「日本人としての自覚」
第3節「近世日本の思想」
④荻生徂徠(おぎゅうそらい)と経世済民
- 荻生徂徠と古文辞学
- 荻生徂徠の思想
- 荻生徂徠とドン・キホーテ
参考文献 反「近代」の思想(舩橋清)、荻生徂徠 江戸のドン・キホーテ(野口武彦)
荻生徂徠と古文辞学
荻生徂徠(1666-1728)は古文辞学を唱えました。
初めは朱子学を勉強し、次に伊藤仁斎の思想(古義学)にも感銘を受けたといっていたのですが、後年には独自の古文辞学をうちたてたのです。
>>孔子の教え
- 古義学⇒朱子学より前の孔子・孟子の思想にかえる
- 古文辞学⇒朱子学より前の孔子にかえり、さらには孔子が参考にした先王の思想(先王の道)にかえる
つまり、古文辞学の方がさらに前にかえっているということです。
(古語を)訓読したのでは、ただ多少むずかしい漢字を使った漢文一般としか感じないのである。だから、徂徠に李王の古文辞がよめなかったことはたいへんな学力であった。
「荻生徂徠 江戸のドン・キホーテ」p76
荻生徂徠は伊藤仁斎を非難した
荻生徂徠が古文辞学をたちあげたのは晩年になってからです。
一時は伊藤仁斎の思想に感銘を受けて、手紙を書きました。
>>性善説と性悪説
ただし、性悪説と性善説というのは言葉による区切りであって、実際に性悪説を説いた荀子も性善説の仁を批判できているわけではないよ。性悪説では礼(規則、しきたり)を重視しようという面が強め。
荻生徂徠が幕府に重んじられた理由
荻生徂徠は将軍徳川綱吉のブレインである柳沢吉保(やなぎさわよしやす)に一目おかれました。
こんなストーリーがあります。
一人の百姓が、貧困のあまり田んぼや家や妻を手放して、自ら頭をそって僧形となって道入と名乗った。
道入は母を連れて乞食をしながら生きていた。
あるとき、母が病気となった。
道入は母を道端に捨て置いて、自分は江戸に出てきてしまった。
置き去りにされた母から事情を聞いたものが、道入に親捨ての罪があるとした。
それでも、
儒者一般「母を養うことが出来ない状態だったので、刑を課すことはできない」
という判断をした。
儒者一般の中で、徂徠はその先を提示。
徂徠「刑を課すことはできない。
しかし、問題はそういう者が領地から生まれたということにある。
それは領主の責任であり、家老の責任であり、その上の責任にもなる。」
柳沢吉保は徂徠の言葉を聞いて、導入に玄米5合を与え、元の在所に住まわせてやることにした。
それ以来、吉保は徂徠を「用に立べき者也」と評価するようになった。
「反『近代』の思想」p63
荻生徂徠は実学的であり、功利主義とも言われています。
他にも本を参照すると、このような思想が徂徠に読み取れます。
- 陰謀というのはもともと仁の道である。
敵味方の人員の損傷を少なくして成果をあげるのが陰謀の本来のあり方だ - 人君たるものはたとえ道理に外れ、人に笑われるようなことでも、それが人々の安心安寧につながるなら、どんなことも行う
- 荻生徂徠の学が中心とするものは功利である
- 為政者は、天候不順(飢餓や災害など)の予兆をいかに感知するかが重要
国を安泰にする思想が読み取れます。
荻生徂徠の思想
そもそも徂徠の「先王の道」は、古代の聖王が「天下を安んずる」あるいは「民を安んずる」目的を持って制作したものであった。
「反『近代』の思想」p307
先王の道は制作したもの、というのがポイントです。
先王の道は、聖王が国を統治するためにつくった「天下を安んずる道(安天下の道)」。
聖人や君主がその当時に合っている礼楽(礼儀と、心をなごませる音楽など)を作り上げたから、孔子以前には平和な時代(先王の時代)があったとしたのです。
「先王の道」は「礼楽刑政」(れいがくけいせい)に代表されています。
⇒古代中国で国の秩序を保つために必要とされた四つで、礼儀・音楽・刑罰・政令の事
徂徠は世界がこのような複雑な文化装置によってなりたっていることを認めます。
そこから、その時代に合った礼楽は、聖人にしか打ち立てることはできないとしました。
経世済民
荻生徂徠が考えた安天下の道は、世界全体を調和させて発展させていくものです。
なので、個人の修養ではありません。
⇒世を経め(おさめ)民を救うこと。
民衆の安寧をはかること。
荻生徂徠とドン・キホーテ(教科書外)
参考文献にした本では、荻生徂徠をドン・キホーテに例えています。
ドン・キホーテといえば、スペインに住む初老の男が、騎士道小説に感化されて冒険に乗り出すという話。
ドン・キホーテは貨幣経済成立期の世の中で、時代遅れの「騎士道精神」を叫んだ滑稽本としても評価を受けた本です。
ドン・キホーテが「騎士道精神」を叫ぶ対比として、荻生徂徠が「封建井田」(ほうけんせいでん)を提唱したことと比較させています。
(封建井田⇒一里の田んぼを9分割して、8個を家族に与えて残りの一つを公田として共同で耕して租税とする制度)
現実はしなかったみたいだけど、貨幣経済に対して批判をしていた
確かに、貨幣経済は価値観のトップがお金になりがち
ドン・キホーテが正気になって世にもたらすであろう利益なんぞ、彼の狂気沙汰がわれわれに与える喜びに比べたら物の数ではないってことが、あなたにはお分かりにならないんですか?
「反『近代』の思想 p313 (ドン・キホーテ後編から抜粋した個所)」
社会秩序は天から与えられるのではなく、人が作り出すもの、という点は近代的!