「現代に生きる人間の倫理」
第6節「社会参加と幸福」
1.シュヴァイツァーと「生命への畏敬」
>>1.フロイトと無意識の発見
>>2.ソシュールと言語学
>>3.ウィトゲンシュタインと言語哲学
>>4.フランクフルト学派と「啓蒙の弁証法」
>>5.ハーバーマスと対話的理性
>>6.レヴィ=ストロースと構造主義
>>7.フーコーと「人間」の終焉
>>8.レヴィナスと他者の哲学
- シュヴァイツァーの活動
- シュヴァイツァーと「生命への畏敬」
参考文献 「シュヴァイツァー(人と思想)」小牧治・泉谷周三郎 (今回の抜粋箇所はすべてこの本からです)
シュヴァイツァーの活動
シュヴァイツァーは裕福な牧師の子に生まれました。
21歳の夏。
自分の幸福に比べて、不幸な人がいることに心を痛めてきたシュヴァイツァーは、ふとこんなことを決心します。
「わたしは、30歳までは、学問と芸術のために生きよう。
それからは、直接、人類に奉仕する道を進もう」と。
(p5)
言葉の通り、30歳までは哲学や神学や音楽に専念しました。
教会の副牧師となったり、大学の講師になったり、パイプオルガンの演奏でも有名になったりしたのです。
キャリアへの道まっしぐら。
そうこうしているうちに、30歳の誕生日を迎えます。
シュヴァイツァーはそこから新たに医学を勉強することにしました。
また学生として一から、奉仕するための勉強です。
医師になったシュヴァイツァーは37歳のころにアフリカに出発。
アフリカの未開発地に行くこと、さらに宣教師ではなく医者として行くことに、多くの人々は反対しました。
しかし、反対されても決意はゆらぐことなく、人類への奉仕としての使命と義務を背負って旅立ったのです。
なぜ30歳で人類に奉仕する決意をしたのか
シュヴァイツァーは熱心に神学を勉強しました。
そして、イエスの「人は自分のために自分の生命を保持すべきではない」という言葉を深く理解します。
裕福で幸せだったシュヴァイツァーは、心のどこかで「償いをしなければいけない」と考えるようになったのです。
「自分の命をえているものはそれを失い、わたしのために自分の命を失っているものは、それをうるであろう。」
この言葉が、かれの全身をゆすぶった。
かれは、このイエスの言葉に自分もしたがってみようと思った。
「イエスは30歳までは大工として働いた。
30歳、私にはまだ9年間残っている!」
そんな考えにとらわれているうちに、とつぜん一つの決意が浮かんだ。
「そうだ。わたしは30歳までは学問と芸術とに生きよう。
それからあとは人に直接奉仕する道を進もう」と。(p36)
なぜシュヴァイツァーは医師となったのか
シュヴァイツァーがなぜ宣教師ではなく、医師としてアフリカに行くことにしたのか。
二つの理由
- 医者であれば黙って働くことができるから
- 人類への直接奉仕は、愛の説教ではなく愛の実践に専心したいと思ったから
医者として働くということは、診察所を建設したり、薬を用意したりと資金がかかりました。
シュヴァイツァーは資金を募り、お金に苦労しながらアフリカでの生活をスタートさせたのです。
とはいえ、そこでシュヴァイツァーはお金儲けはできませんでした。
病人の増加に比例して負債は増加し、それは返すあてのない借金になっていたのです。
病院の負担
シュヴァイツァーの病院は、ときに姥捨山となっていました。
死にかけた身寄りのない人々、老人、病人が病院の前に置かれていたのです。
そのような人々は病院に連れて行けばよい、と現地で考えられていました。
これにはシュヴァイツァーも困ります。
病院の前でそれらの人々が亡くなってしまえば、患者に悪い印象を与える。
また、助けてもその費用は病院持ち。
病人が元気になると、お礼もなく、いなくなってしまうこともあったのです。
さらに、その地域の人々は「汚れ」という宗教的観念から、他人の死に関係をもつこともおそれました。
お墓を掘ったり、死体を運んだりといった苦労も病院が負担していたのです。
価値観の違い
シュヴァイツァーは飢饉にも備えていましたが、飢饉によって病人が増えたために、さらに病院の経営は立ち行かなくなりました。
さらに価値観の違いが拍車をかけます。
ききんをいっそう悲惨にするのは、黒人たちの無能さであった。
黒人たちがききんの初期にとうもろこしを植えたならば、四か月目には実っていたであろうに、かれらはその種をも食べてしまった。
‐飢えはじめた黒人は働こうとはせずに、小屋のなかにすわって死をまつばかりであった。
文明世界では「必要は発明の母」であるが、ここではまったく逆であった。
(p89)
文化によって、必要をどうするか、というのも違ってくる
シュヴァイツァーと「生命への畏敬」
「生命への畏敬」とは、生命をおそれ、敬うことである。
つまり生命が尊いもので、なによりたいせつなものだと考えることである。
この立場にたつと、善とは生命を保持し、促進することであり、発展する生命をその最高の価値までもたらすことである。
また悪とは生命を否定し、生命を傷つけ、発展する生命の成長をさまたげることである。
かれにとっては、「生命の畏敬」こそ倫理の根本法則であり、思考をすすめた必然の結果であった。
(p72)
とくにシュヴァイツァーが説いたのは、「生きようとする意志」は人間だけでなくすべての生物が持っているという点です。
その畏敬をもつからこそ、「苦しむ生命があれば助けていこう」と、シュヴァイツァーは考えました。
生きようとする意志
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」から出発しました。
シュヴァイツァーは新たな出発点を考えます。
人間は少しでも正気があるかぎり、自殺を拒絶する。
それは、生きようとする意志のほうが、悲観論的認識よりも強いから。
よって、「生命への畏敬」がより本能的な根幹にひそんでいるのだと考えたのです。
真の哲学は、もっとも直接的で包括的な意識の事実から、出発しなければならない。
すなわち、「わたしは生きようとする生命にとりかこまれた、生きようとする生命である」という事実から。
(p176)
(決定論⇨世界で起こる出来事には原因が存在する。自由意志で決めていると言うのは錯覚だとする考え方)
悲観論が文化にとって危険なのは、それが人生肯定のもっとも価値のある理念を攻撃するからである。悲観論が台頭しても、文化の外的成果は維持されるが、文化の本質的目標を目ざすもっとも重要な活動性が、減退してしまうのである。
(p169)
生きようとする意志は、自己を明らかに自覚することによって、自分の根柢とすべきものが自己自身であることを知る。この意志は、それ自身のなかに、世界と人生との肯定の意味をもっている。われわれは、深化された世界や人生を肯定することによって「生命への畏敬」を知る。これによって、自己の生存の意味が、自己の内部からあたえられることを、はじめて悟るのである。
(p172)
神秘主義とは
思考とは、人間の内部でおこなわれる意欲と認識との対決である。この認識は、すべての現象のなかには、生きようとする意志があることを教える。生命とはなんであるか。いかなる科学もこれに答えることはできない。それゆえ世界にとって、認識とは、人間を生きようとする意志にひたすことによって、人びとが無思想状態にがまんできなくすることである。真の認識は、生命がなにを意味するかを教えるのではなく、個人の生きようとする意志をして、他のすべての生きようとする意志との共存を体験させるものである。
(p175)
倫理とは、生きようとし、生きているものに対してはてしなく拡大された責任なのだ。‐倫理とは、「生命への畏敬」によって動機づけられた、生命への献身である、と。
(p177)