科学的社会主義とマルクス

科学的社会主義とマルクス|高校倫理1章4節7

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
(高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第1章
「現代に生きる人間の倫理」
第4節「社会と個人」
7.科学的社会主義とマルクス
を扱っていきます
前回は、空想的社会主義とは何かをやりました。
空想的社会主義⇒人道的な立場から理想の社会を構想、初期の社会主義
空想的社会主義はマルクスがそう呼んだのであり、それはマルクス自身の科学的社会主義と区別するためのものでした。
マルクスは自身の理論を科学的社会主義と呼んだのです。
前者は空想的、後者は科学的と言われる違いを明確にしていくよ
ブログ内容
  • 科学的社会主義と空想的社会主義の違い
  • マルクスからみる資本主義社会の仕組み
  • マルクス理論の移り変わり
  • 科学的社会主義と唯物史観
  • 科学的社会主義とその後

参考文献

「カール・マルクス」(佐々木隆治)、「人新世の『資本論』」(斎藤幸平)、「社会学史」(大澤真幸)、「社会学用語図鑑」(田中正人編集、香月考史著)、『100分で名著』NHK動画

科学的社会主義と空想的社会主義の違い

マルクス(1818-1883)が生まれたのは、空想的社会主義者たちよりも約60年後。

マルクスの時代もまだ労働環境はひどいものでした。

長時間労働、低賃金、子どもの労働といった労働者の権利がなかった時代
世間は啓蒙や教育によって、その環境を改善するように主張しました。
「みんなの意識が変われば環境が変わる」
このような主張がされていたのです。
空想的社会主義はそんな傾向があったよね。
選挙制度よりもまずは啓蒙や教育に力を入れよう、と
しかし、マルクスはここに疑問をもちます。
人々に「変われ!」と訴えても、無駄なのではないか、と。

思想が先か、現実が先か

マルクスは青年ヘーゲル派のグループに属していました。

そこで「思想が先か、現実が先か」という議論がありました。

マルクスは現実が先だと考えたのです。

‐マルクスは自己意識による社会変革を否定的に考えるようになっていた。

自己意識のような抽象物ではなく、現実に生活する人間、ただ意識をもつだけでなく、さまざまな欲求や感情を持ち、五感で世界を享受する感性的な人間こそが現実社会を形成しているからである。
「カール・マルクスp59」

人は何か現実に問題がないと考えない。
でも、思考は人々を動かす原動力にはなるとマルクスは考えた
マルクスは青年ヘーゲル派グループとは決裂。
そして、マルクスは社会を変えるためにはまずは現実を分析する事が必要だと感じました。
マルクスはここでエンゲルスと手を組むよ。
エンゲルスは生涯にわたってマルクスを支援し続けた
思想が先にくるのが空想的社会主義、現実が先にくるのが科学的社会主義という解釈がまずはできます。
そして、マルクスは現実から資本主義社会を分析しました。
思想よりも現実が先にくるのならば、現実を分析しなければならないと考えたからです。

マルクスからみる資本主義社会のしくみ

マルクスはまず資本主義社会がどのような仕組みなのかを考えました。

すべてのものが商品になる社会だと考えたのです。

特殊な商品としての労働をまずは考えていきます。

労働を商品と考えていくと、資本主義社会の弊害が見えてくる

まず労働者は労働を商品とします。

労働=商品

資本主義以前、労働者は土地で農耕していたんだけど、羊産業者に土地を奪われることで自分の土地(利益をうみだすもの)がなくなってしまった。(羊が人間を喰う)
土地の代わりに労働者は自分を商品(労働)として売るしかなくなる
資本家は労働者から労働を買っているのです。
なので、労働の生産物は労働者のものではなく、資本家のものになります。
出来た!!
僕が自分で作ったんだ!
君のその創作する時間は私が買っていた。
つまり、君がつくったものは私のもの。
でもお小遣いに1000円あげる
労働者は賃金とひきかえに資本家に労働を提供しているので、出来たものは資本家のもの、賃金は労働者のものです。
  • 労働によってできたもの⇒資本家のものになる
  • 労働によって労働者が得るもの⇒貨幣
お小遣い1000円なら嬉しい
では、この仕組みは何が問題になるのでしょうか。
簡単にいえば、資本主義形態の社会が値付けをする、という構造に問題があります。
値付けされる労働の中身をみてみましょう。
当時、労働者は一日単位で「労働日を売る」という感覚でした。
図から売られた労働日(例えば10時間)の内訳を見てみると、もらえる賃金相当の仕事を6時間でおえて、4時間分は余剰価値を生みだしていることがわかります。
つまり、資本家は実際の賃金よりも多くの余剰価値を受け取っているのです。
労働者はいくら余剰価値をたくさん生みだしても、必要労働時間分の賃金しかもらえません。
この余剰価値が資本家に搾取されていると前期マルクスは考えた
では、価値とは何でしょうか?
資本主義社会において、価値は従来の意味とは別の意味になっています。

価値とは

資本主義社会以前の価値は、そのものの価値、という意味がありました。

僕は僕であることに価値がある!
一つに、そのもの自体にそのもの固有の価値がある、という捉え方です。
値付けをする必要がない。
もしくは、商品ではなかったのです。
例えば、物々交換をする場合に、その人にとっての価値と同等なら交換ができた。
鉛筆一本とりんご一個とか
しかし、資本主義社会になると、価値あるものはすべてが商品になります。
価値の意味が変わっていくのです。
もっとも重要なことは、価値という社会的な力は、人間たちが労働生産物を価値物として扱うかぎりでのみ、発生するということだ。
商品の使用価値はその生産物にもともとそなわっている性質に由来するが、価値のほうは純粋に社会的な属性である。
つまり、ある労働生産物が価値をもつのは、あくまで私的生産者たちが労働生産物にたいしてそれに価値という力を与えるようにして関わる限りでしかない。
(カール・マルクスp121)
えっ、僕の価値は社会的に決められて、商品になっている
君を買うわけじゃないけど、労働力は値付けできる
マルクスは商品の価値には、使用価値と価値があると考えました。(カール・マルクスp101参照)
  • 使用価値⇒商品がもつ有用性
    (パンを食べる、パソコンで情報をえる、スマホでメールをするなど)
  • 価値⇒商品の交換価値の変動、あるいは価格の変動の中心点。
    その商品の生産に費やされた労働量によって決まる。
    (ゲーム機がいくら高くても、例えば一万円前後というような平均点を持っている)
  • 交換価値⇒そのときどきに商品がどんな交換比率で交換されるかを示したもの。
    価格は交換価値の一種。
    (需要と供給により決まるので、人気のあるゲーム機は高い)
交換価値だけだと、ゲーム機が高いときだと10万円という価格になってしまう。
でも、人が「だいたいこのくらいの平均的値段があるよね」と価値を考えることで、高くても2万円にとどまったりする
資本主義以前の社会と、資本主義社会では価値が違います。
生産物を商品として値踏みをすることで、違う生産物を共通の生産物として扱うようにできるのです。
貨幣は、人間の労働と人間の現存在とが人間から疎外されたものであり、この疎遠な存在が人間を支配し、人間はそれを礼拝するのである。
(カール・マルクスp50「ユダヤ人問題によせて」からの抜粋)
資本主義社会において労働の価値は社会によって値付けされてしまう。
つまりそれは、労働の疎外(疎外された労働)を意味します。
1000円は嬉しかったけど、自分で自分の労働の価値を決められないのって、なんか虚しさもある
この虚しさは、人間が類的存在(労働を通じて、他者と連携するあり方)だから、という説明もできる
この貨幣を通じてみる視点から、さらにどのようなことが起こるのでしょうか。

物象化と物神崇拝

資本主義社会では、さまざまな商品を貨幣(値付け)にして取引ができるようにします。
まったく違う性質、例えば米と大根をいったん貨幣にしてから交換するように、社会的な力(価値)をはたらかせるのです。
人間たちがこのようなふるまい方をしていると、それはだんだんと人間の見方にも適応されていきます。
  1. 臣下たちが特定の個人Aを王として認めるようにふるまう。
  2. そうふるまうことによってAは臣下たちにたいして王としての力を持つものとして現れる。
  3. 現実にAは王としての力を行使することができる。
    (カール・マルクスp121)
僕たちがそうふるまっていることが現実になってしまう!
これを物象化と言います。
物象化⇒人間の能力や人間関係が(商品とみなされたり、貨幣ではかられたりするように)物として扱われること
 このような物象化の関係が定着すると、どんな労働生産物も価値をもち、商品となるのは当たり前だと人間は考えるようになります。
あっ、きれい!
これいくらなんだろう?
そして、この考え方が極端になると物神崇拝になります。
物神崇拝⇒人間がうみだしたもの(商品や貨幣)が、独自に運動しているように思われ、それを信奉すること
高いものは良いもの!
高いものは品質がよい、社会的地位が高いから良い人、というような価値観です。
価値は人間の特定のふるまいによって労働生産物に与えられる属性であるにもかかわらず、労働生産物じだいの自然属性だと錯覚するようになるのである。
このような錯覚のことを物神崇拝という。
このような錯覚が浸透すると、生産物が商品であることは不思議でもなんでもなくなってしまう。
(カール・マルクスp123)
あれ?
僕は自然になんでも値踏みをしている
値付けるという直接交換可能性(なんでも交換できる)という特別な力を人々は持ちたがるのです。
マルクスはその錯覚を物神崇拝と呼びました。
ところで、マルクスは宗教をアヘンだと述べています。
人々が宗教を信仰し、空想的な幸福を追求するのは、現実世界で苦しみ、現実的な幸福を実現することができないからだ。
その意味で、宗教は人々の現世的な苦しみをやわらげる「民衆のアヘン」なのである。
だとすれば、宗教からの解放は、宗教の批判によっては完遂されない。
それは、現実世界において人間らしい生活を取り戻すことによって実現されなければならない。
(カール・マルクスp53)
物神崇拝も宗教だからアヘン
人々は何を具体的に崇拝しているかといえば余剰価値だ、と「社会学史」では述べられていました。(社会学史p182)
人間が物象化されることが当たり前になると社会的にも問題が起きてきます。

マルクス理論の移り変わり

労働の疎外は資本主義のシステム上、変更することはできません。

物象化されるからだね。
人が自分のうみだしたものによって支配される

資本主義システム上、資本家は搾取することによって他の資本家と競争します。

利益がでないと資本家も倒産してしまう
資本家は競争に勝つ。
そのためには搾取の他に設備投資として、機械も取り入れていきます。
設備投資すると先ほどの図に変化が訪れます。
必要労働時間は減って(例えば4時間)、その分は余剰労働時間(6時間)になるのです。
機械は労働をになうので必要労働時間は減る。
だんだん機械化がすすんでいく。
そうなると資本家は、人をリストラすればよい、と考えます。
一人ひとりの労働者の時間を削るのではなくて、人を削減したほうが利益がでる。
労働者にはまた明日も元気で働いてくれる賃金さえ払えばいいから、そこは変えなくてもいいと考える
機械化がすすむと失業者が増える。
けれど、資本家は自社の利益を増やすことが目的なので、失業者を考慮できません。
すると、次には商品自体が売れずに、全体の利益が少なくなってしまうという事態がおこります。
失業でお金がなくて、商品を買う人がいなくなっちゃうからだ
工場で作られた物はあふれるけれど、それを買える人がいない。
これによって定期的に金融恐慌が訪れるようになるとマルクスは考えました。
労働者は生活のため、資本家は競争のためにがんばる。
でも、結局は資本家もうまくいかなくなってしまう
資本主義のシステム上、失業者があふれ、ものがあふれ、労働者階級による革命がおこるとマルクスは考えるのです。
ブルジョア(資本家)的生産関係と交通関係、ブルジョア的所有関係、すなわちこのように強大な生産手段と交通手段とを魔法でよびだした近代ブルジョア社会は、自分がよびだした地下の魔物を、もはや統御しきれなくなった魔法使いに似ている。
‐恐慌期には、これまでのどの時代の目にも不条理と思われたであろう社会的疫病、すなわち過剰生産の疫病が発生する。
(カール・マルクスp79)
資本家が呼び出した魔物が恐慌を引き起こす
マルクスは当初、革命を推進していました。
革命家だったのです。
しかし、マルクスの考えに変化が起こります。

マルクスの認識論的切断

革命を推進する思想は、前期マルクスの主張と言えます。

この意味だけを切り取ってマルクス主義とするならば、世界的におこったマルクス主義からの革命もそう理解できるかもしれません。

前期マルクス⇒労働者の立場にたったヒューマニズム視点
(労働者は資本家に搾取されているから革命を起こそう!)
この視点だと空想的社会主義との明確な差がわかりません。

しかし、マルクスの理論は発展していきます。

資本家が悪いのではなくて、資本主義の仕組みが悪い、という視点です。

後期のマルクス⇒原因と結果で考える科学者の視点
科学者視点なので、科学的社会主義と呼ぶことができます。
この思考の変化のことをアルチュセールは認識論的切断と呼んだ
人々は何でも物象化して考える。
この考え方は、科学革命ででてきたニュートン力学と似ています。
人間は無意識のうちに、ニュートンの力学がなしているのと同じ操作を、商品に対して施しているわけです。
(社会学史p154)
マルクスは資本主義社会を分析しました。
どうしてその社会では、すべてのものが商品になるのか。
それを分析し、説明することは、たとえば科学革命を起こしたような、あるいはその後に産業革命を起こしたような世界観が、どのような社会的な基盤から出てきたのか、ということの分析と説明でもあるわけです。
(社会学史p155)
前期マルクスは空想的社会主義と区別できないけど、後期マルクスは科学的社会主義

後期マルクスが考えた構造を見ていきます。

科学的社会主義と唯物史観

マルクスは資本主義から社会主義への移行を明らかにするため、社会の歴史を考察しました。
その歴史論は、唯物史観(ゆいぶつしかん、史的唯物論)とよばれます。
唯物論⇒物質だけが実在し、精神は物質の運動によって生じたものにすぎないとする考え方
ヘーゲル哲学に対する批判だね。
人は啓蒙によって変わるわけではない
このような唯物論でなければ、啓蒙主義的な弊害があるとマルクスは考えます。
例えば、マルクス主義を主張したレーニン毛沢東のたてた社会主義国家。
これら社会主義国家では、国家に人々が従うように思想が規定されました。
しかし、マルクスは啓蒙主義を批判していたので、思想で人々を規定しようとする思想はマルクスの思想とは違っているのです。
主義って主張や意見のことだから、一貫してそれを押し付けることはマルクスの思想とは違うんだね
また革命によるものではなく、議会や労働運動を通じて社会の改良を重ね、社会主義の実現をめざす思想運動にも、マルクスは影響をおよぼしました。
  • ウェッブ夫妻バーナード=ショウを中心とする、イギリスのフェビアン協会によるフェビアン主義
    (社会不平等の是正につとめた)
  • ドイツのベルンシュタインによる社会民主主義
これらの主張はだんだんと人々の生活を改善していく運動です。
フェビアンの由来はハンニバルを持久戦でゆっくりと破った名将からとっている

唯物史観

マルクスは、人間が生きるために必要なものを生産するためのもの(土地や材料)を生産手段と呼びます。

生きていくための衣食住を生産する手段です。

そして、生産のために取り結ぶ人間関係のことを生産関係と呼びました。

各時代の生産関係

  • 奴隷制
    (支配階級=主人、被支配階級=奴隷)
  • 封建制
    (支配階級=封建領主、被支配階級=小作人)
  • 資本主義体制
    (支配階級=資本家、被支配階級=労働者)
  • 共産主義体制
    (支配や抑圧がない体制)

各時代において、生産にかかわる階級間の対立(階級闘争)がはげしくなり、生産関係の変更(社会革命)がおこります。

資本主義体制がうまくいかなくなると、共産主義へと移行するとマルクスは考えました。

共産主義⇒財産を私有ではなく共同体による所有(社会的所有)とすることで貧富の差をなくすことをめざす思想

時代によって思想は移行していく。
その時代の思考を規定するものをマルクスはイデオロギーと考えたよ

イデオロギー

自分の思想や信念は自分の意識が生み出したわけではなく、その時代の下部構造(経済構造に決められているとマルクスは考えました。

下部構造⇒各時代の生産関係による経済構造。
(人の意識が経済構造を作るのではなく、経済構造が人の意識を作る)
下部構造の上に上部構造(人々の意識のあり方)があります。
上部構造⇒法律、政治、道徳、文化など人の意識のあり方、イデオロギー
各時代のイデオロギーの例を見てみます。
  • 古代のイデオロギー
    物事は哲学者がきめる、知識が大事、考える時間を確保するために奴隷が必要
  • 中世のイデオロギー
    すべては神がきめる、贅沢は敵、領主に忠誠を誓うことが大切
  • 現代のイデオロギー
    物事は多数決、お金は人生を豊かにする、自由と平等が一番大事

このように、例えば中世において贅沢は敵だとされましたが、資本主義体制において贅沢は悪とは言い切れません。

ということは、僕が自分で考えた!と思っていることも、下部構造に規定されて出てきた意見なのかもしれない
マルクスはあたかも主体的な意見だと主義主張したものを疑似意識と呼んで批判した
こうして時代は、奴隷制⇒封建制⇒資本主義⇒社会主義⇒共産主義の順で進歩するとマルクスは考えました。
このように、歴史を動かす原動力を、人の意識といった精神的なものではなく、生産力の発展といった物質的なものだと考えることを唯物史観といいます。
(社会学用語図鑑p47)
唯物史観は後期マルクスの科学的社会主義の内容です。
けれど、後期マルクスはまだマルクスの思想内容ではありません。
マルクスは全3巻からなる『資本論』を書いている途中で亡くなってしまいました。
残っている大量のメモを見ると、どうやらまたマルクスは認識論的切断をおこしていたようです。
マルクスは進化していた!

科学的社会主義とその後

後期マルクスの主張とは異なり、時代は資本主義にとどまり続けています。

‐生産様式のあり方を根本的に規定するのは、労働のあり方である。

人間たちが私的個人に分裂したままであるかぎり、どれほど生産手段を国有化しようとも、生産の私的性格は根本的には変化せず、商品や貨幣もまた廃絶されない。

また、生産手段を国有化しただけでは、たんに資本の担い手が私的個人から国家官僚に移行するだけであり、そこで働く労働者が賃労働者であることには変わりがない。
(カール・マルクスp198)

資本主義システムは続かざるをえない。
続かないと思っていたものが続く原因って何だろう?
マルクスは晩年に歴史は進化するという見方を変えた、というのが今現代に注目をあびているマルクス思想です。
それは、資本主義よりも前に地球がなくなる、という視点。
資本主義は自然科学を無償の自然力を絞り出すために用いる。
その結果、生産力の上昇は掠奪を強め、持続可能性のある人間的発展の基盤を切り崩す。
そのような形での自然科学利用は長期的な視点では、「搾取」的・「浪費」的であり、けっして「合理的」ではない。
そう批判するマルクスが求めていたのは、無限の経済成長ではなく、大地=地球を〈コモン〉として持続可能に管理することであった。
(人新世の「資本論」p190)
(コモン⇒あるいは〈共〉と呼ばれる考え。社会的に人々に共有され、管理される富のことをさす。)
資本主義システムが続いている原因は自然の富だった。
人間は自然を搾取している
「私財の増大は、公富の減少によって生じる」
(人新世の「資本論」p244)

「可能な」共産主義

マルクスにとっての共産主義は「可能な」共産主義になっていました。
それは、国家による計画的経済ではなく、労働者たちのアソシエーションである協同組合が互いに連合し、社会的生産を調整する、そのようなシステムです。
機械化が進むと、仕事の中身は単純労働になり、賃労働者の立場はますます弱くなります。
労働条件はいっそう過酷になる。
しかし、彼らは賃金労働者として生きていくために、団結して闘うことを覚える。
‐自発的に結社を形成することをアソーシエイトといい、アソーシエイトによって形成された結社のことをアソシエーションというが、まさにプロレタリアート(労働者階級)は自らの生活をまもるために労働組合というアソシエーションを形成していく。
(カール・マルクスp81)
(アソシエーション⇒労働者が自らの生活をまもるための労働組合)
運動をしないと余剰価値は増えても、賃金はそのままになってしまう
マルクスはアソシエーションの維持の方が労働者階級にとって賃金の維持よりも重要になっていくと考えます。
そして、アソシエーションから〈コモン〉を大事にする道が示されるのです。
〈コモン〉は、アメリカ型新自由主義とソ連型国有化の両方に対峙する「第三の道」を切り拓く鍵だといっていい。
つまり、市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのでもなく、かといって、ソ連型社会主義のようにあらゆるものの国有化を目指すのでもない。
第三の道としての〈コモン〉は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す。
(人新世の「資本論」p141)
アソシエーションによってコモンを管理する社会
この発想は歴史は進歩しているという思想をマルクスが批判したことから見えてきました。
伝統に依拠して進歩していないと思われた昔ながらの共同体。
その共同体は「未開」で「無知」だったから貧困にあえいでいたわけではなく、あえてそうしなかったのだ、という視点が見えてきたのです。
経済成長をしない循環型の定常型経済。
その経済を捉え直していくという発想が、晩期マルクスにはありました。
実は今の福祉国家とも晩期マルクスの発想はつながっていく

福祉国家とは

「可能な」共産主義というのは、現代の福祉国家とよく結びついています。
福祉国家⇒資本主義によって生み出された貧困などの社会的問題に対処し、人々の安定した生活を目指す国家
社会保障の起源はアソシエーションから生まれました。
今、国家が担っているような社会保障サービスなども、もともとは人々がアソシエーションを通じて、形成してきた〈コモン〉なのである。
つまり、社会保障サービスの起源は、あらゆる人々にとって生活に欠かせないものを、市場に任せず、自分たちで管理しようとした数々の試みのうちにある。
それが、二〇世紀に福祉国家のもとで制度化されたにすぎないのだ。
(人新世の「資本論」p145)
アソシエーションがないと、資本主義システムは価値をずっと生みだそうとして自然も労働者も壊してしまう
例えば、アソシエーション運動がなければ、水も空気も木々も商品(値付けられる)になっていきます。
要するに、晩期マルクスの変革構想は、物質代謝の固有性と多様性にもとづいて、あらゆる領域で物象の力に抗していくことであり、それをつうじて労働者たちのアソシエーションの可能性を拡大していくということであった。
(カール・マルクスp253)
マルクスは労働そのものが第一の生命欲求となる未来社会論を展開していました。

科学的社会主義とマルクスまとめ

簡単にまとめます。

  • 前期マルクス⇒革命推進。マルクス主義と呼ばれて社会運動をおこした。
    空想的社会主義とあまり区別がつかない。
    資本家は労働者を搾取している。
  • 後期マルクス⇒科学的視点から資本主義システムの構造を批判する。
    啓蒙主義も批判している。歴史は進歩する。
  • 晩期マルクス⇒可能な「共産主義」を説く。歴史は進歩しない。
    人間は自然を搾取している。
マルクスがマルクス主義でないのは、マルクスが思想を進化させているからです。
科学的社会主義は、人々が科学的視点として物象化視点をもってしまったことを指します。
資本主義システムは人間らしさを失わせる(疎外)。
現実によって思想はかわる。(イデオロギー)。
晩期マルクス研究は現在も続いているよ
今回は科学的社会主義とマルクスをやりました。
次回は、キルケゴールを取り扱います。
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