「現代に生きる人間の倫理」
第4節「社会と個人」
10.ヤスパースと哲学的信仰
>>1.アダム=スミスと「見えざる手」
>>2.ベンサムと「最大多数の最大幸福」
>>3.ミルと功利主義の修正
>>4.社会学とベルクソン
>>5.プラグマティズムとは何か
>>6.空想的社会主義とは何か
>>7.科学的社会主義とマルクス
>>8.キルケゴールと質的弁証法
>>9.ニーチェとニヒリズムの処方箋
(限界状況⇒科学で解明したり、技術で解決したりできない人生の壁)
その中でどうやって超越者を描きだすのか注目だね
- ヤスパースの「哲学・宗教・科学」の区分け
- ヤスパースの哲学的信仰のすすめ
参考文献 「ヤスパース 人と思想」宇都宮芳明著、「哲学入門」ヤスパース著 草薙正夫訳
ヤスパースの「哲学・宗教・科学」の区分け
実存哲学、といっても各哲学者によって実存で表していることが異なります。
ヤスパース(1883-1969)の「実存」は、どこまでも個としての人間にのみ固有な存在のしかたのこと。
ヤスパースの「実存」は、簡単にいえば、個としての自分に真に目ざめた人間のあり方のことで、つまりは自分が他人と代置不可能な存在であることを真に自覚した人間のみが実存するのである。
(ヤスパース 人と思想p90)
哲学と科学
ヤスパースは哲学と科学を明確に区別しました。
まずは科学。
科学はもろもろの事実について価値判断を控え、それらが事実どのように存在するかを明らかにする限りにおいて、自らの独立性と真正性とを確保する。
科学的認識は人生に対していかなる目的をも示すことができないが、しかしまさにそのゆえにこそ、万人に共通な科学的真理を提供しうるのである。
(ヤスパース 人と思想p101)
ヤスパースは科学を万人に共通な科学的真理を提供しうるものであるとしました。
そして、それゆえに各々の価値判断を控える、としたのです。
つまり、科学的じゃない
それに対して、哲学は価値判断をするもの、とヤスパースは考えました。
実存は、万人に共通な科学的真理を提供する科学的立場からは扱うことができない個々人のこと。
その実存(まさに現実に存在すること)を扱う学問として哲学を定義したのです。
哲学は科学や技術とはちがって、なにか目に見える具体的な研究成果といったものをうみだすことはできない。
哲学するということは、その意味ではきわめて非生産的な営みであるといえよう。
生産性や実効性が重視される現代技術社会においては特にそうで、哲学の不毛性が攻撃されるのは実は主としてこうした実効性の観点からなのである。
‐「なんらの成果ももたないが、しかし有意義な思索というものが存在する」
(ヤスパース 人と思想p99)
哲学と宗教
この流れで見るならば、理性に反する感想や情が哲学になってしまいます。
しかし、ヤスパースは「思索は本性上すでに体系的である」としました。
ヤスパースの哲学は実存からの哲学が同時に理性による哲学であることも主張したのです。
ここで彼は宗教と哲学を区別します。
なるほど哲学は、「瞬間的な単独者の飛翔(ひしょう)のうちで宗教に近いものになる」が、しかし、哲学的に実存しようと欲する人間は、宗教的な人間があえて試みる自己放棄による回生といった飛躍を、自己において行うことを許さない。
‐宗教とちがって哲学は、権威への服従に対して実存の自由を、われわれを強制し束縛する教義に対して理性の自由な思索を要求するのである。
(ヤスパース 人と思想p119)
つまり、ヤスパースは実存には自由が前提にある、としました。
その自由は人間としての自由。
人間は理性的なものであり、理性に対する信頼を放棄したとき、人間は自らすすんで権威に服従して哲学をしなくなるとヤスパースは考えるのです。
宗教と戦うなら、その神は何?
理性的とは
まず理性的とはどういうことかを考えてみます。
例えば、子どもに「はじめに神様は天と地をつくった」と教えたとします。
すると子どもは「はじめの前には何があったの?」と問いました。
このことはすでに、理性の限界を示しているのです。
つまり、科学的(理性的)な運動を認めている
- 科学は客観的な科学的真理を提供しうるものであるけれど、ずっと理性的な運動を続けているもの。
- 実存哲学は主観的な真理を提供しうるものであるけれど、ずっと理性的な運動を続けているもの。
限界状況とは
実存を考えるとき、具体的な人間的状況をイメージしてみます。
生きるうえで避けられない戦争、悩み、偶然、死、罪。
これらは私たちが意図して避けることが出来ないことがら(限界状況)です。
この限界状況における実存は、自分が有限だという意識を持ちます。
すなわち存在意識の最終的な変革に対応してもろもろの事象は超越者の「暗号」となり、世界は「暗号の世界」となるのであって、実存はこれらの暗号の解読という形でそれ自身は見ることのできない超越者の現実を確認する。暗号はまた、実存が聞き取る超越者の「ことば」であるともいえるが、それは実存の絶対意識にただ瞬間的にのみ伝えられる「超越者の直接的なことば」と、神話や啓示や芸術にみられる実存相互間に伝達可能なことばと、哲学的伝達の可能な思弁的なことばに分類される。
(ヤスパース 人と思想p104)
かつ、強制収容所に送られそうになって2人で自殺するしかない直前、戦争が終焉に向って助かった。
人は限界状況を乗り切るため、挫折しないために、それにどんな意味があるのか問わずにはいられない
科学は世界を分析し、実存哲学は包括者(超越者)を分析する。
ヤスパースの実存哲学の主旨。
「理性は実存から現実的内容をうる、実存は理性によって明瞭性をうる」
では、具体的にヤスパースはどのようなことが哲学的実践だと説いたのでしょうか。
ヤスパースの哲学的信仰のすすめ
ヤスパースは哲学には3つの根源があると述べました。
驚きから問いと認識が生れ、認識されたものに対する疑いから批判的吟味と明晰な確実性が生れ、人間が受けた衝撃的な動揺と自己喪失の意識から自己自身に対する問いが生れる。
(『哲学入門』p22)
驚き、疑い、絶望(限界状態からの包括者の意識)の3つを哲学の根源としたのです。
「愛しながらの闘い」(例えば話し合いや討論)から人間は本来的な自己にいたる、とも
そして、ヤスパースは哲学の根源を「哲学的信仰」とも名づけました。
哲学的信仰とは
科学と宗教の間の哲学的信仰。
それは、実存からの思索であり、理性による思索であり、超越者(包括者)に対する哲学的信仰です。
また、「真理を信仰し、真理に賭けた生き方を貫くこと」とも言えます。
哲学的信仰における3つの信仰
- 神への信仰
神性は根源であり、目標であり、安らぎであって、ここに人間の庇護がある。 - 人間への信仰
自由の可能性への信仰であり、自由に基づく人間のもろもろの可能性への信仰。
また、人間相互の真の交わりが可能であるという信仰。 - 世界のもろもろの可能性への信仰
世界が全体としては考量不可能であり、くみつくすことのできないもろもろの可能性をもっているということへの信仰。
その対話は人間信仰が元になっている