「日本人としての自覚」
第4節「西洋思想の受容と展開」
③内村鑑三(うちむらかんぞう)と二つのJ(イエスキリストと日本)
新渡戸稲造といえば、旧五千円札
割合的には少ないんだけど、どのようにキリスト教は受け入れられたのかな
- 内村鑑三がキリスト信徒になった理由
- 二つのJと述べた理由
内村鑑三がキリスト信徒になった理由
空気的に、一期生の先輩のいうことは拒否できなかった
ご覧のように、私のキリスト教への第一歩は、私の意志に反して強制されたものでした。
「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」p31
(内村には天皇制を否定する意図はなく、天皇を崇拝はしないが敬いはするという立場)
その理由を本から見ていくよ
内村鑑三がキリシタンになってよかったこと。
- すべての神に敬礼しなくてもよくなった
- 食べられるものが増えた
- 学友たちとの議論や交流が楽しかった
- 「道徳的分裂」の調和をキリストにおいてのみ見いだした
- カミの子の贖罪の恩恵による罪からの解放
- キリスト教を日本に広めるという生きる目的ができた
八百万の神(やおよろずのかみ)
道徳的分裂
内村鑑三はいつも罪意識や、サタンに支配されていたと語ります。
カミは私たちの父であり、私たちがカミに対する以上に熱心にカミは私たちを愛すること、
‐私たちはただ心を開いて「押し寄せる」カミの真情を受け容れるだけでよいこと、
私たちのほんとうの過ちはカミ自身を除いてはだれも清められないのに、私たちはみずから清くなろうと努めていること、
真に自己を愛する人はまず自己を憎んで自己を他者に与えなくてはならないから、自己中心とはほんとうは自己を憎むこと、等々
「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」p212
それをなんとかするのに、カミを受け入れると良い、と実感したみたい
カミの子の贖罪の恩恵による罪からの解放、キリスト教はこれ以上のものかもしれませんが、これ以下のものではありません。これがキリスト教の本質であります。– 真の人間はそれなしではやってゆけず、平安はそれなしには人に訪れません。
「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」p279
目的意識
どの人の生涯にも前もって神意により定められた一種のモデルがある。
その人の成功は、自己をこのモデルに合わせること‐
大いなる望みを欠く人はそのままで終わりがちで、能力を最大に発揮して自分の仕事をなしとげられないままにこの世を去る。
‐人間の選択力(自由意志)は自己をこのモデルに合わせることにある。
「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」p255
野菜を育てる技術のように、実際に役立つことだから布教する意義があると説いていたよ
内村鑑三が「二つのJ」と述べた理由
意外な一言。
まず率直に言わせてもらうならば、私はキリスト教国に何もかも取り込まれませんでした。
‐私は(三年半におよぶアメリカ滞在)終始異邦人にとどまり、一度として異邦人とは別のものになろうともしませんでした。
「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」p270
内村鑑三は職業的な牧師を心の底から嫌っていました。
なので、彼はまず「二つのD」にはならないと決めました。
二つのD⇒神学博士(Doctor of Divinity)
そのかわりに、「二つのJ(JesusとJapan)」に献身することを誓います。
内村鑑三は「武士道の上に接ぎ木されたるキリスト教」と語り、武士道を土台にキリスト教を受け入れました。
伝道師のただのまねは偽善であり、まねからは少しもよいものが生じないと内村鑑三は本で述べています。
異国での教育は実は私たちをまちがった環境になれさせてしまい、そこからの脱却をすこぶる困難にするものです。
我が国の人たちのなかにも、そんな教育を受けている間に西洋風の生活と思想とを身につけ、異邦人として帰国して自分の以前の環境に戻るのがたいへん困難になっている人が多いのを私は知っています。
「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」p266
ガリバーは世界各国を旅するんだけど、最後に人間を家畜のように扱う馬の国に行く。
馬の国は理性に満ちた理想郷で、そこで暮らしたガリバーはすっかり思想を馬と同じにするよ。
いわゆる、哲人政治のユートピアだね。
でも、帰国しなくちゃいけなくなった。
故郷の人間の国に帰ったガリバーは、自分の家族を家畜としか見れなくなる、という弊害があった
中国人と日本人とに、自分らの孔子の教えを守ることに専念させてみましょう。そうすれば、この二つの国からヨーロッパやアメリカでは見られないようなりっぱなキリスト教国が造られるでしょう。最もすぐれたキリスト教の改宗者は、仏教とか儒教の精髄を決して捨ててはいません。私たちはキリスト教を、それが自分の理想とする人間になる助けとなるから喜んで受け入れます。
「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」p277
内村鑑三のその後
「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」は、内村鑑三がいかにして回心したのかという現象が書かれた本です。
彼の他の行動を教科書から見ていきます。
- 無教会主義を唱えた。
教会や儀礼によらず、直接に聖書の言葉に向き合うべきと述べた。 - 不敬事件(1891)
日本政府は天皇への崇拝を日本人すべてが修めるべき「国民道徳」としたので、クリスチャンである内村は不敬を責められた。 - 日露戦争(1904)で絶対平和という非戦論を展開した。
「余は日露非開戦論者であるばかりでない。戦争絶対的廃止論者である。戦争は人を殺すことである。そうして人を殺すことは大罪悪である」と訴えた。
内村鑑三の思想から、キリスト教の受容を見てきました。
次回は教育勅語について取り扱います。