「日本人としての自覚」
第4節「西洋思想の受容と展開」
④教育勅語(きょういくちょくご)と「戦前」の日本
(勅語⇒天皇が国民に対して発する意思表示の言葉)
- 教育勅語の意義
- 教育勅語の内容
参考文献 「戦前」の正体(辻田真佐憲)、昭和天皇の学ばれた教育勅語(杉浦重剛、解説 所功)
教育勅語の意義
新政府は1889年に大日本国憲法を制定。
その翌年の1890年に、国民道徳を説く教育勅語を発布しました。
新政府による文明開化の目的は、欧米列強に植民地にされないためが一つ。
日本が特別な国として、他国に負けないためにとった対策として、教育勅語があったと解釈ができます。
忠孝の四角形
教育勅語に影響を与えたのが後期水戸学だと言われています。
>>明治維新の思想
後期水戸学といえば、会沢正志斎(1782-1863、あいざわせいしさい)の大義名分(たいぎめいぶん)論。
天皇 | 孝 → |
天皇の祖先 |
↑忠 | ↑忠 | |
臣民 | 孝 → |
臣民の祖先 |
- 歴代の臣民は歴代の天皇に忠を尽くしてきた
- 当代の臣民も、当代の天皇に忠を尽くしている
- これまでの臣民はみずからの祖先に対して孝を尽くしている
- 当時の天皇もまた過去の天皇に孝を尽くしている
このような忠孝の四角形が崩れず、万世一系(同一の血統・血筋が続くこと)が保たれていることを、教育勅語は「国体の精華」と呼ぶ。つまり、日本の国柄のもっともすばらしい部分ということだ。そして教育を行うにあたっても、この「国体の精華」にもとづかなければならないという。(p77)
(国体⇒天皇を中心にいただく日本独自の国のありかた)
日本の神話
天皇制度は、日本の神話に根拠をもっています。
>>神と古事記
古事記によれば、天皇は神の子孫であり、その系統は代々続いているのです。
代わっていないから、良いトップという根拠なんだね
だから、易姓革命も起きなくて、万世一系が保たれているというのが教育勅語の世界観!
- 神武(じんむ)天皇の物語
- アマテラスの仁政や、三種の神器の徳
- 歴代天皇の徳の物語
- 天皇のためにつくした者の雄姿
- 近代において国体の精華を発揮し、靖国神社(やすくにじんじゃ)にまつられた人々の物語など
- 新しいシンボルを立てることで、旧幕府の権威を相対化できたこと
- 神武創業という曖昧な時代を示すことで、伝統を装いながら西洋化を進められたこと
- 神武天皇の軍事指導者としての側面を強調することで、国民皆兵など近代的な軍制整備を正当化できたこと
「戦前」の正体p66
神武天皇像は、西洋風の服を着ていたり、武を重んじていたり、明治天皇に似ていたりしています。
教育勅語の内容
教育勅語はウィキペディアなどで全文が掲載。
>>教育勅語
教育勅語の訳は、1940年の文部省で作られた「全文通釈」などを参考にすると、戦後民主主義の影響を受けることなく読むことができると言われています。
今の道徳にもいかせると言われている内容を箇条書きしたものがこちら。
十二のたいせつなこと
- 親に感謝する
- 兄弟仲良くする
- 夫婦で協力する
- 友達を信じあう
- みずから反省する
- 博愛の輪を広げよう
- 知徳を磨く
- 公(おおやけ)のために働く
- ルールに従う
- 祖国に尽くす
- 伝統を守る
- 手本を示す
「昭和天皇の学ばれた教育勅語」p10
確かにこれだけみると、道徳的だよね
「以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」-天地とともにきわまりない、皇室の運命を助けたてまつれ‐。結局、孝行も友愛も、夫婦の和も朋友の信も、たどりつくところは国体の擁護なのだ。皇室の運命を抜きにして、孝行や友愛を論じても意味がない。国体あってこその孝行であり、友愛である。あらためて強調すれば、それが教育勅語の世界観だった。
「戦前」の正体p82
親切も国体のため、と言えてしまうということ
>>カントの道徳法則
忠孝の四角形が前提ならば、それを阻害する異分子は非国民として徹底的に排除しなければならない‐。
「戦前」の正体p109
内村鑑三不敬事件
前回取り上げた内村鑑三。
>>内村鑑三と二つのJ
彼が起こした有名な事件が不敬事件です。
不敬事件(1891年)⇒講師をしていた内村が、勅語に記された天皇の署名に深く礼をしなかった事件
内村鑑三は著書で、仏教とか儒教の精髄を参考にすることは、キリスト教にもつながると述べていました。
彼が大事にしたのは「武士道の上に接ぎ木されたるキリスト教」というように、日本とキリスト教(二つのJ)を大事にしていたからです。
なので、儒教道徳にもあるような「十二のたいせつなこと」には同意すら示せます。
二人とも内村鑑三も解説していたから、教育勅語の内容に関しては重なる部分も多い
>>中江藤樹と日本陽明学
>>二宮尊徳と学問的精神の発達
時代が下がり、日本でも社会主義運動が盛んになると、国体への批判はいっそうタブーになった。
‐国体の根拠づけとなっていた神話への疑義も許されなかった。
「戦前」の正体p111
良い部分や悪い部分を認めつつ、客観的に歴史を教養として身につけるのが良いんじゃないかって
>>徳富蘇峰とジャーナリズム