「人間としての自覚」
第2節「キリスト教」
③キリスト教の誕生
>>イエスの教え
- ①でユダヤ教の歴史から、その中での社会矛盾
- ②で社会矛盾の中からイエスが登場
- ③でいよいよキリスト教が誕生します
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- イエスの死
- イエスの復活とキリスト教の誕生
- イエスの死のパウロにおける解釈
イエスの死(ほぼ教科書外)
当時はローマ帝国の時代。
イエスは救いと愛を説き、どんどんと力をつけていきました。
まだ人数は少なかったので、いわゆる新興宗教です。
ローマ帝国は植民地支配にあたって、ユダヤ人による自治を認め、ユダヤ教の信仰も許していました。
なので、エルサレム神殿で商売をしているユダヤ教信者がたくさんいます。
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「汝の敵を愛せよ」と説くよ
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イエスへの裏切り(群衆)
ピラトはイエスの処刑には気が進まなかったと言われています。
イエスに罪が見いだせなかったのです。
イエスの処刑が決まって、民衆の前にイエスを見せるときにピラトはこう言いました。
ピラト「この人を見よ!」
この言葉の意味は、イエスが処刑されることを群衆に意識させることが目的だと言われています。
自分たちが何をしようとしているのか。
イエスは本当に罪人で、死罪に値するのかを確かめさせようとしたのです。
群衆は「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。(ヨハネ福音書19節)
これによって、支配層だけでなく群衆も、イエスの十字架の磔刑に協力したことになりました。
イエスの処刑は決まってしまったのです。
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イエスへの裏切り(弟子)
イエスは自分が処刑されることをわかっていたようです。
ペテロ
イエスが処刑されることを予言したとき、弟子のペテロは「自分は絶対にイエスを裏切らない」と述べました。
その発言を聞き、イエスはこう言います。
「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度、わたしのことを知らないと言うだろう」と。
イエスが捕まった夜、周りにはまだ兵士やそこに居合わせた人々がいました。
場は混乱しています。
そこにいた人々にペテロは「イエスの弟子なのではないか?」と疑いをかけられます。
イエスがどうなっているのかわからないし、この混乱から逃れたい。
その一心でペテロは3回、知らない、と繰り返しました。
直後に鶏が鳴き、ペテロは自分の罪の重さを知りました。
イスカリオテのユダ
イエスを捕まえたのはサドカイ派の神殿兵で、その長アンティパスはそこで暴動を起こしたくはなかったそうです。
なので、密かにイスカリオテのユダにイエスだけを教えてもらいます。
これが有名なユダの裏切り。
このおかげで被害は最小限になり、イエスの弟子は捕まりませんでした。
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ユダはイエスの弟子で、その地位は推測するにナンバー2に位置するほど信頼されていたともいわれています。
(ユダの謎 キリスト教の謎 三田誠広 参照)
集団のお金の管理も任されていました。
なので、ユダが裏切った理由がいろいろと推測されています。
裏切りの理由の推測
- キリスト教集団を救うため
- イエスと一緒に捕まっていた熱心党リーダーのバラバを助けるため
ユダは元熱心党であり、仲間のバラバを助けたかった - イエスとの思想の相違点
ユダは資金管理をしていたが、最後の晩餐の時に、イエスのお金の使い方が心配になった
弟子マリアが高価な香油をイエスの足に塗っていたことをユダは非難した - 神の子という神秘性
神の子ならば、告げ口をしたくらいの困難ならば大事にはならないだろうと予測した
イエスはユダの裏切りも知っていました。
ユダが告げ口をする前にイエスは「なすべきことをなせ」と裏切りを実行するように促しています。
イエスの死の意味
キリスト教は「旧約聖書」と「新約聖書」からなっています。
イエスが自分の思想を「旧約聖書」に基づいて教えていたからです。
イエスは書かれている教え(言葉)を大事にしました。
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「旧約聖書」は古代ユダヤ教の元祖預言者アブラハムが神と契約をしたことから始まっています。
アブラハムは神に自分の子ども「イサク」を差し出せと言われました。
神を信じて自分の子どもを殺すという苦しみ。
アブラハムは実際にイサクを殺そうとしたのです。
イサクは死ななかったのですが、神はアブラハムの信仰がそこまで深いことを知って、ユダヤの民と契約を結びました。
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サラは不妊であきらめていた中、奇跡のように生まれた子ども!
契約には苦しみがいるのです。
つまり、イエスが行おうとしていたことは、自分を生贄にしての新たな契約。
そのために、アラブの民に自分の罪を自覚してもらう、弟子にも自分の罪を自覚してもらう、より多くの人に苦しみを自覚してもらう必要がありました。
イエスは「悔い改めて福音を信じなさい」と人々に活動として伝えています。
自分の罪を自覚して、それによってアガペーを実行することによる福音。
「新約聖書」によれば、イエスは死後3日後に復活しました。
イエスの復活とキリスト教の誕生
『新約聖書』によると、イエスは死後3日目に復活して、弟子のペトロらのまえにあらわれ、その後天に昇ったという。
弟子たちは、イエスこそ神の子、神の使わしたキリスト(救世主)であると信じられるようになった。
そして、昇天したイエスは、終末にふたたび地上にあらわれ(再臨)、最後の審判をおこない、善人に永遠の命を与え、神の国を完成すると信じられた。
ーこうして、イエスをキリストとして信じるキリスト教がうまれた(原始キリスト教)。
(高校倫理 p42)
ここはそのまま倫理の教科書を抜粋しました。
イエスの死後にキリスト教がうまれたのです。
教科書ではこの文章の「神の国」に注意書きがしてあります。
「ここでいう神の国は、イエスの教えである『こころのあり方』ではなく『天の国』をさす」
つまり、イエスの教えとキリスト教は「神の国」の解釈が違います。
イエスの教えとキリスト教
なぜこの違いが重要なのかという違いを、ニーチェの思想から見てみましょう。
ここで扱うニーチェやガンディーは後に教科書で扱っていく人物ですが、ここで少し絡めて考えてみます。
ニーチェはキリスト教を奴隷道徳だと述べました。
キリスト教は「強者の支配する現世を否定するものであり、強者に対する弱者の怨念(ルサンチマン)に由来する。」(教科書から抜粋)
奴隷道徳
- 弱者=善(善人は死んだら天の国にいける)
- 強者=悪(悪人は罰が当たる)
- 強者を悪人に仕立てて自分を納得させる心理(ルサンチマン)
(哲学用語図鑑 参照)
つまり、ここでは「神の国」の解釈がさらに分岐したということです。
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>>自己愛とは
まとめてみます。
- イエスが説く前の神の国:ダビデ王統治時代のような各地を支配し繁栄していた国
- イエスの神の国:人間の内面的な心のあり方
- キリスト教の神の国:善人に永遠の命を与える天の国
ニーチェのルサンチマンや奴隷道徳はキリスト教の批判であって、イエスの思想は批判していないと言われています。
キリスト教の「天の国」という発想は利益的です。
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さらに、非暴力・非服従の抵抗運動をしたガンディーの言葉にこのようなものがあるそうです。
「私はイエス・キリストは好きだがクリスチャンは嫌いだ」
イエスの思想とキリスト教を分けると、歴史的人物の言葉の意味が読み取れてきます。
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イエスの死のパウロにおける解釈
イエスの死への意味付づけから、キリスト教において重要な原罪と贖罪(しょくざい)の思想がうまれました。
- 原罪⇒人間であること自体に由来する根源的な罪
- 贖罪⇒人間の原罪を贖う(償う)ための死
『旧約聖書』の「創世記」には、人類の祖先アダムが禁断の実を食べたことから、すべての人間はうまれながらにアダムの罪を引き継いでいるとあります。
この罪は人間自身の力ではのがれられないとする考え方が原罪思想です。
では、だれが罪をあがなってくれるのか。
それをキリスト教ではイエスの死があがなってくれたと解釈します。
神の子イエスが使わされて犠牲にささげられた。
「イエスの死に神の愛をみ、その復活は永遠の命をもたらす神の救いをみた」のだと弟子たちによって解釈されました。
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>>オッカムのカミソリ
パウロの解釈
贖罪という考え方によってイエスの死を解釈したとされるのは使徒パウロです。
パウロは「新約聖書」の著者の一人ですが、イエスに直接会ったわけではありません。
彼はローマ市民権を持っていたとされる律法主義者(パリサイ派)。
パウロは当初、キリスト教徒を迫害していました。
しかし、天からイエスの声を聞いたといいます。
「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」
声を聞いた後、パウロは目が見えなくなりました。
そこへ、熱心なキリスト教徒がパウロのために祈ると、パウロの目から鱗のようなものがとれて目がみえるようになったのです。
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「律法によっては、罪の自覚しか生じず」、罪から解放されえない自分を「なんと惨めな人間なのか」ととらえてパウロは絶望していたのです。
そこへ、キリストの声から希望を見いだします。
- 人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰による(信仰義認)
- 信仰と希望と愛による救いの道を説いた(キリスト教の三元徳)
今回はキリスト教の誕生をやりました。
次回はキリスト教の発展を扱っていきます。
>>キリスト教の発展④
全4回キリスト教篇
>>キリスト教起源の物語①
>>イエスの教え②
キリスト教の誕生③
>>キリスト教の発展④