石田梅岩

石田梅岩の石門心学とは|高校倫理3章3節近世日本の思想⑥

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第3章
「日本人としての自覚」
第3節「近世日本の思想」
石田梅岩石門心学とは
を扱っていきます
江戸幕府を開いた徳川家康が世の中を安定させるために儒学を取り入れます。
身分秩序統制を図り、幕府はまず朱子学(儒学の一つ)を広めていきました。
その身分制度に基づき、武士とは異なる町人文化が築かれます。
公家や武士階級とかを主に取り扱ってきたから、今度は民衆文化
主に石田梅岩に注目してみていきます。
ブログ構成
  • 石田梅岩の貨幣経済
  • 石田梅岩と石門心学

参考文献 石田梅岩に学ぶ石門心学の経営(編著 田中宏司、水尾純一、蟻生俊夫)

石田梅岩と貨幣経済

石田梅岩(1685-1744)は京都の呉服商に奉公しながら、講義をおこない石門心学を広めた人物です。

同じころには荻生徂徠(1666-1728)がいます。
>>荻生徂徠と経世済民

そういえば、荻生徂徠は貨幣経済に嫌悪感を示していた
270年におよぶ江戸時代において、商人階級には一貫して厳しい目が向けられていた。
商品経済が発展して市場機能が発達するとともに、仲介役を果たす商人の役割は拡大し、社会への影響力を増した。
‐経済の発展は農民からの年貢米をもとに武士階級が社会を支配するという封建制度を揺るがすようになる。
「貴穀賤商」「農本商末」など論者によって表現はさまざまだが、時代が進むにつれて商業への反発や蔑視は強まった。
「石門心学の経営」p70
例えば、荻生徂徠は商人を吸血鬼のように捉えていたそうです。
商人は怠けて儲けようとしており、結果として物の値段が高くなり、武士や農民の生活を困窮させているという理論。
当時の知識人たちもこぞって商業批判、商人蔑視をしていたと言われています。
その頃の商取引には不正がつきものだったから、仕方がなかったのかもと言われている
しかし、江戸には貨幣経済の波が押し寄せていました。

商人や町人の生き方を肯定した人々

商人が悪く見られていた中、商業を肯定した人々。

  • 鈴木正三(1579-1655)は『万民徳用』で「商人なくして、世界の自由なるべからず」と語る。
    武士から出家して、「何の事業も、皆仏行(みなぶつぎょう)なり」と、職業に励むことが仏道の修行だと述べた。
  • 西川如見(にしかわじょけん、1648-1724)は「ただの町人こそ楽しけれ」と経済力のある町人を肯定。
    天文暦学者でもあり、合理的認識の先駆に位置付けられている。
  • 井原西鶴(1642-1693)は『日本永代蔵』で「ひそかに思うに、世にあるほどの願い、何によらず銀徳にてかなわざる」ことがないと語る。
    町人社会の風俗・人情を描く物語浮世草紙(近世文学の主要な文芸形式のひとつ)で有名。

など、世間では蔑視されていても、他の身分に比べて商人には出世の道が残されていました。

明治維新で誕生した新政府が強引に推し進めた重商主義政策、すなわち「富国強兵」「殖産興業」は誰が担え、その行動理念の基礎はどうやって築けたのだろうか。

賤商思想に真っ向から反論し、商業活動や利潤を評価する思想の礎を梅岩が築き、それが明治期に受け継がれたことを再確認したい。
「石門心学の経営」p79

石門心学は幕府批判をしなかったので、幕府に受け入れられました。
また、徳川吉宗の時代に、町人に道徳意識をつけることが急務とされていたので、その役割をにないました。
石門心学を教える講舎は全国的に広がり、近世思想界の一大潮流を形成したと言われています。
幕府はなくなっても、石門心学は消えなかった
石田梅岩は商人蔑視が強かった時代に、「商人の買利は士の禄に同じ」(武士が禄をもらうことは、商人が儲けをもらうことと同じ)と説きました。

石田梅岩と石門心学

石田梅岩は石門心学で何を説いたのでしょうか。

石門心学は、儒学・仏教・老荘思想・神道を取り入れて、日常生活での道徳の実践を説くものでした。

石田梅岩は理論化で、いろんな説を合理的に取り入れて説明したみたい。
「日本的な学問」として形成されたと言われている
「人の人たる道」を説き、特に商人道で考えると「勤勉」「正直」「倹約を実践することであると説いたのです。
商人の不正が多かったのに、素直に聞いてもらえたのかな…
この頃は身分制度で商人は下に位置します。
なので、このような事件も起こりました。
1705年、大坂の豪商淀屋廣當は、幕府により闕所処分とされ、12万両、銀12万5000貫さらには家屋敷などが没収され、諸大名への巨額の貸し付けも取りはぐれた。
理由は「町人の分限を超え、贅沢な生活が目に余る」という理由からだった。
  • 「天下のご政道は、贅沢や華美に走ることを固く禁じている」
  • 「贅沢三昧にふけって流罪、追放となった者は後を絶たない」
  • 「お上の命令に従うのは、民の常である」
    石田梅岩著『都鄙(とひ)問答』

石田梅岩は商人に富をしっかりと蓄えることは推奨したが、あくまでも「家業」の存続を第一に考えていた。
「石門心学の経営」p84 参照

これって、商人は態度が悪いだけで貸し付けが帳消しにされちゃうってことだ
合理的にも「正直」で「倹約」でいたほうが、商人にとって安心できる生活ができるってなるんだね。
梅岩は治安知足(足ることを知って自分の身のほどに安んじること)を説いたよ
石田梅岩は、商人に安定した取引が許されているのは天下太平である幕藩体制のおかげだとしました。
そして、「何ごとにつけても士を清廉潔白の鑑とし、自分の生き方の手本とすべき」と、商人らに武士の道徳を模範として身を正すことを求めたのです。
梅岩は身分社会におけるそれぞれの平等を主張しているよ。
身分的に平等であっても、武士の道徳を模範にしようとも説いたんだね
商人の社会的な地位を高めるうえで欠かせない倫理的な行動を、梅岩は商人らに強く求めました。
ゲーム理論で囚人のジレンマとかあるけど、お互いに協力したほうが良い結果になる、というのはあるよね
>>囚人のジレンマ
梅岩は理論家で冷たい印象だったと言われているけれど、後年は自分でそれを克服したのだとか。
性別を問わず無料で、聞く人が一人でも、石門心学の講義をしたと言われているよ
石門心学は、梅岩に師事した手島堵庵(てしまとあん、1718-1786)が名声をあげ、広がっていきました。

また、近松門左衛門(1653-1724)は町人社会の義理と人情の葛藤の美しさを世話浄瑠璃(せわじょうるり)を創始。

町人文化の男女の姿のなかに、人の心の美しさを見いだしていきました。

正直や倹約、義理と人情の美徳とか、「日本の道徳」といえる文化が盛んになった
石田梅岩を中心に町人文化と思想を見ていきました。
次は、二宮尊徳を中心に農民の思想を取り扱います。
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