アウグスティヌスとトマス=アクィナス

アウグスティヌスからトマス=アクィナス|高校倫理2章2節キリスト教④

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
今回は
高校倫理第2章
「人間としての自覚」
第2節「キリスト教」
アウグスティヌスからトマス=アクィナス
を扱っていきます。
前回2節③キリスト教の誕生をやりました。
>>キリスト教の誕生

今回でキリスト教での区切りは最終回。

キリスト教が広まっていく様子を、スコラ哲学者トマス=アクィナス(1225-1274)まで見ていきます。

ブログ構成

  • キリスト教の国教化
  • アウグスティヌス
  • トマス=アクィナス

キリスト教の国教化

イエスの死後、キリスト教が誕生し、使徒パウロが大規模な伝道旅行(パウロの伝道)をおこないました。

パウロは元パリサイ派(キリスト教を迫害)で、語学は堪能。

とくにユダヤ人以外の異邦人へと伝道しました。

キリスト教の布教活動してたときにパウロにひどい目にあった!
キリスト教の仲間になかなか受け入れられなくて、遠くに布教しに行ったみたい

他の弟子たちはエルサレムで活動していたのですが、66年頃に起きたユダヤ戦争によってエルサレム神殿が崩落。

エルサレム神殿はユダヤ教拝礼の中心地でした。

中心が破壊されても、パウロの異邦人への「キリストの福音」は広まっていきました。

パウロがキリスト教を世界宗教として発展するきっかけを作ったのです。

このユダヤ戦争がハルマゲドンだったのではないかという説があるよ!

ローマ帝国での国教化

キリスト教は迫害を受けながらも、4世紀末にはローマ帝国の国教となりました。

なぜ迫害を受けたのかと言うと、皇帝よりもキリスト教の権限が強くなると恐れられたからです。

国をまとめるのは大変。

初期ローマは共和制です。

共和制は君主を持たなくて、人民の意見が強い
しかし、内乱がずっと続いていました。
そこからローマはローマ帝国(前27~)に移行。
皇帝がいるとはいっても、共和制の伝統が重視されたり、市民の力が強い状況ではありました。
3世紀のローマ帝国は、軍人が皇帝の時代で、皇帝がすぐに暗殺されちゃったりしてた
4世紀の当初までキリスト教は迫害されていたのですが、帝国はキリスト教を公認することにしました。
ローマ皇帝コンスタンティヌス1世は皇帝として初めてキリスト教を信仰。
敵対するよりも取り入れちゃう!
ミラノ勅令(313年)を出して、全帝国市民の信教の自由を保障しました。
その後、テオドシウスによってキリスト教が国教化
その後にローマは東西に分裂するのですが、キリスト教もそれに伴いながら力をつけていきました。
ローマは滅んでも、キリスト教は滅ばない
その威力の元になった構造を作り上げた一人が、アウグスティヌスです。

アウグスティヌス

キリスト教を国教化にするにあたって、論理が強ければ人々を説得できます。

プラトン哲学を中心としたギリシア哲学の影響を受けながら、神学がととのえられていきました。(教父哲学

ギリシア哲学は弁論に強い!
>>ギリシア哲学
そこで活躍したのが最大の教父アウグスティヌス(354-430)。
教父とは教会の父で、教会によって公認された神学者のことです。
アウグスティヌスの偉業
  • 三位一体説の確立で土台造り
  • 恩寵予定説で教会の権力を上げる
  • 三元徳上位説でキリスト教の価値を上げる

アウグスティヌスの三位一体説

国教として統一するために、イエスは「人の子」なのか「神の子」なのかという論争が起こります。

そこで国は結果として、「三位一体」の教義を確立することにしました。

「人の子派」「神の子派」が異端として破門になったりした!
破門って、社会からの追放に等しいらしい…
受け入れられなければ破門という仕打ちにもなるのですが、「三位一体」という考え方自体は理解するのがとても困難だと言われています。
  1. (父なる神)
  2. (子なるキリスト)
  3. (聖霊)

の三つが「一体(唯一の神)、実体が一つ」であるとする教え

三位一体の教義は、新約聖書では明確には述べられていません。
なので、聖書を読みこんだ人が初めてその説明をできるような論なのです。
三位一体は〇〇ではない、という消去法の説明がよく使われていたみたい
アウグスティヌスは依頼されて三位一体説の本を書いたといわれています。
20年にわたって書かれた難解な「三位一体論」。
聖書を読めた人も一般庶民にはいない時代に、多くの学問要素があるアウグスティヌスが書いた全15巻にわたる本は、教父の威厳を保つのに十分です。
ポイント
アウグスティヌスはプラトン哲学の流れをくむ新プラトン主義哲学にも影響を受けました。
新プラトン主義哲学の創始者はプロティノス。
新プラトン主義哲学はキリスト教の思想は含んでいなったのですが、神秘主義的傾向が強く、アウグスティヌスによってキリスト教と結びつけられました。
ギリシア哲学の流れがあるアテナイは「死んだイエスが復活した」という教えは請けいれられていませんでした。
しかし、この結びつけによって神秘性が説得できる形になっていきました。

アウグスティヌスの恩寵予定説

アウグスティヌスは教会の権威をあげました。

教会のシステム化!

人間が誰でも持っているといわれる原罪(アダムがリンゴを食べた)。

原罪は神の恩寵(おんちょう)がなければ報われないとしたのです。

ではどうやったら神の恩寵がうけられるのか?

それは教会を仲立ちとして祈ることによって得られると説きました。

アウグスティヌスはこの神の恩寵と自由意志とを関係させて話します。

自由意志といえば、現代哲学でも論点になっていることだね!
>>J哲学の不自由論紹介
「哲学と宗教全史」(出口治明)から、自由意志と恩寵に関する個所を抜粋します。
人間はうまれながらにして自由意志を持っていた。
しかし人間は誕生した直後に、エデンの園で神の言葉に従わず禁断の「知恵の実」を食べてしまった。
原罪を犯したのである。
それゆえ人間は、まずその原罪を償わなければ自由意志を取り戻すことはできない。
そのためには神の恩寵を得なければならない。
キリスト教を信じ、神の恵みを受けて初めて、人間は自分の自由意志を得ることが可能になるのだ。

つまり、アウグスティヌスは人間の自由意志をとても無力なものとみなし、神の恩寵なしには善をなしえないと考えました。

アウグスティヌスは著書「告白」で「肉欲に支配され荒れ狂い、欲望のままになっていた」と述べているよ
神による救いは神の意志によってあらかじめ決められている(恩寵予定説)と、アウグスティヌスは考えていました。
アウグスティヌスは元マニ教だったのですが、聖書を読めという神の声によってキリスト教に回心したようです。
回心も自分からではなく神の意志から決まった、ということになります。
心で祈るからいいよ、僕は自由意志を持ってるし
祈ろうとしても雑念がいっぱい浮かんできてしまう!
一般庶民は聖書を読むことのできない時代だったので、さらに教会に頼るしかありません。
この頃の教会はカトリック教会です。
「カトリック」は「普遍的な」を意味するギリシア語に由来します。
教会に行っていない僕は、神に見捨てられてる!?
教会に行かなきゃ…

アウグスティヌスの三元徳上位説

アウグスティヌスはプラトンの四元徳(知恵・勇気・節制・正義)の上に、キリスト教の三元徳(愛・希望・信仰)をおきました。

三元徳上位説です。

差をつけることによって、哲学よりもキリスト教の方が価値が高いと示しました。

哲学と神学を切り分けるという発想の元がこんなところに
他にも、アウグスティヌスは歴史を「神の国」と「地上の国」の対立と捉えました。
キリストが再臨する歴史の終末に「神の国」が実現されるとするアウグスティヌス独自の歴史哲学の展開です。
「自己愛が地上の国を、神への愛が天上の国をつくった」
これにより、教会と世俗国家の対立、神への愛と自己中心的な人間の心のあり方の二つの対立を描き出しました。

著書「神の国」は全22巻からなります。

救われなかった人たちの永遠の苦しみとかも本に書いてあるみたい
アウグスティヌスについてまとめました。

時代が飛んで、次にピックアップされているのはトマス=アクィナスです。

トマス=アクィナス

中世初期、アリストテレスの哲学はヨーロッパでは忘れられていました。

イスラム世界からヨーロッパに逆輸入されます。

当初、アリストテレスの哲学は理性と信仰の矛盾をつきつけるものだったので、教会は慌てました。

この融合を図ったのがスコラ哲学です。

多くの科学者が教会に迫害されてきた歴史があるけど、アリストテレス哲学はここで融合されたんだね!
>>パラダイムシフト
スコラという言葉から今日のスクール(学校)が生まれたといわれています。
スコラ哲学の完成者として有名なのがトマス=アクィナス(1225-1274)。

トマス=アクィナスの「神の存在証明」

トマス=アクィナスはアリストテレス哲学の「物事は原因と結果でなり立っている」という説と、神をつなげます。

「誰かが押すから机は動く」

では、太陽が動くのは誰が押すのでしょうか?

「神が押すから太陽が動く」

なるほど!こうやってアリストテレス哲学と教会の権威がくっついていったんだね!
最初の原因は神に他ならないので、神が存在しないと世の中は存在できないのです。(神の存在証明

哲学は神学の侍女

トマス・アクィナスは「死後の世界」や「宇宙の外側」など、哲学では到達できないと考えました。

神学と哲学をきっぱりと分けたのです。

スコラ哲学では「哲学は神学の侍女(じじょ)」と言われています。

倫理の教科書では「哲学は神学の侍女」。
「哲学は神学のはしため(召使、端女)」という訳も有名かも
理性では到達できない問題は神学がにない、人間が理性で到達できる問題は哲学がになうとしました。
「神学>哲学」としたのです。
ちょっとドストエフスキーを抜粋してみるよ
ドストエフスキーがキリスト教的人道主義者へと思想的変化をしていた頃の作品「地下室の手記」。
理性はあくまで理性にすぎず、たんに人間の理性的判断力を満足させるにすぎない。
ところが恣欲のほうは、全生命の、つまり、上は理性から下はかゆいところをかく行為までひっくるめた、人間の全生活の発現なのだ。
ーぼくの生きる能力のすべてを満足させるために生きたいと願っており、けっして理知的能力だけを、つまり、ぼくの生きる能力のたかだか二十分の一にしかあたらぬものだけを満足させるために生きようなどとは思ってもいない。
(「地下室の手記」p44)
神学が上で、哲学が下という価値を抜きにしても、この分けたということは哲学の歴史を動かします。
スコラ哲学者オッカムは、哲学と神学は完全に切り離して考えるべきだと考えました。
>>オッカムのカミソリとは
人間が認識できるものだけを探求すべき、と。
切り離すことで、哲学ではものごとを神秘的ではなく合理的に考えられるようになっていきました。
考える自分が主体となる近代哲学への幕開け
科学への弾圧はあったものの、この切り離しは哲学や科学を発展させていくきっかけになったのです。

自然法

ストア派でもでてきた自然法ですが、ここでも登場します。

トマス=アクィナスは、世界は神の永遠の法によって支配されており、その法を人間が理性によってとらえたものが自然法だと考えました。

自然法⇒人間が実践するさいの第一原理であり、人間社会の基本規範
「この自然法則さえ発見できれば、人間はもう自分の行為に責任をもつ必要がないわけであり、生きていくのもずっと楽になる道理である。『地下室の手記』(p38)」

トマス=アクィナスはアウグスティヌスの恩寵をふまえてこういいます。

恩寵は自然を破壊するのではなく、完成する

つまり、人間の理性が自らの能力を超えたものを認識しようとするとき、それに手を差し伸べるものこそが恩寵と解釈します。

自然(理性)に従って良い行動ができてる!
でも、より良い行動がしたい!
理性じゃわからないけど、恩寵を受けるとよりよい行動になってる

キリスト教の発展を見てきました。

次はイスラム教をみていきます。

キリスト教の神ヤハウェのアラビア語読みはアッラーで、同じ神を祭っています。

トマス=アクィナスのくだりでは、イスラム教からアリストテレス哲学が逆輸入されました。

イスラム教はどのような発展をとげてきたのでしょうか。

参考文献
「哲学と宗教全史 出口治明」「新しく学ぶ西洋哲学史 2022」「哲学用語図鑑」

全4回キリスト教篇
>>キリスト教起源の物語①
>>イエスの教え②
>>キリスト教の誕生③
キリスト教の発展④

アウグスティヌスとトマス=アクィナス
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