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カルトマーケティングから見るコミュニティの幸福と孤独

おはようございます。けうです。

 

田中森士さんの「カルトブランディング‐顧客を熱狂させる技法」を読み終えました。

前回はこちら。
>>インフルエンサーにみられるカルトブランディング

 

カルトブランディングをポジティブに捉えようとしたのがこの本になります。

筆者は現実に人気を誇っている具体例をあげ、カルトブランディングにカルト宗教っぽさ(破滅的カルト)がないことを述べていきます。

そして、それを客観的に分析したときにはどのような傾向があるのか、という特徴を述べていました。

今回はカルトブランディングを成功させるための方法をまずは紹介します。

そのポジティブな面を紹介して、そこから私の感想で終わりたいと思います。

カルトブランディングを成功させるための方法

筆者はカルトブランディングの方法を簡略に表していました。

①存在理由を明確にする。
②ペルソナを定める
③ストーリーを組み立てる
④タッチポイントを探る
⑤コミュニティーをサポートする
⑥解析とメンテナンス

こちらのプロセスになります。

まず、カルトブランディングに再現性はあるのか?

という問いを筆者はたて、そこからカルトブランディングと名づけられるくらいなので、その客観的な指針があるはずだと考えていました。

そこで今活躍しているカルトブランディングに成功している企業、例えばスズキのジムニーだったり、アップル社だったり、コーヒーブランドの「デス・ウィッシュ・コーヒー」(死のコーヒー)などから、客観的に見て取れる方法を簡略に表現したのです。

初めから見ていきます。

存在理由を明確にして、共感する人をつくる

まず存在理由。

その人が押し出す理念とか、その人自身が目指しているものだったりを言うことで、その人独自の他との違いを打ち出します。

そして、この人ならば共感してくれるだろうと言う人に、自分の理念を語ります。

それが場合によって自分の理念と同じだったり、同じような悩みを抱えている場合に、その人はあなた(カルトブランディングをしようとする人)に好意を抱くことになってくるのです。

ストーリーと触れるという親近感

ここから、好意だけでは友だちと一緒なので、そこから理念を持つまでになったストーリーを語ります。

すると、そのストーリーを受け入れてくれた友だちは、似ていると思っていた理念から、あなたの理念そのものを受け入れてくれるようになります。

まず友だちが抱いていた理念は、その人が自分の過去から想定していたその人の理念です。

そこからあなたのストーリーをつけ加えることで、あなたそのものを受け入れてくれるようになります。

次に、タッチポイントとは、ブランドと顧客の接触点です。

身体にしても触れる、考え方にしても触れるというのはある種、そのものにさらに親近感を抱いていくことになります。

共感性と親近感によりコミュニティを生み出し、解析する

そして、カルトマーケティングは集団を育てます。

その理念に賛同してくれるコミュニティを形作ります。

そして、あなたはそのコミュニティを助けていくことでより一体感を得ることになると筆者は語ります。

 

最後は解析とメンテナンスですが、最初の理念がぶれていないかを確認しつつ、このプロセスを繰り返すことでコミュニティを大きくしていくことを目指します。

カルトブランディングは大きくなりすぎるとカルト要素が抜けることがあると言われますが、或る程度の一般性がなければ逆に破滅的カルトと言われるような閉じたコミュニティになってしまうのだと本で述べられていました

以上がプロセスになります。

カルトブランディングの方法を知っても違和感がない理由

このプロセスを語られたとしても、ネガティブなカルト要素は感じられません。

例にアップルなどを出されると、スタイリッシュささえ感じます。

なぜ自然に受け入れられるようなものなのでしょうか。

その具体例として、筆者は自身がインドに行った体験を述べていました。

初めは慣れない土地だったインド。

その中でその文化に揺られながら、その文化を肌で感じていた時に筆者はインドそのものを受け入れていく過程にいたったと述べます。

 

筆者はバスの時間を現地の人に聞くと、「分からない、いつか来るさ」と答えられたと述べます。

そのままバスを待っていると不思議な感覚が襲ったといいます。

「精神と肉体が、インドと少しずつ一体化していったのだ。」

その中にいて、その文化を受け入れることで体にインドが馴染んできたのだ、と。

そして、バスが来たのでそこでただ乗ったのだと体験を語ります。

「与えられた場所で努力することは必要である。しかしそれ以外の部分では大きな流れに逆らわず、身をゆだねていればしかるべき位置に収まる。」

このような体感をカルトブランディングに当てはめます。

時代は急激に変化するけれども、私たちはその変化自身はどうすることもできない。

バスがくるのを意図的に操作することはできない。

その中で身をゆだねていく。

なので、カルトブランディングでも、好きなことは好きなのだと自覚はする。

その中で、自然にその好きなことを受け入れていけばいいのではないか、と言っているように私は感じました。

そうすることで、さらにカルトブランディングをポジティブに受け入れようとする価値観が生まれていきます。

カルトブランディングを読んだ感想

現代人が一番に目標に置くような「幸福」。

その幸福を一番上に掲げているのがカルトブランディングになると私は解釈しています。

好きなことは好きなのだ、と。

 

1人だと感じると人は孤独に陥ります。

孤独というのは、幸福のイメージをあまり伴わない。

そこで、私が好きなものが一致している集団に属することは幸福なことだ。

そのように、カルトブランディングが発生したのではないか、と私は考えました。

人間は社会的な生き物です。

だから、コミュニティによる幸福を追求すればいい。

そのようなメッセージ性を私はカルトブランディングに感じています。

 

ただそうなってくると一種の違和感はあります。

哲学だと孤独の中で哲学を考えます。

その哲学者はしばしば幸福について考えます。

孤独という感覚から、コミュニティによる幸福を客観視します。

その場合に、しばしばその客観視している人は思うかもしれません。

その中に入れたら、私は幸せだろう、と。

でも、そこには困ったことがあります。

自分から中には入ることが難しいかもしれない。

その人々は自分の感覚に従って好きなもの同士がコミュニティを築いている状態です。

外から見る人は意図的に好きになることはできない。

犬が苦手な人が急に犬好きにはなれないように。

この幸福が好きというのは一般的に信じられていることです。

(突き詰めれば、幸福に反対する行為も幸福を追求している行為かもしれない、ということはできます。)

このように考えたときに、コミュニティの幸福に浸るのか、その幸福を考えてまた集団に沈んだ自分を引き上げるのが幸せなのか、ということは考えてしまうなと感じました。

コミュニティから得られる幸福を一番に置く。

それか、コミュニティに属さずに個であることにある種の幸福を感じるのか。

社会か個というのは昔からの問題があります。

では、お聞きいただいてありがとうございました。

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