意志すること ハイデガー

意志することは忘れようとすることである

「意志することは忘れようとすることである」

おはようございます。けうです。

kindle本が出ています。

「考えるを考える」

昨日売り上げランキング無料部門哲学思想で一位になっていました。

今日もまだ無料ですので、よかったら手にしてみてください。

「意志することは忘れようとすること」とは

で、今日なんですが、「責任の生成」(國分功一朗)を読んでいて興味深い一文に出会いました。
「意志することは忘れようとすることである」

これはハイデガーの言葉らしいんですが、これを見ていこうと思います。

 

一見すると、かなりの矛盾を含む言葉ですよね。

何かをしようとしたときに、忘れることって自分ではできないからです。

以前も扱ったことがあるんですが、シロクマのことを考えさせたいとき。

そのときに「シロクマのことを考えないでください」

と言われたときに、私たちは何も言われなかった場合よりもよりシロクマのことを考えてしまうと言う傾向があるそうです。

そもそも忘れることは自らできるのか?というと、できないことが多いと思います。

 

では、この意志すること、とはどういうことかに焦点が当たってくるんです。

 

ハイデガーは実はショーペンハウアーにも影響を受けていると言われています。

後にかなり批判したみたいなんですが。

 

とりあえずはショーペンハウアーの意志でなら私は捉えられると思ったんですよ。

ショーペンハウアーの意志とは

ショーペンハウアーは意志を本能として見ています。

人間の本能って人間を無意識に動かすものです。

生存欲求だったり食欲だったり性欲だったりといった本能ですね。

で、その意志なんですが、それを本能としてみるんですよ。

そして、さらにその本能というのは固定された真実があるという世界のことを指しています。

人間を本能だけで捉える。

モノには物自体というように本物があると捉える。

その固定化された世界に本能があるというんですよ。

でも、人間って本能だけでは語れませんよね。

人による多様性というのは近年とりだたされています。

それを表象、各個人による見え方の世界の方にわけます。

固定化されているものと、変化されているものと世界をわけて考えるんですよ。

 

そして、意志はというと、固定化された本能の世界なんですよ。

私はkindle本で、意志の捉え方にも触れました。

 

ショーペンハウアーの意志は「悪い」意味での意志。

本能によって選ばされている受動的な意志なんですよね。

かえって、その頃使われていた意志は「良い」意味での意志。

選択されているなんてなくて、選択は全部自分でしているという能動てきな意志です。

 

ハイデガーの言っている意志は、受け身の意志です。

忘れることは能動的にできないからです。

忘れることは気がついたら忘れているんですよね。

 

そして、そちらを意志と見なします。

本能的なものを意志として見なす。

すると、「意志することは忘れようとすること」

が成立するんですよね。

意志することと能動的なように書かれていてもこれは受け身。

忘れようとすることも能動的にかかれているようで、中身は受け身ですよね。

 

なので、二つとも受け身な行為なのであって、ただ私たちは気がつかない間に忘れているということを、あたかも自分で忘れているかのように表されている文章なんですよ。

能動と受け身

でも、この忘れようとするという受け身のことを能動的なことに変えてみます。

「意志することは食べないとすること」

ダイエットとかだと使われますよね。

私は意志が弱いから食べてしまうんだって。

でも、さっきの理論で考えてみます。

すると、意志することは本能的なことで受け身なんですよね。

すると、私は生存欲求により食べるという選択肢を選ばされているわけなんです。

 

「食べないとする」ということは意志の塊のような気がしますけど、そうやって考えると受け身の部分もでてくるということです。

 

そして、本の中では「忘れること」は「考えない事」だと言い換えていました。

確かに、忘れていると考えられないですよね。

かつ、ショーペンハウアーは考えることは本能に入ってこないというんです。

多様性の表象の世界に位置するというんですよ。

多様性の世界にいるのであって、そこには能動とか受け身とかが関係のない世界になってきます。

意志と選択を分ける

そう考えると、ハイデガーには他にも考えさせられる一文があるんです。

「我々はいまだ考えていない」

そんな一文です。

 

これは、私たちが想像するような能動的で主体的な考えるというか、意志するがありますけど、それは幻想だっていうことです。

 

それでも、と思うのは、私はたんぱく質の話を読んだときに、人間はたんぱく質さえたくさんとっていれば食欲が抑えられるって話を聞いたんですよね。

でも、タンパク質をたくさんとっていても、他のものって食べたくなりますよね。

で、選択として食べてしまう。

すると、他の本能も働いてくるみたいなんです。

タンパク質の体内における比率を高めようとしてさらに食欲がわく、というような。

私はそんなに意識していなかったある一つの選択に対して、食べる食べないということが選択できるかもしれない。

それによってダイエットは成功する、しないが関わってくるかもしれない。

1つの選択はもちろん本能にもよって決められているんですけど、他の物も入ってはきているんですよね。

それが個人を形づけているともいわれているような。

 

この「責任の生成」では意志と選択を分けて考えようということにも言及していました。

 

では、今日もお聞きいただいてありがとうございました。

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