朱子学と陽明学

朱子学と陽明学|高校倫理2章5節中国思想③

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第2章
「人間としての自覚」
第5節「中国思想」
③朱子学と陽明学
を扱っていきます。
①で孔子、②で孟子と荀子をやりました。
>>①孔子の教え
>>②孟子と荀子「性善説と性悪説」
③朱子学と陽明学(今回)
朱子学は儒教学者の朱子(朱熹)(1130-1200)が築きました。
朱子が説いた学問(朱子学)は儒教の流れをついでいるので、新儒教とも呼ばれます。
この朱子学に対して批判した学問として陽明学を見ていきます。
朱子学と陽明学を並べて書いているけど、時代的には300年くらい開きがあるよ
ブログの構成
  • 朱子学とは
  • 朱子学を批判した陽明学

参考文献 続・哲学用語図鑑(田中正人、斎藤哲也)、「哲学と宗教 全史」(出口明治

朱子学とは

儒教が国教になってから1000年以上たった時代。

宋(960-1279)の時代になると、儒教は仏教や道教に論理的な対抗をしなければいけませんでした。

儒教は世の中を渡る具体的な処世術ばかりで、宇宙論やあの世のことは語っていません。

孔子は「怪力乱神を語らず」といって、超自然的なことは語らなかった!
>>孔子の教え

儒教はスケールが小さい教えだというイメージが当時あったようです。

イメージを払拭するため、朱子は陰陽説や五行説、仏教や道教の思想などを儒教に取り入れ、朱子学(新儒教)を築きあげました。

朱子学といえば理気二元論性即理です。

理気二元論とは

理気二元論とは、万物が理と気の二つの要素からなっているという考え方です。

理気二元論

  • 理(万物の原理)
  • 気(万物の物質を形成する気体状の粒子)

理は複雑なので、気から説明していきます。

粒子(気)とは物質を構成している微細なつぶのことで、素粒子・原子・分子などと言ったりします。

現代科学からみても素粒子は物質を究極までバラバラにすると現れる要素として知られ、研究されています。

急に現代的になった!
世界は粒子(気)で満たされ、気が集まって個々の物質がつくられます。
なので、万物の物質面は気でできていると朱子は考えました。
物質がある
物質があるとは言わないよね、例えばイスがある、とか

理とはそれそのものであるための原理です。

つまり、理は万物の本質をあらわします。

気があつまって綿アメができた!
その物体は雲でも綿でもいいけど、綿アメにしている本質が理!
これはイデアの発想に似ています。
>>イデア論
ただの気をイスだとか、綿あめだとか言えるのはどうして?
といった回答に、理気二元論で答えることができます。
理が備わっているからそのものになっているんだよ。
理とは万物が万物であるための法則!
理は天から与えられた自然の法則であり、客観的かつ固定的に存在していると朱子は考えました。
では、この理を人間にあてはめるとどうなるでしょうか?

性即理とは

朱子は特に人間の理について性と名づけました。

性⇒理が定めた個人の心の本質

理は万物を成立させる規範的原理であり、理はまた人間の性(本性)でもあることを性即理といいます。

朱子は孟子の性善説を継いでいます。
>>孟子の思想

人間にとっての理(性)は道徳的な秩序(五常⇒仁・義・礼・智・信)だと朱子は考えました。

道徳的でないと「人でなし」、人間的でないって言われる
でも、悪人もいるよね?
朱子は人間の心は二つから成っているとしました。
心⇒性(理)+情(欲望や感情)
つまり、現代的に言えば心は理性と感情の二つがあると説いたのです。
今の感覚でもしっくりくる
理に由来する人間の性は本質的に善だと朱子は考えました。
しかし、私たちの肉体をかたちづくっている気が心に作用して情を動かし、欲を生んでしまうと説いたのです。
目の前にお菓子がいっぱい!
食べたい…
情は善でも悪でもないけど、気(物質)が理性をおおうと欲に走るらしい

目の前にごちそうや大金があれば、情が欲をうみだしてしまうようなもの。

では、性から気を取り払うにはどうしたらいいのでしょうか?

居敬窮理とは

朱子は気が欲を生まないようにするために、理を学んで、気の暴走を抑えるようにしなければいけないと説きました。

この方法が居敬窮理です。

居敬と窮理(居敬窮理)

  • 居敬⇒日常のどんなときでも意識を集中させ、つねに心の安静を心がける
  • 窮理⇒自分の外にある一つ一つの個物に備わる理を学問で極めて(窮めて)いく

常に意識するだけでいいので、仙人修行のように山にこもったり出家したりする必要はありません。

ずー-っと理を考えてる!
たとえば、万有引力の法則だとか質量保存の法則だとか、ずっとそれを考えてたから発見できてるよね

居敬窮理によって自分の中にある理を悟った瞬間を目指す探求を格物致知(すなわち窮理)と朱子は言いました。

朱子学の格物致知と、陽明学の格物致知は内容が違うよ
朱子は個物の理を知るヒントは四書五経の中にあると考えてた。
だから、科学の発展にはつながってないんだね

四書五経

  • 四書(『論語』、『孟子』、『大学』、『中庸』)
  • 五経(『詩経』、『書経』、『易経』、『春秋』、『礼記』)
    『楽経』を加えて六経ともいうけれど、『楽経』は早くから失われた

朱子はあらゆる物事を学び、理を知る人物を聖人と呼んで理想としました。

ではこれを批判した陽明学も見ていきましょう。

朱子学を批判した陽明学

王陽明(1472-1529)は陽明学を唱えて朱子学に対立しました。

朱子学の居敬窮理を試してみたのです。

王陽明は庭の竹林の前に座り、7日7晩にわたって竹を見つめていました。

ずー-っと理を考えてる!
自分の意識しかわからない…
ノイローゼになった…

竹林の理とは何かを、一心に考えて極めようとしたのです。

王陽明は熱心に朱子学も学んでもいたので(28歳で科挙に合格)、四書五経の知識はばっちり。

科挙(かきょ)は、昔おこなわれていた高級官僚を登用するための試験制度
しかし、王陽明は7日7晩の果てに疲労して倒れ、ノイローゼになってしまったといいます。
この実体験から、王陽明がわかったことは一つ。
竹をじっと見つめていた自分の存在だけはあった。
つまり、西洋でいえば「我思う、ゆえに我あり」というデカルトと同じ発想です。
理を考えている自分の心だけはあると思ったんだね

そして、朱子学の性即理を批判して、心即理を唱えました。

心即理⇒理は心そのもの
朱子学では心を2つにわけて考えた(性と情)のですが、陽明学では心をわけません。
おもちゃを手に入れる(欲)ために、計画を立てる(理性)!
朱子学は性即理、陽明学は心即理というのは批判のポイントです。
  • 性即理⇒心を性と情にわけて、性に理がそなわっている
  • 心即理⇒両者を区別せず、心そのものに理が宿っている

知行合一

王陽明は人間の心には理がすでに備わっているという意味で、人はみんな聖人だと考えました。

備わっている理を実行すると、そこに善が生まれます。

性善説はそのまま引き継いでるんだね
人間の心には生まれつき良知が備わっていて、万物の正しいあり方と一体化していると考えました。
良知⇒思慮しなくてもわかること
王陽明は人間が良知を発揮して、万物を正していくことを到良知と呼びました。(陽明学の格物致知)
良知を発揮するとは、日常で自分が善だと思ったことをそのまま実行することです。
あっ、先生に言われたことある。
自分が親切だと思うことをやりなさいって
朱子学では学問を重んじ、つねに考えているべきだとしました。
一方、王陽明はいくら知識があってもその知識をもとに何か行動を起こさなくては意味がないと言います。
真の知識は行動をともなうと王陽明は考えたのです。(知行合一
知行合一⇒知ることと行うことは、一体のものであること
よし、一冊一冊手書きで写して本をつくる!
機械の発明で何冊も印刷できるようになった!
陽明学は学んだらすぐに行動。
朱子学は考え抜いた末に行動。
知行合一の精神は日本にもわたり、倒幕運動の心の支えになったそうです。
印刷機ができるまでには何百年もかかったんだからね!
今回は朱子学と陽明学をやりました。
次回は老荘思想を取り扱います。
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