「日本人としての自覚」
第3節「近世日本の思想」
②中江藤樹と日本陽明学
>>林羅山と江戸幕府
儒学という思想的営為の窮極の目的とするところのものが「世の中全体の調和と充実」の実現にある、ということであり、もう一つには、その目的を達成するには「人が天地と一体化すること」が絶対的な条件とされる
「伊藤仁斎の思想世界」p9
- 中江藤樹の生き方
- 中江藤樹と日本陽明学
参考文献 代表的日本人(内村鑑三著、鈴木範久訳)、伊藤仁斎の思想世界(山本正身)
中江藤樹の生き方
倫理の教科書には、生き方が「すごい」人がたびたび登場します。
その一人が中江藤樹(1608-1648)。
中江藤樹は朱子学から出発したのち、陽明学も取り入れて、自ら学校を築いて思想を人々に教えました。
中江藤樹の時代
中江藤樹が生まれたころは、江戸幕府(1603年)が開かれた時代。
世の中は荒れていて、学問や思想を求めることは、なんの価値もないと思われていた時代です。
「天子から庶民にいたるまで、人の第一の目的とすべきは生活を正すことにある」
(代表的日本人p116)
中江藤樹と母
孔子の教えでは孝(両親や祖先への敬愛)を大事にしています。
中江藤樹には母が一人いました。
あるとき、藩主に中江藤樹だけが呼ばれる、という事態がおこります。
母を置いて立身出世に身を投じるのか、それとも、それをあきらめて年老いた母とともに暮らすのかという選択を迫られたのです。
中江藤樹は出世を捨てて、生涯を母にささげることにしました。
聖人となること、完全な人となることは、藤樹の目には、学者、思想家であるよりも偉大なことでした。
「代表的日本人」p121
中江藤樹は仏教が好きになれなかったみたい
例えば、孟子はみんなに仁の芽ばえ(端)があって、それを伸ばしていくと仁になるとしていたから、孝ができなければ端を広げることができない、という理論になる。
>>性善説とは
母への愛は応用を効かせることで、聖人への道になる
学校を開く
中江藤樹は母とひっそりと暮らしていました。
28歳になったとき、行商をやめて村に学校を開きます。
田舎に住み一生を安泰にくらす、という中江藤樹はなぜ有名になったのでしょうか?
江戸幕府が開かれたころというのは、儒学が広まり始めた時代。
まだ儒学の普及は低く、しかも、幕府に登用されていた朱子学は身分秩序を大事にしていました。
そして、勉強というのも身分の高い人だけがやればよいものとされていたのです。
”学者”とは、徳によって与えられる名であって、学識によるのではない。学識は学才であって、生まれつきその才能をもつ人が、学者になることは困難ではない。しかし、いかに学識に秀でていても、徳を欠くなら学者ではない。学識があるだけではただの人である。無学の人でも徳を具えた人は、ただの人ではない。学識はないが学者である。
「代表的日本人」p123
中江藤樹と熊沢蕃山
熊沢蕃山(くまざわばんざん 1619-1691)は聖人に出会うための旅をしていました。
ある日、立ち寄った宿で旅人のこんな話をききます。
主君の命令で、数百両のお金を託されて帰宅途中。
道中で馬に乗るときに、そのお金を馬の鞍に結び付けておきました。
そして、それを忘れたまま、馬を返してしまったのです。
大変な忘れ物をしたことを、宿について思い出しました。
「これは切腹しかない」
家老や親族に、最後を迎える決意を手紙にしたためました。
そんな真夜中、誰かが宿を訪ねてきたのです。
その男は私を乗せた馬子本人でした。
馬子「鞍に大事なものを忘れていきましたよ」
その場所から宿までは16キロほど離れた場所だったのですが、馬子はわらじをダメにしながらも渡しにきてくれたのです。
お礼に4分の1を謝礼として渡そうとしましたが、断られました。
わらじ代だけ受け取ってもらえたのです。
どうしてそんなに無欲で正直で誠実なのかと聞くと、馬子の先生が中江藤樹という人で、先生は「利益をあげることが人生の目的ではなく、正直で正しい道に従うことが目的なのだ」と教えているからだと言うのです。
熊沢蕃山のその後
熊沢蕃山は中江藤樹が説いた陽明学を継ぎました。
「治国平天下」という儒教の理念を、現実とのかかわりで「治山治水」として展開して、環境問題も論じているそうです。
例えば、山々の木を切りつくすと保水力が乏しくなるなど。
洪水や大飢饉に対して、災害対策や農業政策の充実などをしたといわれています。
中江藤樹と日本陽明学
中江藤樹は万人に共通する道徳の原理を孝に求めました。
親孝行だけではなく、孝はあらゆる人間関係に及ぶことだとして人倫を成立させる原理だとしたのです。
さらに発展させて、宇宙万物を存在させる根本原理(全孝)であるとしました。
「あらゆる事物には孝の道理がそなわっている」
(中江藤樹の言葉)倫理の教科書p94
身分によって差別をしなかった
中江藤樹の思想
>>陽明学とは
徳を持つことを望むなら、毎日善をしなければならない。一善をすると一悪が去る。日々善をなせば、日々悪は去る。昼が長くなれば夜が短くなるように、善をつとめるならばすべての悪は消え去る。
「代表的日本人」p135
ただし藤樹の場合、時・場所・身分を考えて不正や煩悩を除いてから実践することが善みたい
村の窪にも山あいにも、この国のいたるところに聖賢はいる。ただ、その人々は自分を現わさないから、世に知られない。それが真の聖賢であって、世に名の鳴り渡った人々は、とるに足りない
「代表的日本人」藤樹の言葉p139
今回は中江藤樹と日本陽明学をやりました。
次回は古学について取り扱います。
近世日本の思想全9回
>>①林羅山と江戸幕府
>>②中江藤樹と日本陽明学(今回)
>>③古学が流行した理由
>>④荻生徂徠(おぎゅうそらい)と経世済民
>>⑤本居宣長と国学
>>⑥石田梅岩の石門心学とは
>>⑦二宮尊徳と学問的精神の展開
>>⑧蘭学と幕末
>>⑨明治維新の思想