何ものかになるには-ドストエフスキーと龍樹

何ものかになるには。 おはようございます。けうです。   昨日過去のラジオ記事を振り返っていました。 今もそういう傾向はあるんですけど、昔の話はとくに支離滅裂になっていることが多いなと思っていました。 自分が思いついて生かしたいと思った部分と、なぜこの話を絡めてあるのか自分で不思議に思う部分とです。 賢いから何ものにもなれない そして、私はよくドストエフスキー「地下室の手記」の何ものかに […]

ヒュームと龍樹と因果関係

おはようございます。けうです。   私は昨日ヒュームの人間とは知覚の束というブログをリライトして載せました。 ヒュームは近代哲学の祖、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」の否定をしているんです。 なぜこれを否定できているのかというと、ここに生じている因果関係の法則を否定出来ているからです。   我思う故にわれありをまた扱って行こうと思います。 因果関係の法則の否定 私が思うだから […]

「知覚の束とは」ヒュームからみる多様性

私とは何か。 それを考える中で、ヒュームは「人間とは知覚の束である」と考えました。 デイビィド・ヒューム(1711~1776)イギリスの哲学者です。 知覚の束とは、五感による感覚が集まったものです。 五感には、聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚があります。 ヒュームは「人間とは知覚の束」だと表現し、私とは今の瞬間、これらの感覚が集まったものにすぎないと述べました。 現代社会は複雑性が増しています。 仕事 […]

意識とは何か-狂気を考える。

  おはようございます。けうです。   私が好きなものを尋ねられました。 そして実際私はおいしいものが好きといったとします。 それは同語反復になると同時に、同語反復にはならない。 ということを話していこうかな、とおもいます。 意識-おいしいとはなにか 私がおいしいと思うものがおいしい。 世間一般がおいしいとみなすものがおいしい。   この二つが成立するんです。 前者は […]

命題的態度とは何か-区分けるということ。

おはようございます。けうです。   言葉の区分けについて話そうと思います。 人間、理性、自由意志、これって言葉が存在しているからあるんですよね。 では、なぜないと言う場合があるのかに関して話していこうと思います。 「意識がある」と「意識とは何か」を分ける マルクス・ガブリエルさんの言葉を引用します。 「意識があることを知ることと、意識とは何かを知ることは、別物なのです。 だからこそ科学に […]

ルイ・アルチュセール‐2つの自己とは

ルイ・アルチュセール   今日は「ルイ・アルチュセール」について話そうと思います。 哲学者ルイ・アルチュセールについて この哲学者は私の本でも少し触れています。   でも、彼にふれるとき、いつも触れるべきか触れないべきか、困ることがあったんです。 それは、アルチュセールが奥さんを自らの手で殺しているということ。 でも、そこまで刑はなく出てきていると言うこと。 道徳的にいけないの […]

意志することは忘れようとすることである

「意志することは忘れようとすることである」 おはようございます。けうです。 kindle本が出ています。 「考えるを考える」 昨日売り上げランキング無料部門哲学思想で一位になっていました。 今日もまだ無料ですので、よかったら手にしてみてください。 「意志することは忘れようとすること」とは で、今日なんですが、「責任の生成」(國分功一朗)を読んでいて興味深い一文に出会いました。 「意志することは忘れ […]

思うという感覚-主語はどこから発生するのか。

なぜ私が自分の根本となるものしか考えられないと思っているのか。     おはようございます。けうです。   今日からまたヒマラヤの原稿をブログにUPしたいと思います。 kindle本が出版されています。 今日は無料でダウンロードできます。 4月25日まで無料ダウンロードできますので、少しでも興味をもった方はダウンロードしていただければなと思っています。 Kindleで […]

初kindle本出版「考えるを考える-哲学の思索における変化」

 今日から5日間、2021/4/25まで無料ダウンロードができますので告知します。 「考えるを考える-哲学の思索における変化の移り変わりを読みとく」 >>こちらからどうぞ。 では、どんな内容なのかを簡単に説明します。 ラジオ内容は、この本文を参考にしていますが、そのままではありません。 kindle出版-告知 とうとうkindle本が出版されました! 朝、ばたばたやっていたらいろいろとやる時間が […]

インペアメントとディスアビリティを考える

  おはようございます。けうです。 「責任の生成」を読んで考えたことを述べていきます。   分けるとは 言葉をわけるとそのものごとについて深く考えられるということがあります。 一つのに日本語について、英語やドイツ語だとわかれていて概念が2つになっていたり、また逆に英語だと1つの物なのに、日本語だと複数ということがあります。 そういうものの区別を知っていくことは、そのものごとにつ […]

>けうブログ

けうブログ

哲学を身近に