新実存主義

マルクス・ガブリエル「新実存主義」とは-言葉のパラドックス

おはようございます。けうです。

 

昨日の最後に書いたことと、読んだことがちょっと矛盾するかなと思っていて、今日はそれを解説しようかなと思いました。

マルクス・ガブリエル「新実存主義」とは

マルクス・ガブリエルさんは新実存主義にたっています。

これはどういう思想かというと、実存主義と構造主義の納得のいくところを組み合わせた思想になります。

まず実存主義というのは、私の考えです。

絶対王政だとか、人は何かに従わされていたんですけど、それから解放するときに使われた思想です。

人には尊厳があるし、人には考えがあるし、私は私だ、という考え方です。

これにより、人間という基本的人権を具えた人が出来上がったんです。

構造主義とは

でも、時代はずっと絶対王政などの従わされていた時代だったんですよね。

そして、その時代に戻ります。

構造主義という考え方です。

私たちは尊厳をもっているし、私個人の考え方はあると思います。

でも、その考え方はなんなんだろうというのに、焦点を当てていくんですよ。

私のものだと思われていた思想をよくみてみます。

すると、地域だとか、国家だとか、何かの枠組みの中でしか考えられていないということに気がつきます。

もっともなのは言葉ですよね。

言葉の規則があって、その言葉に従っている。

私たちは何か従うものをつくります。

今までは絶対王政だとか、見えるものに従っていたんですけど、実はそれは見えない物でもあったんですよ。

 

疑似意識だとか、時代を蔽っている思想です。

私たちはそれに影響を受けているんですよね。

もっといえば、人はその常識だとかでつくり上げられています。

だから、構造主義でいえば、私固有の考えなんてない、となります。

あったとしても、それは差異の中でしか存在しないよという思想なんです。

 

私が何か思想を思いついたとしても、それは思わせられている。

環境が私にそう思考するように言ってきたといった表現ですね。

構造主義では人間は何かに従っています。

それは自分が作り上げた自分かもしれないんですけど。

 

そうして、構造主義に染まった世界では、私なんて、というように私が軽視されます。

 

それを克服しようと考えたのが新実存主義です。

構造主義を克服する新実存主義

事実は存在している。

だから、私は存在していると考えるんです。

でも、これでいうと架空上のキャラクターも存在していると考えます。

マリオブラザーズも存在しているし、ユニコーンも存在している。

 

言葉のパラドックスを前提で引き受けるという態度です。

 

私たちはユニコーンは実際に存在していないともいえるし、ある意味では存在していると言えますよね。

だって、頭で思い描いているから、そこには存在しています。

この言葉のパラドックスを受け入れることが新実存主義になってきます。

 

だから、構造主義では、何かに従う私がいたと新実存主義では考えます。

それは、完全に自由ではないかもしれない私なんですけど、実存主義ではその私を私だと受け入れます。

 

私たちが今までに想定していた私ではないかもしれない私が存在します。

新実存主義にたつと「世界」は存在しない。

マルクス・ガブリエルさんは「世界は存在しない」と主張しますよね。

ある意味、世界は存在しているけれど、ある意味、世界は存在しないということを言っています。

言葉の解釈や言葉の多様性を受け入れているんです。

 

だから、それは一人一人の視点によって、あったりなかったりするようなものですよね。

でも、ここでなぜ世界は存在しないと言い切るのかと言うと、制限を取り払うためです。

 

構造主義では、何かの枠組みがあって、その差異として人間がいるだけだと言うんです。

でも、その枠組みを取り払います。

枠組みを取り払うと、その枠組みに従っていると言う私はいなくなりますよね。

となれば、従っているものがいなくなるという点で、自由な私がでてきます。

私はユニコーンをいるということもできるし、いないということもできる。

ここでの言葉のパラドックスを受け入れてそう発言できるんですよ。

各個人の解釈によってくる。

個人の考えがそこにあるようになります。

新実存主義が捉えにくい理由

だから、マルクス・ガブリエルさんの思想が難しいのは、言葉だけでは捉えきれないからです。

私たちはあるときはユニコーンがいるという思想になりますけど、あるとき発言するときはいないと発言します。

そして、これはどちらも正しいとなるんです。

 

時と場合、なんていいますけど、どのカテゴリーに私がいるのかによって、それが存在したり存在しなくなったりするんですよ。

 

会議とか議論の場で、ユニコーンがいると主張することはその時と場合にはあっていないかもしれませんよね。

 

さらにいえば、世界は存在しない、というのはマルクス・ガブリエルさんの新実存主義に属しているからそう発言することができます。

 

他の主義に属している場合、そうは言えません。

 

でも実存主義では、多様性を受け入れています。

受け容れるために「世界」は存在しない。

この意味は人間を従えているもの、人間ではなくしているものは存在しない。

そして、人それぞれの視点は存在していると言っています。

新実存主義からみる間違いとは何か。

誰かが間違った発言をしたとします。

 

でも、その間違った発言はその人にとっては正しいといえますよね。

その人は正しいと思って発言したからです。

それを聞いた側は、どうして間違っていると感じたんだろうということを分析します。

すると、その人が属しているカテゴリーに気がつく、ということです。

 

となると、マルクス・ガブリエルさんの新実存主義にたった場合、誰一人として間違っているということが言えなくなるかもしれませんね。

多様性を受け入れるからです。

だから、言葉は存在しないし、言葉は存在するという両方を受け入れることができる。

でも、その多様性を受け入れる前提として私たちが従っている前提とか枠組みをないものとして捉える。

 

間違っていると感じた場合、私がその言葉の定義を取り違えている場合すらある。

この人の視点、この人の受け取っている見方で判断すれば正解になるんだ、と受け入れます。

 

発言を聞くときも、このカテゴリーに属しているからこういっているんだ。

何か、ひっかかるけど、こうやってとらえているから正解としているのか、と考えられます。

 

マルクス・ガブリエルさんの発言は極端に見える時がありますよね。

そのときは何かを基準に捉えているんです。

自分の中のそういう倫理や道徳を明確なものとしてある。

そのあるものを基準にして考えていくと、こう主張することができる。

そして、哲学は論理でもあるので、それによって説得させることができる。

私たちはそれを間違っていると考える場合、自分で論理を考えて主張ができるんです。

相手に受け入れてもらうには、相手のカテゴリーを見極めて、そのカテゴリーに従いながら話すと、議論はしやすくはなりますよね。

 

なので、マルクス・ガブリエルさんは書いてある事をそのまま信じる読み方だと理解が難しい。

あるときはあるといって、あるときはないというかもしれない。

ただ世界はない。大きな枠組みは新実存主義においてはない、とは言っています。

それは人間の尊重、人間には一人一人の考えがある、ということを主張しています。

そして、こうも言えます。

でも、考えって何?尊重ってなに?という一人一人の考え方があるんですよね。

 

哲学をするのにとても向いているのが新実存主義だな、と思いました。

一人一人の根本を見ていくからです。

 

では、今日もお聞きいただいてありがとうございました。

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