ブッダは高慢な人を糞まみれだと考えた話があるよ
この女の人はブッダに対して恨みをもち、ブッダの教団(サンガ)に嫌がらせをしたこともあるそうです。
プロダクション(労働)とリプロダクション(生殖)の否定とは、「世の流れに逆らうもの」。
ブッダの教えは「欲望の対象を楽しみ、欲望の対象にふけり、欲望の対象を喜んでいる」ことをやめることです。
では、なぜやめることを説いたのでしょうか。

ブッダの教え「苦とその原因」

ブッダは人々に苦しみの真理をみることを説きました。

生老病死の苦しみ(四苦)は避けられない。

ここでの生が苦しみっていうのは、赤ちゃんが血まみれになって泣きながら産まれてくることを指すよ

さらに4つの苦を追加して、これも避けられない。

  • 愛別離苦(あいべつりく)⇒愛するものとのわかれ
  • 怨憎会苦(おんぞうえく)⇒憎むものとの出会い
  • 求不得苦(ぐふとくく)⇒求めるものが得られない
  • 五蘊盛苦(ごうんじょうく)⇒人間のからだや心を形成する五つの要素から生じる苦痛や苦悩のこと
    (五蘊は「物質」、「感覚」、「知覚」、「意志」、「判断」の5つの要素のこと)

四苦にこれら4つを足して四苦八苦といいます。

確かに四苦八苦しない方がいいけど、それには欲望をやめることがどうして必要なのかな
ブッダは苦の原因はどこにあるのかを追求しました。
それが縁起の道理。
縁起⇒すべての物事には原因がある
苦の原因を欲だと説いたのです。
因果関係の元を断ってしまえば、その苦は起こりません。
ブッダが考えた苦の根本的な原因
  • 真理に対する無知(無明
  • 自分や自分の所有物に執着する心(我執
  • 執着からうまれる欲望や怒りなどの煩悩

このうち欲望(貪)・怒り(瞋)・無知(癡)が三毒(さんどく)とよばれる根本的なものです。

三毒を断つことってできるのかな…
ブッダの教えでは、断つことができる方法を説きます。

「四諦と八正道」

まずは四諦(したい)という四つの真理を説きます。

仏教では諦は「真理や悟りを意味する語」だよ
よく諦めるとかネガティブな意味で使ってたけど、違うんだね

四諦⇒四つの真理

  • 苦諦(現実世界は苦であるという真理)
  • 集諦(苦は執着よりおこるという真理)
  • 滅諦(執着を滅することで苦をなくせるという真理)
  • 動諦(苦をなくすための正しい修行方法は八正道であるという真理)

この動諦にでてくる八正道とは、正見(正しい見解)、正思(正しい思索)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行為)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい気づき)、正定(正しい精神統一)のことです。

苦しみの原因を滅するためには、理解することが重要。

そこから、ただ知識として知るだけではなく、八正道を実践することを説きました。

八正道の実践は、苦行とも快楽的な生き方とも異なる、苦にも楽にもかたよらない中道です。

目の前にいる美人さんがどうしても糞尿だなんて思うことができない…
エロースに動かされる…

ブッダの悟り

ブッタの教えは我慢することとは違います。

見方そのものを変えてしまうのです。

それがブッダの言う心の平安(涅槃、ニルヴァーナ)ということ。

例えば、あなたが涅槃に達した(悟った)と思っていたとしても、ものすごい美人さんが誘惑してきたとしましょう。

そこで心が欲望に動かされたとしたら、それは達してはいなかったということ。

悟ると見方自体が変わるから、そうなったことがわかるというよ!
ブッダの説く悟りの例として「だから仏教は面白い」では、通常の認知とは異なる知覚の状態、いわゆるゾーンに入る状態をいいます。
スポーツ選手など、極度の集中状態になると物の動きが遅くなったり、物が止まって見えたりすると言われます。
それを24時間維持できるようになるのが悟った状態。
通常の認知ならあり得ない状態!
この悟りの状態は阿羅漢と呼ばれ、経典の中には阿羅漢になったものはいます。
(阿羅漢とブッタは違う状態なのですが、この目指す形態の違いによって小乗仏教、大乗仏教と呼ばれたりする理由は次回に話します。)
仏になることができたのはブッダだけだと言われているけれど、この悟った状態(阿羅漢)になら修行でなれるんだね
普通の認知とは外れた状態であり、認知の外に飛び出した状態。
これが解脱になり、静やかな安らぎの境地です。
つまり、美人さんを見ても普通に近寄りたくない熱い鉄板のような足をつけたくないものに映り、それを避けることの方が良いことだと思える状態になります。

四法印

ブッダの縁起の教えは四法印にまとめられます。
四法印(仏教を特徴づける四つの教え)
  • 一切皆苦【いっさいかいく】(生老病死の苦しみからはなれられない)
  • 諸行無常【しょぎょうむじょう】(世のすべてのものは移り変わり、永遠に変わらないものはないということ)
  • 諸法無我【しょほうむが】(不変の実体である魂は存在しない)
  • 涅槃寂静【ねはんじゃくじょう】(煩悩の炎の吹き消された悟りの世界《涅槃》は、静やかな安らぎの境地《寂静》である)
諸法無我にはバラモン教のアートマンの否定があるよ

ブッダの教え「慈悲」

ブッダの説く慈悲とは、他の生命に対して楽を与え、苦を取り除くことを望む心の働き。
なので、ブッダが教えを説くことは悟りへの道なので、慈悲になります。
八正道は、苦行とも快楽的な生き方とも異なる、苦にも楽にもかたよらない中道でしたね。
かつ、仏教は平等です。
その対象は人間のみならず、輪廻の世界にいる、あらゆる生き物たちに向けられます。
この虫にも?
だって輪廻転生を繰り返すから、私も虫だったかもしれないんだよ
ブッダの教えの中に、昔ブッダがライオンだったという話があります。
傲慢な人の前世が糞にまみれたイノシシで、そのイノシシをライオンであるゴータマは嫌ったという話です。
一切衆生(この世に生きているすべてのもの)に対する思いやりの心が慈悲になります。
今回はブッダの教えをやりました。
次回は大乗仏教の成立とその教えを取り扱います。
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