聖徳太子

聖徳太子と和の精神|高校倫理3章2節日本の仏教思想①

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第3章
「日本人としての自覚」
第2節「日本の仏教思想」
聖徳太子と和の精神
を扱っていきます。
前回までは全2回にわたって「古代日本人の思想」を扱いました。
>>①和辻哲郎「風土」をわかりやすく
>>②神と古事記
今回から日本の仏教思想に入っていきます。
初めのキーパーソンは聖徳太子(574-622)。
昔の一万円札人物画像は聖徳太子。
聖徳太子というのは亡くなってから付けられた名前。
生前は厩戸皇子(うまやとのみこ)と言ったのだとか
聖徳太子が打ち立てた思想は、当時の日本人が持っていた深刻な悩みを乗り越えさせた点がポイントです。
ブログ構成
  • 聖徳太子を扱う理由
  • 聖徳太子の和の精神
  • 奈良仏教の展開

参考文献 日本を創った12人(堺屋太一)

聖徳太子を扱う理由

日本には6世紀頃、仏教が伝わってきました。

伝来当初、仏は利益をもたらす「蕃国の神(あだしくにのかみ、となりのくにのかみ)」として受容されます。

まずは聖徳太子がでてくる時代背景からみていきましょう。

仏教伝来

この時期は一つの区切り(始代・古代)の時期です。

人類が自然条件の恵まれた土地で種蒔きと収穫だけを行っていた時代、それ故に人知や勤勉よりも神への祈りが重視された時代を「始代」と呼び、利水や深耕によって土地の改良が進み、それ故に技術と勤勉が尊ばれるようになった農業革命以後を「古代」と分けるのが正しいと思う。
(「日本を創った12人」p19)

このような区分けです。

  • 始代⇒神への祈りが重視された時代
  • 古代⇒技術と勤勉が尊ばれる農業革命以後

始代から古代になり、生産力を大幅に増大させたのが朝鮮半島などとの交易です。

渡来してきた人々は、中国で発達した文化や技術を日本に持ち込みました。

その一つが仏教です。

仏教の最初の公伝は538年と言われているけど、それ以前から民間に入ってきてはいたみたい。
文化へのあこがれもあって、急速に広まっていったらしい
広まってきた頃、崇仏派と呼ばれる蘇我氏はお寺を建てました。
ところが。
仏教公伝の十数年後、西暦552年頃から、崇仏派の蘇我氏が寺を建てると疫病が流行するということがあり、仏教公認論争が発生した。
排仏派の代表は物部氏だ。
(「日本を創った12人」p22)
つまり、仏教は日本に元からあった神道と対立することになりました。
蘇我氏(仏教)vs物部氏(神道)
この戦いに勝ったのは蘇我氏(仏教)です。
蘇我氏は戦に勝つことで、崇峻天皇を擁立するなど、権力を手にしていきました。
ところが、ここでまた問題がおこります。

仏教と神道

蘇我氏は戦いに勝ち、仏教を広めようとしましたが、日本古来の天皇制には従っていました。

天皇家と蘇我氏の連立政権で政(まつりごと)をやるのですが、天皇は深刻な政治的矛盾に直面します。

天皇家から天皇が出るのは、天皇家が天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子孫であり神武天皇の末裔である、という神道神話に基づいてのことだ。
(「日本を創った12人」p24)

蘇我氏が擁立した崇峻天皇は排仏にかたよったので、蘇我馬子は崇峻天皇を暗殺。
!?天皇制(神道)は保ちたいけど、仏教勢力が強いという中で次の天皇?
こんな不安定な中で次の天皇になる人は大変そう…
次の天皇は推古天皇(東アジアにおける最初の女帝)になりました。
このときに摂政として登場したのが聖徳太子です。
聖徳太子はこの矛盾を解決していきます。

聖徳太子の偉業

聖徳太子を『日本を創った12人』の第一に挙げたのは、この方が千四百年間、ずっとわれわれの心を支配してきた宗教観、それを具現化した「神・仏・儒習合思想」の発案者兼実践者だからである。
(「日本を創った12人」p16)

聖徳太子は個人としては熱心な仏教徒でしたが、政治家としては天皇家の一員。

そのような自身における矛盾の解決策として、「神・仏・儒の習合思想」を考え出しました。

この考え方により、以後、日本では宗教戦争が起こらなくなります。

神・仏・儒教を一つにするんじゃなくて、それぞれとして3つが併存し得るという論理だよ
複数の宗教を同じ人間が同時に信じていいよって肯定した
習合思想は、今日の日本でもよく見られます。
キリスト教が日本に入ってくれば、クリスマスパーティーや教会での結婚式だけは取り入れる。
イベントとしてハロウィン、お正月。
お葬式は仏寺。
だから気楽に、それは面白そうだ、それもよさそうだ、というだけでどんどん取り入れる。
日本がアジア、アフリカ諸国の中で唯一、近代技術、近代制度を素早く取り入れることができたのは、このためだ。
(「日本を創った12人」p37)
「ええとこどり」の発想は近代化を早めたり、争いをやめさせたりといった良い面があります。
ただし、難しい点としては、その国の思想や社会状況などを考えないで特定のものを真似るので、それを取り入れたらどうなるのかという議論はあまりされませんでした。
やらずに後悔よりもやって後悔!
朱子学と陽明学を思い出すね
>>朱子学と陽明学

では、聖徳太子は具体的にどのようなことをしたのでしょうか。

聖徳太子と和の精神

聖徳太子は仏教にもとづく新しい政治理念をかかげました。

大乗仏教の経典に注釈を現わした『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』をあらわし、四天王寺や法隆寺を建立。

聖徳太子が作成したとされる十七条憲法では、第一条に「和をもって貴(とうと)しとなし、逆らうことなきを宗とせよ」と説かれています。

和の精神が強調されているんだね
他の条では、怒りやねたみを捨てよ、自己の誤りを恐れて是非善悪を一人で決めることなく議論にかけよ、などとあります。

聖徳太子が説いた仏の教え

仏の目からみれば人間はみなともに凡夫(欲望などの煩悩をまだたち切っていない者)だと、聖徳太子の残した書物から解釈できます。

  • 凡夫は「仏・法(仏の説いた真理)・僧」の三宝(さんぽう)をよりどころとすべし
  • 世間虚仮、唯仏是真(せけんこけ、ゆいぶつぜしん)」⇒世間はむなしく、ただ仏のみが真実である

聖徳太子は現世を仮のものと考え、究極のよりどころを仏教に求めたと言われています。

ちなみに、大乗仏教では空の思想が展開されていました。
その中(例えば法華経)には、嘘も方便、という考え方があります。
自分の教えをその人自身にわかりやすいように、その人が理解している言葉で、その人だけがわかりやすいように教えることです。
他の人から見れば間違っているかもしれないけれど、その人にとっては正しい理解につながる教えです。
宗教戦争がなくなるという和を実現するために、聖徳太子自身が仏の教えを実践していったのかもしれません。
戦争って何?
小学生なら、「ペリリュー」とかが戦争理解におすすめかも。
現代の子どもに戦争を教えたい、という相手視点に立つ考え方の大切さは、大乗仏教が説いてる

聖徳太子後|奈良仏教の展開

仏教によって国を治めようとしていた聖徳太子の考え方は受け継がれていきます。

奈良時代には、仏教は鎮護国家(仏法によって国家の安泰をはかること)を目的とする国家仏教として朝廷の保護におかれました。

聖武天皇(位724-749)は全国に国分寺・国分尼寺を建立。

大きな奈良の大仏は知っている!
大仏が大きい理由は、世のすべての生きとし生けるものをくまなく救済するためらしい
聖武天皇の時代は災害や疫病(天然痘)が多発。
社会不安を取り除き、国を安定させたいという願いが背景にあったと考えられています。
また同じころ、唐から渡来した鑑真(がんじん、688-763)によって、東大寺に戒壇が設けられ、公認の僧となるための授戒制度が確立しました。
鑑真は唐招提寺(とうしょうだいじ)建立が有名。
中国で1、2位を争う偉いお坊さんだったよ
何度も航海に失敗したり、度重なる航海で目が見えなくなったりした(753年来日)
そして、官寺(国家が運営する寺院)を中心に南都六宗(なんとろくしゅう)と呼ばれる学派がうまれます。
南都六宗⇒三論(さんろん)・成実(じょうじつ)・法相(ほっそう)・俱舎(くしゃ)・華厳(けごん)・律(りつ)の六学派
これらの宗派は、民衆の救済活動というよりは学派的要素が強く、仏教の教理の研究を中心に行っていた学僧衆の集まりであったといわれています。

民間仏教

国家仏教に対して、民間の中からも私度僧(しどそう、聖とも呼ばれる)があらわれました。

私度僧⇒朝廷の承認がない僧

なかでも、有名なのが行基(ぎょうき、668-749)です。

行基は知識結とも呼ばれる新しい形の宗教集団を形成して、近畿地方を中心に貧民救済や治水・架橋などの社会事業に活動しました。

天災や疫病で社会が混乱していた中、知識によって墾田開発や社会事業を促進してくれた行基はみんなのアイドル的存在だった!
説法に一万人を集めたこともあったのだとか

行基は当初、国から弾圧されましたが、後に聖武天皇から依頼され東大寺盧舎那仏像(大仏)建立に協力。

その後、聖武天皇により大僧正(日本で最初)に任命され、東大寺の「四聖」の一人として数えられています。

行基

「行基菩薩像 久安寺」

今回は聖徳太子と和の精神を中心にやりました。

次回は、最澄と空海を取り扱います。

日本の仏教思想
>>①聖徳太子と和の精神(今回)
>>②最澄と空海
>>③末法思想と浄土宗
>>④親鸞(しんらん)の思想
>>⑤道元の思想
>>⑥日蓮の生涯
>>⑦無常観と日本文化

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