古学

古学が流行した理由|高校倫理3章3節近世日本の思想③

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第3章
「日本人としての自覚」
第3節「近世日本の思想」
古学が流行した理由
を扱っていきます。
前回は中江藤樹と日本陽明学をやりました。
>>①林羅山と江戸幕府
>>②中江藤樹と日本陽明学
江戸幕府を開いた徳川家康が世の中を安定させるために儒学を取り入れます。
まず活躍したのが林羅山で、朱子学(儒学の一つ)を広めていきました。
しかし、幕府の政治でいいように使われていた朱子学に対して、他の儒学者たちから批判が発生。
今回扱う古学も朱子学批判という視点から見ることができます。
古学が江戸幕府を倒す明治維新につながっていく!
明治維新は封建社会から資本主義へ移行した近代化革命
主に山鹿素行(やまがそこう)と伊藤仁斎を取り上げます。
ブログ構成
  • 古学が流行った理由
  • 山鹿素行の士道
  • 伊藤仁斎の古義学

参考文献 「伊藤仁斎の思想世界」(山本正身)「百人一語」(梅原猛)

古学が流行った理由

古学は、朱子学や陽明学などの注釈にたよらずに、五経や『論語』『孟子』などの儒学の古典を直接学ぼうとするものです。

徳川家康が林羅山の登用によって世間に広めた学問は儒学であっても主に朱子学。

そもそも朱子学の起こりは、中国の宋(960-1279)の時代。

その頃、儒教は世の中を渡る具体的な処世術ばかりで、宇宙論やあの世のことは語っていなくて、スケールの小さい学問だと思われていました。

なので、陰陽説や五行説、仏教や道教の思想などを儒教に取り入れた朱子学(新儒教)を朱熹が築きあげたのです。

当時流行り出した仏教や道教に論理的な対抗をするために、朱子学が登場した
朱子学は新儒教とも言われます。
古学は新儒教ではなくて、儒教から教えを引きつごうとする動きです。

朱子学といえば理気二元論と性即理
これが抽象的だとして、朱子学がでる1000年以上前の孔子孟子にかえっていったよ

古学を唱えた山鹿素行

山鹿素行(1622-1685)は日常の実践的な道理を明らかにすることを目指して、「周公孔子の道」を直接学び取る古学を提唱しました。

「周公」は孔子が尊敬した治政者のこと。

山鹿素行は特に武士の日常について、古学と武士道をくっつけた士道を提唱しました。

この士道が明治維新を引き起こす精神を形作っていくらしい

山鹿素行の説く士道とは

士道を簡単にあらわします。

士道⇒古学(儒学)+武士道
従来の武士道は、鎌倉武士が公家に対して自覚した生き方。
特に、名と恥、主従の心情的結びつきが重視されました。
鎌倉武士といえば御恩と奉公が有名!
従来は君主への絶対的忠誠がメインだった
世の中が戦国時代のときは、君主への絶対的忠誠をになっていればよかったのですが、江戸時代は平和になっていました。
つまり、争いがないので武士は活躍できなかったのです。
そっか、お金を持っているのは商人だったし、武士って浮いた存在になっちゃうよね
そこで、山鹿素行は新しい武士のあり方として人格の修養につとめる士道を提唱したのです。
身分制度でいえば、士は三民(農・工・商を職業とする人)の上の身分。
三民のお手本となる存在としての武士を説いたのです。
山鹿素行の説く士道
  • 武士の職分は、三民の師となって導く存在になること
  • 武士は道徳的指導者として、修養にはげむべき
なぜ武士道ではなく士道とするのかと言えば、武士道といえば山本常朝(やまもとつねとも 1659-1719)が有名で、そのイメージが強いからです。
武士道といふは死ぬ事と見付けたり
『葉隠』(山本常朝著)
武士道では、おのれを捨て、恋にも似た思いで主君に献身することを求めました。
この言葉に対していうならば、「士道とは聖人の道と見付けたり」となります。
命を大事にし、蛮勇に走ったりせず、正しく生きることが「士道」の天命であるとしたのです。
「殉死は不義なり」と山鹿素行は説いてるよ。
上への忠義よりも、下への道徳的見本を意識させた
この山鹿素行の士道のあり方は、明治維新の担い手である吉田松陰などに影響を与えたと言われています。
武士といえばもともとは戦闘員。
しかし、武士が怖くなくて礼儀正しいイメージなのは、この士道の影響が大きいという説があります。
武士ってかっこいい!っていうイメージなのも、この道徳的教えが流行したからなんだね
また、山鹿素行は『中朝事実』(ちゅうちょうじじつ)で中国崇拝を排して日本主義を説いたと言われています。
王政復古の主張を退けているそうです。
朱子学批判をしたから流罪にもあったよ

古学から古義学を立ち上げた伊藤仁斎

伊藤仁斎(1627-1705)は古義学を提唱しました。

古学と同じく、孔子の教えにかえろうとする動きは同じなのですが、特に孔子の「」の思想を重視しました。

伊藤仁斎は自分で名前を変えて仁の字をつけた!
孔子の説く仁が一番大事だとして、孔子の教えを引き継いだ孟子を「孔子の注釈」として二番目に素晴らしいものだとしました。
孟子といえば性善説。
仁斎の教えは性善説にたって、みんなが学ぶべきだという思想になっていくよ
万人(庶民も)が学ぶべきという思想は、朱子学の身分制度からすれば朱子学批判になりえます。
伊藤仁斎は新儒教である朱子学(抽象論が多い)を真っ向から同じ土俵にたって批判しました。
浅いイメージだった儒学を抽象的な理論に発展させたのが朱子学(新儒教)だとすれば、元の儒学を受け入れてもらうために抽象的な理論を論理的に批判したのが伊藤仁斎です。

仁斎はわかりやすいものの方が難しい、という論理展開をしました。

”「仁義に由って行う、仁義を行うにあらず」『孟子』”
「仁義に由って行う」とは、教科書的に仁義はこのようにしなさい、と書いてあるからその行動をとっていること。
「仁義を行うにあらず」とは、書いてある通りのことをやったとしても、それは自分が仁義なのではない、ということ。
例えば、ごみを拾いなさいといわれて拾ったとしても、それは道徳心からごみを拾ったわけではなく、道徳心が身についているわけではない、という論理展開です。
つまり、「仁義」という言葉に、情報としての仁義と、実践道徳としての仁義の二つの意味が込められています。
仁斎は倣う(ならう)ことと、覚る(さとる)ことをわけたよ。
「倣う⇒マネする、覚る⇒体感としてわかる」
短い単語に多くのことを物語れることを示したんだね

伊藤仁斎の仁

伊藤仁斎は「仁は愛のみ」と述べました。

「我よく人を愛すれば、人もまた我を愛す」
『学童問』(伊藤仁斎著)

仁斎は20歳以上年の離れた妻をめとって、死別するとさらに年の離れた妻をめとって、合わせて子どもが8人いたみたい

彼の仁は愛という意味なので、仁愛とも呼びます。

伊藤仁斎によって堅苦しさや抽象論が多かった儒教が、自由な町人社会の倫理となっていきました。

「孟子は、色を好み、金を好むことを全く悪いと言っているのではない。

色を好み、金を好むことが、民の災いになるならば、それはいけないことであるが、民と一緒に色を好み、金を好むならば、それは構わないのである」
『童子問』の言葉。「百人一語」p269

儒学が一般庶民にも身近なものに思えてくるね
朱子学の学問は上の身分の人だけに限定されがちだったのに対して、仁斎はみんなが学ぶべきだとしました。

儒学は人倫世界を説いたもの

一般的に儒学の思想目的は2つあるといわれています。

  1. 世の中全体の調和と充実
  2. 人が天地と一体化すること

例えば、君主が天命に従っていると世の中が平和であるという理論です。

朱子学ではすべてを「理」で説明しようとしましたが、仁斎は自然世界は自然世界の原理があって、人倫世界には人倫世界の原理があるとしました。

仁斎は「理」のことを「死字」と呼んだ

そして、仁斎が注目したのが人倫世界です。

人倫世界⇒人と人との道徳的なつながりによって形成される世界

自然世界の「天地宇宙」などのことは、元来人間にとっては不可知なものだと述べました。

孔子も「怪力乱神を語らず」として、超自然的なことは語らなかった。
天地宇宙があることは認めてるけど、語れないと言っているよ
伊藤仁斎は、人が引き受けることのできる調和や充実は「人倫」と「仁義」にのみ所在すると述べるのです。

つまり、儒学の目的②「人が天地と一体化すること」の天地を、「人倫世界」と読み替えました。

ここから孟子の四端説などを取り出します。

端というのは芽ばえという意味で、人は本来善(性善説)だけれど、それを伸ばすことが重要だと述べるのです。

孟子も性善説に立ちつつ、それを実現するための勉強が大事と説いていた
>>孟子の性善説

忠信と誠

世の中が平和になるためには、人倫世界が大事。

その人倫世界が善くなるには仁愛が必要。

仁愛は四端の心によって、拡充される。

では、実際にはどうしたらいいの?ということで伊藤仁斎が主にといたのは「忠信」と「」です。

忠信⇒まごころを尽くし、偽り(いつわり)がないこと
他者に対して偽りをなくし、他者の思いを察して、ひたすら他者に尽くすことで成立する自他関係をめざしました。
ひたすら忠信に生き、『論語』や『孟子』から仁や義を学ぶとき、仁愛は「」(真実無偽)として成立すると説くのです。
実践道徳として仁斎も中江藤樹と同じく「親孝行」が大事だと説いたよ
>>中江藤樹と日本陽明学
道徳は、個々人の実践を通してはじめて実質的意味をもちえます。
実践的道徳の仕方として、まずは孝です。
すなわち、二、三歳の子どもでも親を愛することを知らない者はなく、成長した後に兄を敬うことを知らない者はいない
‐「親しい人々への愛を、疎遠な人々にもおし及ぼそうとする」
(伊藤仁斎の思想世界p140)
仁の端(芽ばえ)はみんなが持っていて、それを学んで拡充(広げる)させることによって、仁愛のある平和な人倫世界がつくられていきます。
朱子学と古義学の拡充説の違いを、仁斎は薪(たきぎ)を例にして説明しています。
朱子学も拡充説を説いているんだけど、内容が違う
薪が一把あります。
  • 朱子学の拡充⇒一把で一升のお米を炊くことが拡充
  • 古義学の拡充⇒一把で広大な平原を焼き払うこともできるようになるのが拡充
朱子学だと個々人の限界を見ちゃうけど、古義学だと人とのつながりを通じて可能性を無限に広げているんだね
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