イエスの教え

イエスの教え|高校倫理2章2節キリスト教②

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
今回は
高校倫理第2章
「人間としての自覚」
第2節「キリスト教」
イエスの教え
を扱っていきます。
前回2節①「古代ユダヤ教からキリスト教の流れ」をやりました。
>>キリスト教起源の物語
2節に入りイエスの教えを扱っていきます。
  • イエスの活動と「神の国」のとらえ直し
  • イエスの説く「悔い改め」とは

イエスの活動

当時(前一世紀頃)、ユダヤ人は社会矛盾を抱えていたというところまで前回やりました。
>>キリスト教起源の物語

安息日には病人の手当てをしてはいけない。

律法に従うために、人々は病人に理由をつけました。

「この人が病気なのは、神からの罰」

神からの罰なのだから、それは助けなくてもよい、と。

しかし、イエスは安息日に目の見えない人を救いました。

イエスが悪魔(サタン)を追い払ってくれた!
悪魔を従えることができるのは悪魔だけなんじゃないの?!
安息日に人々を助けるけれども、それは律法違反になります。
イエスの活動に対し、イエスをメシア(キリスト)とみる人と、ベルゼブブ(悪魔の一人、ハエの王)とみる人がいました。
悪霊も同族争いはしないから、聖霊が悪霊を追い出してるってイエスは述べていたみたい
律法に従っていないとみなされれば、多くの人はイエスの教えを聞いてくれません。
イエスは自分の教えを広めるために、「神の国」の意味転換をはかります。
神との契約によって約束された神の国のことです。

「神の国」の意味のとらえ直し

従来、神の国とはユダヤ人の栄光の国だと考えられていました。

しかし、イエスは神の国を、「あなたがたの心のただなかにあるのだ」と説いたのです。

  • イエス前の神の国:ダビデ王統治時代のような各地を支配し繁栄していた国
  • イエスの神の国:人間の内面的な心のあり方

イエスは「悔い改める」ことによって人間が神とむすばれるとき、すべての罪はゆるされるがゆえに、神の国はすでにわたしたちの心のなかにはじまっている、と言います。

聖書だと「悔い改め」に特別な意味がある

悔い改めは、自分の心をかえること。(got question 参照)

悔い改めは、心と思いを変えることによって,自分を神に近づけること。(イエス・キリスト教会 参照

ここでは倫理の教科書の段落にそって、「悔い」と「改める」をそれぞれに解釈してみましょう。

イエスの「悔い改める」

イエスは「悔い改める」ことを重要視しました。

まずは「悔い」を見てみます。

「悔い」

イエスは「いかなる人間も、神のまえでは罪人として平等だ」と説きました。

  • ダビデ王
    メシアとされたダビデ王ですが、部下の妻を奪うことを画策したという罪があります。
  • ユダヤ王国の名前の元になったユダ
    イスラエルの嫡男のユダは、弟を奴隷に売り払っています。
  • イエスの祖先ラハブ
    出身が娼婦とも言われるラハブは、道徳的観点が複雑な人物です。

イエスはどんな人間も罪ある者だと説きました。

「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく、病人である。
わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

どんな人間にも罪があります。

なので、自分の罪を自覚することが必要だと言うのです。

可愛くてゴメン

「改める」

ここでの「改める」を、自分を神に近づけること、という意味でみていきましょう。

イエスは律法の根本には神の人間への愛(アガペー)があると言いました。

アガペー⇒神の愛にならった、見返りを求めない無償・無差別平等の愛
アガペーを理解するために、プラトンの愛(エロース)と比較してみます。
>>プラトンの愛|高校倫理2章③
  • エロース⇒価値あるものとの一体化を求める
  • アガペー⇒価値のないものにもひとしく向けられる、自己犠牲的な与える
愛ってなに?というのは現代も続く哲学的問い
>>「愛」(苫野一徳)の紹介

神はすべての人間を平等に愛するので、人間はその愛を信じ、それにこたえて神を愛さねばならない、とイエスは説きます。

神を愛するということは、同時に神の人間への愛を自分自身の心とすることです。

「改める」ポイントはアガペー

アガペーの具体例

イエスは律法のなかで神への愛隣人愛が最もたいせつなものだと述べました。

第一に「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」、第二に「隣人を自分のように愛しなさい」

愛(アガペー)の実践を具体的にします。

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」

このイエスの言葉は、キリスト教倫理の根本的な考えかたになり、のちに黄金律とよばれるようになりました。

さらに具体的にします。
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」
迫害される弱者は、迫害する相手に力で対抗するのではなく、相手をゆるすことによって神の愛に近づきます。
他にも、「よきサマリア人のたとえ」が有名。
イエスは隣人とはだれのことか?と聞かれたときに「よきサマリア人のたとえ」を出します。
「よきサマリア人のたとえ」
ある旅人が強盗に襲われて、傷つき路上に倒れていた。
瀕死の状態ですぐにも手当てが必要。
司祭がその道をさけて、レビ人もその道をさけた。
ところが、あるサマリア人(異教徒とみなされていた)が旅人を気の毒に思い、宿屋に連れて行って介抱してくれた。
イエスは「この三人の中で、誰が強盗に襲われた人の隣人になったと思うか?」と律法学者に聞く。
律法学者は「それを助けた人です」と述べた。
律法学者はサマリア人と口にすることができないくらいサマリア人を嫌悪していたみたい
つけ加えると、司祭やレビ人は血が付くとけがれちゃうから仕事の支障になると考えたんだね
イエスの隣人愛は、家族や地域、民族にとどまらない普遍的な愛のあり方を示しています。

心の内面を重視するので、イエスは律法を守ることを強調しながらも形式主義は批判しました。

イエスは神殿前の屋台(生贄の動物を売る)を壊したことがあるらしい

「悔い改め」を意識させる行為は、のちにイエスの処刑に関して最大限の威力をはっきします。

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
福音⇒「よい知らせ」、すなわち、神による救いのときがやってくるという喜ばしい知らせ

今回はイエスの教えをやりました。

次回は、イエスの死とキリスト教の誕生を取り扱います。
>>キリスト教の誕生③

全4回キリスト教篇
>>キリスト教起源の物語①
イエスの教え②
>>キリスト教の誕生③
>>キリスト教の発展④

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