「現代に生きる人間の倫理」
第5節「人間への新たな問い」
7.フーコーと「人間」の終焉
>>1.フロイトと無意識の発見
>>2.ソシュールと言語学
>>3.ウィトゲンシュタインと言語哲学
>>4.フランクフルト学派と「啓蒙の弁証法」
>>5.ハーバーマスと対話的理性
>>6.レヴィ=ストロースと構造主義
人間の言動は、その人間が属する社会や文化の構造によって規定されていると考える。
私が誰であるかと訊ねないでほしい、私に同じままであり続けるようにと言わないでほしい、私は、おそらく他の多くの人々と同様に、もはや顔を持たぬために書いているのだ
(ミシェル・フーコーp4 フーコーの言葉)
- 前期フーコー(エピステーメーと構造主義)
- 中期フーコー(ニーチェ哲学と知の主体)
- 晩期フーコー(古代ギリシアにさかのぼる)
フーコーと構造主義(前期フーコー)
前期フーコーで捉えておきたいことは、エピステーメーです。
フーコーは当初、心理学者でした。
当時の心理学の流行であるフロイトの無意識から病状を診断。
例えば、無意識に人間的な欲求が疎外されることによって、患者はヒステリー症状をひきおこしていたと考えたのです。
しかし、次第にフーコーはそれに疑問を持ちます。
人間的な欲求とは何か?
初めから備わっているような本質的な人間欲求はあるのだろうか?
人によってそれが平気な場合とそうでない場合があるのはなぜか?
このような疑問に対し、〈人間の本質的な欲求〉は答えることができないとフーコーは考えました。
人間の本質があるという思い込みは、実存主義やマルクス主義といった西洋の〈人間の本質〉象にすぎないとフーコーは考えたからです。
フーコーは〈人間の本質〉象を否定するために、狂気の歴史をたどりました。
フーコーは狂気の歴史から狂気という病はなぜ生じたのかを分析することにしたのです。
フーコーと狂気の歴史
狂気はなぜ病になったのか?
フーコーは17世紀から、狂気と理性が分離されたと考えました。
- 中世(~16世紀)の「狂気」⇒「狂気」は真理を語る存在であり、何かしら神聖視されていた。
人々と「狂気」は共存していた。 - 近世(17世紀)以後の「狂気」⇒労働力にならない「狂気」は隔離されるようになった。
「狂気」は非理性的とされて、理性と断絶がうまれた。
近世の思想であるベーコン(知は力なり)やデカルト(近代哲学の父)を経由して近代哲学がひらかれたことからも見られます。
デカルトは「我思うゆえに我あり」と説いた時に、自分が狂気である可能性は初めから排除していました。
「理性的省察の主体においては、狂気はあらかじめ理性の外に置かれてい」たのです(ミシェル・フーコーp22)。
フーコーは思想だけではなく、歴史的な変化も思考とともにみていきました。
フーコーは‐十七世紀に西洋社会に起こった一つの具体的な出来事に注目することによって答えようと試みる。
理性的ならざるものの理性による完全な排除をもたらした重要な契機として彼が標定する出来事、それが、ヨーロッパ全土における監禁施設の創設である。
(ミシェル・フーコーp22)
歴史的な監禁制度と共に、狂人が隔離された世界が普通の世界になっていったのです。
では、どのような人が狂人とされたのか?
それは道徳的な意志によって、狂人と判断されたとフーコーは考えました。
例えば、当時のモラルに違反したとみなされた浪費癖とか親不孝者とか、無宗教者などが狂人の前段階的な〈非理性的な人〉。
〈本物の狂人〉は見世物にされ、狂人はもはや人間ではないとされていました。
中世では普通の人はいつ狂人になってもおかしくないという感覚だったのですが、近世以後は「狂気それ自体」があるのだとして自己と切り離されていったのです。
前頭葉を切除する(狂気という悪い部分を切り取るイメージ)ことで患者を治そうとした。
だけど、それは人間の尊厳をうばって機械的な人間にしてしまった。
フーコーはこの手術をするような精神科医になることを拒んだ
十九世紀の「人間愛」が、狂気を「解放」という偽善的な形式で閉じ込めたこの「道徳的なサディズム」なしには、この心理学というものは存在しなかっただろう。
(入門p53 フーコーの言葉)
歴史と思考の過程から〈人間の本質〉が作りだされた理由が見えてきたのです。
その一つが歴史と共に見えてくることがわかった
次に、フーコーは歴史から各時代のエピステーメーを解析しました。
各時代のエピステーメーから〈人間の本質〉はどのように形づくられたのかを考えたのです。
時代ごとのエピステーメー
フーコーが時代によって分けた大きな3つのエピステーメーを紹介します。
エピステーメー
- 中世とルネサンスのエピステーメー
類似という概念によって語られる。
博識と魔術と物語を区別できない。
例えば、ヘビならばヘビにまつわる特徴や用途、神話などすべてが語られる。 - 古典主義時代(17世紀半ば以降)のエピステーメー
同一性と相違性に基づいて物の秩序を形成する方法をとり、ベーコンとデカルトに代表される。
生物を可視的な構造において分類する表象という概念で語られる。
例えば、ヘビについての神話は排除される。 - 19世紀以降の近代のエピステーメー
生命のあるものとないもの、無機物と有機物、生と死という基準にそって分類される。
人間という概念から語られる。
時代のエピステーメーにそわない考え方をすると、時代遅れと言われたり笑われたり、または狂人と見なされることが紹介されています。
例えば、「ドン・キホーテ」は類似に基づいて風車を巨人と勘違いして闘い、それが狂人と見られたり笑われたりしました。
それは中世のエピステーメーとしては普通なことだったのですが、時代は変わっていたのです。
本人は変わっていなくても、変わらないということが「変わったこと」として語られています。
また近代のエピステーメーは「人間は死に向かう」ことが常識とされ時間的に変化して死ぬという〈生命〉という考え方をしています。
それ以前は〈生物〉という考え方でした。
19世紀以降の知の枠組みになって、生物学、言語学、経済学が誕生して〈生命〉という概念ができることで、「人間」という概念ができていったのだとフーコーは考えます。
フーコーと人間の終焉
フーコーが一躍有名になったのは著書『言葉と物』で「人間の終焉」という概念を提出したことです。
「人間」はごく最近の発明品にすぎず、いずれ波打ち際に描かれた砂の顔のように消え去るであろうという、いたるところで繰り返し引用されたこの宣告とともに、フーコーは、いわば時代の寵児としての地位を確立することになる。
(ミシェル・フーコーp60)
ここで代表される「人間」は歴史的な主体としての人間です。
サルトルの実存主義を引用すれば、人間が何ものかになろうとする主体性に「人間」を見ました。
けれど、レヴィ=ストロースに代表される構造主義によって、その「人間」という概念は西洋中心的だと批判されたのです。
他にも、ラカンの精神分析やソシュール以後の言語学においても、歴史的な主体としての「人間」は終焉したという見解が続きました。
「人間」という概念ができあがったにもかかわらず、あっという間に、波にさらわれるように消えてしまうとフーコーは語るのです。
また、古典主義時代の「表象」と近代の「人間」との大きな違いは「時間」への関心に特に表れています。
例えば、ハイデガーは人間を死への存在として特徴づけました。
歴史的な主体としての人間には疑問が持たれましたが、現代哲学では「時間」という課題はまだ「人間」に残されています。
前期から中期への移行
人間の終焉を説明してきましたが、ここには「存在論的線引き」の問題があると「社会学史」では指摘していました。
存在論的線引き⇒何らかの「実在」(と信じられているもの)が実は社会的に構成されたものであるということを示す議論は、暗黙のうちに、そのような構成から逃れている客観的な実在を前提にしてしまう(社会学史p581)
例えば、構造主義が実存主義を否定した一つが、人間の絶対的な主体性でした。
それを元に、構造主義は非人間的な思想だ、と実存主義者は批判します。
しかし、構造主義は西洋も非西洋の優劣をなくそうと主張した点で人間主義的(人間の尊厳を認める)なのです。
実存主義が人間主義(人間の主体性を尊重)といっても通じるし、構造主義が人間主義(人間の多様性を尊重)といっても通じるという面がでてきてしまいました。
ここのどこで人間主義という言葉に線引きをしたらいいのか?
この問題が存在論的線引き問題です。
フーコーは「人間」の終焉を説きましたが、人間自体のことについては語っていきます。
そもそも「人間」が発見される前にも人間はいたのです。
この存在論的線引きはどこにあるのだろう?
フーコーはエピステーメーの出現や、その存在を決めている要因は何なのかを探ることにしました。
そして、その要因が権力だと解釈したのです。
中期フーコーの思想に移っていきます。
フーコーと知の主体(中期フーコー)
1968年、フーコーは学生運動を体験しました。
この頃、日本でも全共闘運動が起こるなど、世界中で運動が巻き起こっていたといいます。
この経験を通じて、多くの学生が自分のあり方に疑問をもったそうです。
運動に参加せずに学生生活を続けるとはどういうことか?というような問いです。
こうした経験をした者にとっては、思想は抽象的な知の体系ではなく、現実の生き方を問う倫理的な営みとしての意味をもつものだった。
(入門p124)
前期フーコーは構造主義的な見方をしていたのですが、中期では知の主体に目を向けます。
一人ひとりにとっての「真理」はどのようにできたのか?
しかも、一人ひとりの「真理」というように違っているように見えても全体主義を作りだしてしまう「真理」の成り立ちとは?
なぜエピステーメー(知の枠組みというその時代の真理)が成り立つのか?
ある思想が一つのエピステーメーにおいて確保していた位置ではなく、だれがその思想を真理と信じて行動するかの方が重要な意味をもつ
‐これは、真理としての思想の価値を、思想の歴史における位置によってではなく、その思想を信じる人々の意志と確信という視点から考察しようとする見方である。
真理とは、誰がそれを真理として信じるかによって、大きく意味を変えるものであり、
思想を真理として信じる主体の分析なしには、真理そのものという概念を分析しても、意味がないことになる。
(入門p127)
つまり、フーコーは真理そのものという概念を前期で分析してきたのですが、主体の分析をしていないと考えたのです。
フーコーは主体の分析にニーチェの系譜学の考え方を取り入れました。
ニーチェは真理を、階級対立の結末であり、人間が他の人間を支配する価値体系からでてくるのだと考えました。
真理を対立関係の中で生じた〈暴力の帰結〉だと考えたのです。
真理とは戦いの武器。
真理とは論駁されないための誤謬。
真理はいつも知の意志に貫かれ、その知の意志は力への意志になる。
つまり、構造主義の「真理は存在しない」という相対主義的な理論とは逆に、真理は存在するけれど真理は「現実の社会の権力的な関係において、戦略的な機能を発揮するもの」として解釈する必要があるとフーコーは考えたのです。(入門p133)
フーコーは社会におけるさまざまな主体の間の権力関係を分析する事で、真理がなりたつ構造を見ていこうとしました。
権力をフーコーがどのように解釈したのかをみていきます。
フーコーの説く権力
フーコーの説く権力は、新しい意味を持っていました。
権力
- 伝統的な権力⇒他者にその意志に反することをやらせる可能性の権力。
抑圧する作用、禁止の命令。 - フーコーの権力⇒言説の生産を煽る権力。
抑制する権力ではなく、構成する権力。
フーコーは権力を虚偽意識(イデオロギー)の観点からではなく、主体の内部から機能する力として分析しました。
例えば、ここでは教会での告白が語られます。
キリスト教では罪の告白として教会が機能していました。
人は「告白の結果として、個人の「内面」というものが産み落とされる。」と考えます。(社会学史p588)
語りつくせない「内面」というものがまずあって、告白がなされるわけではありません。
論理の順番は逆で、告白するから、告白しなくてはならないと思うからこそ、告白しきれない「内面」が存在するように感じられてくるわけです。
語ること(告白)と語りえないこと(内面)は表裏一体の関係にある。
この「内面」なるものが、近代的な主体の成り立ちにとって不可欠であることは、理解できるでしょう。
(社会学史p589)
つまり、人間は罪の告白において、真理を信じる知の主体である「内面」を作り上げているのです。
伝統的には主体こそが権力の抵抗への拠点だったのですが、フーコーの発想はそれを逆転させました。
「主体こそが、権力の主要な産物であったことがわかってしまった」のです。(社会学史p591)
告白以外にも権力が製造される装置として、パノプティコン(監獄)からフーコーはその構造を考えました。
パノプティコン
(パノプティコンは監視塔を中央におき、そこから囚人を見張るシステム)
パノプティコン(監獄)の発想はベンサムにあります。
最大多数の最大幸福を目的にし、安心(生きる)が一番であり、人は自らを監視し、またデータとして人口を捉える現代社会の暗喩としてパノプティコンを採用したのです。
現代社会はパノプティコンにいる、と。
パノプティコンの監視塔の中身はマジックミラーで見えないようになっています。
なので、囚人は監視員がいると思い込んで、架空の監視員を自分で作り上げるようになるのです。
囚人はつねに規則に従わなければならないようになり、やがて誰に強制されるわけでもなくみずから規律を守るようになります。
パノプティコン効果によって作り上げられた権力は「生の権力」と言われています。
中期から後期への移り変わり
フーコーは生の権力が近代の人間主義的な主体をつくりだしたと考えました。
フーコーの理論は多くの人を説得しました。
しかし、そうなると困ったことが起こります。
もし、主体が、権力との相関物として構成されたのだとすれば、いかにして、権力に抵抗するのでしょうか。
どうしたら、権力からの解放のルートを開くことができるのでしょうか。
(社会学史p591)
フーコー自身が心理学の権威からのロボトミー手術に反対していたり、学生運動にコミットしていたり、自分がゲイだと述べることで性差別への抵抗を試みていました。
時代ごとのエピステーメーがわかったし、権力の構造もわかった。
しかし、実際に現実を変えていくにはどうしたらいいのか?
主体が権力への抵抗の根拠にならないとしたら、何を根拠にしたらいいのか?
フーコーは隠されているものに注目しました。
例えば、地面は動いているけど、普段は止まっていると認識している
性は我々にとってかくも重要かつ秘められたものである以上、性こそが、我々自身の最も奥底にある秘密を明かしてくれるのではあるまいか。つまり、性について語ることによって、今度はその性が、我々の真理を語ってくれるのではないか、というわけだ。
(ミシェル・フーコーp141)
フーコーは中期とは別のやり方で知の主体を模索しました。
そして、古代ギリシアにまでさかのぼったのです。
フーコーとこれからの「人間」(後期フーコー)
- プラトン哲学⇒魂の本質を把握すること。
魂がかつてすでに知っていた真理を記憶の底から思い出すこと。
魂は身体を支配するので「魂が身体の牢獄」になる。 - ローマ帝政期⇒自己への配慮が一般化され、強化されて、いわば自己目的化されることになる。
もっぱら自己自身のために自己に専心しなければならなくなる。 - ストア派の思想⇒真理を獲得するために師の言葉に耳を傾けること。
そのように学んだ真理を自分自身の行動のための原則とすること。
真理は自分の外から獲得して同化し、自らの行動の規則とすべきもの。 - キリスト教初期⇒自己自身に対する根本的不信のもとで、自分の奥底に秘められた真理を絶えず狩り出そうとするもの。
自己を捨てること、他人への服従に身を委ねることが目指される。
フーコーはキリスト教道徳と異教の哲学との間には決定的な差異があると考えました。
では、このように「汝自身を知れ」という解釈へのエピステーメーの構造を見つけ出すことが、どのように権力への抵抗となるのでしょうか?
「フーコー入門」では真理だけでなく、権力もまたゲームとしての性格を持っている。
そして、ゲームという性格をもっているからこそ、他者との力関係において相手の行動をかえていく可能性がある、と述べていました。
フーコーは、他者との関係を変えていくことが一つの権力関係であることを認めながら、そこに愉しみをみいだそうと誘っている。
社会はそこからしか変わっていかないと。
(入門p229)
こうして権力から自己という新たな移動を見つけることで、権力への抵抗の道の一つを示していました。
また、フーコーは晩年には「パレーシア」(ギリシア語で、「率直な語り」を意味する)に注目。
相手に対して勇気をもって率直に語ることとしてのパレーシアにも、権力への抵抗を見たのです。
パレーシアにおけるエピステーメーの研究途中でフーコーは亡くなってしまいました。
フーコーのまとめ
フーコーは「顔を持たぬために書いている」と語るほど、その思想過程には何人もの哲学者がいるのではないかと思わせるものがあります。
ざっと私見でまとめてみます。
- 前期フーコーは構造主義的に思考することでエピステーメー(知の枠組み)自体を発見する。
- 中期フーコーはエピステーメーが個々人においてどのように作られているのかを、ニーチェの実存主義的な思想によって解明していく。
- 晩期フーコーは他のエピステーメーへの移行(権力への抵抗)はどのように起こりえるのかを古代ギリシアから研究していく。
フーコーは自分が真理だと思ったものを絶えず問いました。
なぜそれが真理だと君は思うのかな。
ここには対話の可能性がある
今回はフーコーをやりました。
次回はレヴィナスについて扱います。