シュヴァイツァー

シュヴァイツァーと「生命への畏敬」|高校倫理1章6節1

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
(高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第1章
「現代に生きる人間の倫理」
第6節「社会参加と幸福」
1.シュヴァイツァーと「生命への畏敬」
を扱っていきます。
前回までは第5節「人間への新たな問い」を8回にわたって見てきました。
今回からは6節「社会参加と幸福」に移ります。
6節では、20世紀に深刻化した戦争や貧困、差別などの問題に立ち向かった先人たちを紹介。
今回はシュヴァイツァー(1875-1965)です。
フランスの哲学者であり神学者であったシュヴァイツァーは、未開発の地のアフリカに渡り、現地で医療活動に従事しました。
今までのキャリアを捨ててアフリカに渡ることを、多くの人に反対されたらしい
シュヴァイツァーは「密林の聖者」と呼ばれ、1954年にはノーベル平和賞を授与。
彼の起こした行動と、その行動の元になった「生命への畏敬」という思想を紹介していきます。
生命への畏敬⇒「自分は、生きようとする生命に囲まれた、生きようとする生命である」との自覚にもとづき、すべての生命あるものをうやまう心
ブログ内容
  • シュヴァイツァーの活動
  • シュヴァイツァーと「生命への畏敬」

参考文献 「シュヴァイツァー(人と思想)」小牧治・泉谷周三郎 (今回の抜粋箇所はすべてこの本からです)

シュヴァイツァーの活動

シュヴァイツァーは裕福な牧師の子に生まれました。

21歳の夏。

自分の幸福に比べて、不幸な人がいることに心を痛めてきたシュヴァイツァーは、ふとこんなことを決心します。

「わたしは、30歳までは、学問と芸術のために生きよう。

それからは、直接、人類に奉仕する道を進もう」と。
(p5)

言葉の通り、30歳までは哲学や神学や音楽に専念しました。

教会の副牧師となったり、大学の講師になったり、パイプオルガンの演奏でも有名になったりしたのです。

キャリアへの道まっしぐら。

そうこうしているうちに、30歳の誕生日を迎えます。

シュヴァイツァーはそこから新たに医学を勉強することにしました。

また学生として一から、奉仕するための勉強です。

医師になったシュヴァイツァーは37歳のころにアフリカに出発。

アフリカの未開発地に行くこと、さらに宣教師ではなく医者として行くことに、多くの人々は反対しました。

しかし、反対されても決意はゆらぐことなく、人類への奉仕としての使命と義務を背負って旅立ったのです。

なぜ30歳で人類に奉仕する決意をしたのか

シュヴァイツァーは熱心に神学を勉強しました。

そして、イエスの「人は自分のために自分の生命を保持すべきではない」という言葉を深く理解します。

裕福で幸せだったシュヴァイツァーは、心のどこかで「償いをしなければいけない」と考えるようになったのです。

「自分の命をえているものはそれを失い、わたしのために自分の命を失っているものは、それをうるであろう。」

この言葉が、かれの全身をゆすぶった。

かれは、このイエスの言葉に自分もしたがってみようと思った。

「イエスは30歳までは大工として働いた。

30歳、私にはまだ9年間残っている!」

そんな考えにとらわれているうちに、とつぜん一つの決意が浮かんだ。

「そうだ。わたしは30歳までは学問と芸術とに生きよう。

それからあとは人に直接奉仕する道を進もう」と。(p36)

イエスの行動に感化されたんだね

なぜシュヴァイツァーは医師となったのか

シュヴァイツァーがなぜ宣教師ではなく、医師としてアフリカに行くことにしたのか。

二つの理由

  1. 医者であれば黙って働くことができるから
  2. 人類への直接奉仕は、愛の説教ではなく愛の実践に専心したいと思ったから

医者として働くということは、診察所を建設したり、薬を用意したりと資金がかかりました。

シュヴァイツァーは資金を募り、お金に苦労しながらアフリカでの生活をスタートさせたのです。

とはいえ、そこでシュヴァイツァーはお金儲けはできませんでした。

病人の増加に比例して負債は増加し、それは返すあてのない借金になっていたのです。

ゲーテ賞やノーベル平和賞の賞金をそれに充てていくという返済方法になっていた

病院の負担

シュヴァイツァーの病院は、ときに姥捨山となっていました。

死にかけた身寄りのない人々、老人、病人が病院の前に置かれていたのです。

そのような人々は病院に連れて行けばよい、と現地で考えられていました。

これにはシュヴァイツァーも困ります。

病院の前でそれらの人々が亡くなってしまえば、患者に悪い印象を与える。

また、助けてもその費用は病院持ち。

病人が元気になると、お礼もなく、いなくなってしまうこともあったのです。

さらに、その地域の人々は「汚れ」という宗教的観念から、他人の死に関係をもつこともおそれました。

お墓を掘ったり、死体を運んだりといった苦労も病院が負担していたのです。

そこでは通貨も一般的じゃなかったみたい。
でも、シュヴァイツァーは出来るだけ物でいいからお返しをしてほしいと主張していた。
交換(相互の畏敬)は大事

価値観の違い

シュヴァイツァーは飢饉にも備えていましたが、飢饉によって病人が増えたために、さらに病院の経営は立ち行かなくなりました。

さらに価値観の違いが拍車をかけます。

ききんをいっそう悲惨にするのは、黒人たちの無能さであった。

黒人たちがききんの初期にとうもろこしを植えたならば、四か月目には実っていたであろうに、かれらはその種をも食べてしまった。

‐飢えはじめた黒人は働こうとはせずに、小屋のなかにすわって死をまつばかりであった。

文明世界では「必要は発明の母」であるが、ここではまったく逆であった。
(p89)

和辻哲郎の「風土」を思い出すね。
文化によって、必要をどうするか、というのも違ってくる
他にも、シュヴァイツァーは人々の争いを裁決したことがありました。
例えば、二人の女が生きている赤ん坊をとりあったとき、引っ張り合った手を放した方が本当の母親だ、としたソロモン王の逸話があります。
赤ん坊を可哀そうに思った方が「本当の母親」ということにした裁判で、日本でも大岡裁きといって愛情たっぷりの裁きがあった
しかし、この地域では赤ん坊を半分にするのが良い、という判決に当事者や見ている人びとが納得してしまったのです。
赤ん坊は死んでしまうけれど、半分にするという公平さが勝ってしまった
他の文化の価値観から、その文化の判決をするという難しさがあります。
一夫多妻制もその文化には合っていて、一夫一妻制にすることはその社会構造全体を動揺させることになるとシュヴァイツァーは考えていた
文化には文化ごとの違いがある。
では、そうなると、文化の違いを受け入れつつも共通した何を説けばよいことになるのでしょうか。
シュヴァイツァーはそこで「生命への畏敬」を考えました。

シュヴァイツァーと「生命への畏敬」

「生命への畏敬」とは、生命をおそれ、敬うことである。

つまり生命が尊いもので、なによりたいせつなものだと考えることである。

この立場にたつと、善とは生命を保持し、促進することであり、発展する生命をその最高の価値までもたらすことである。

また悪とは生命を否定し、生命を傷つけ、発展する生命の成長をさまたげることである。

かれにとっては、「生命の畏敬」こそ倫理の根本法則であり、思考をすすめた必然の結果であった。
(p72)

「生命への畏敬」の根幹にあるのは、すべてが「生きようとする意志」を持っていて、それを尊ぶということ

とくにシュヴァイツァーが説いたのは、「生きようとする意志」は人間だけでなくすべての生物が持っているという点です。

その畏敬をもつからこそ、「苦しむ生命があれば助けていこう」と、シュヴァイツァーは考えました。

生きようとする意志

デカルトは「我思う、ゆえに我あり」から出発しました。

シュヴァイツァーは新たな出発点を考えます。

人間は少しでも正気があるかぎり、自殺を拒絶する。

それは、生きようとする意志のほうが、悲観論的認識よりも強いから。

よって、「生命への畏敬」がより本能的な根幹にひそんでいるのだと考えたのです。

真の哲学は、もっとも直接的で包括的な意識の事実から、出発しなければならない。

すなわち、「わたしは生きようとする生命にとりかこまれた、生きようとする生命である」という事実から。
(p176)

これってショーペンハウアーの説いた盲目的な意志を思い出すよね。
(決定論⇨世界で起こる出来事には原因が存在する。自由意志で決めていると言うのは錯覚だとする考え方)
しばしば盲目的な意志というのは自由意志がないというペシミズム(厭世主義・悲観主義)によって捉えられてきました。
しかし、シュヴァイツァーはこれを楽観的に捉えようとします。
それは、悲観論は文化にとって危険だと考えたからでした。
悲観論が文化にとって危険なのは、それが人生肯定のもっとも価値のある理念を攻撃するからである。
悲観論が台頭しても、文化の外的成果は維持されるが、文化の本質的目標を目ざすもっとも重要な活動性が、減退してしまうのである。
(p169)
例えば、シュヴァイツァーは唯物論を批判して、その逆に精神が世界をかたちづくっていくと考えました。
「道徳は現実を形成する諸力のなかで、もっとも強力なもの」だ、と。(p170)
実際にシュヴァイツァーが30歳をすぎたら人類に貢献するという理念を掲げていたように、理念はとても強いものだと考えました。
生きようとする意志は、自己を明らかに自覚することによって、自分の根柢とすべきものが自己自身であることを知る。
この意志は、それ自身のなかに、世界と人生との肯定の意味をもっている。
われわれは、深化された世界や人生を肯定することによって「生命への畏敬」を知る。
これによって、自己の生存の意味が、自己の内部からあたえられることを、はじめて悟るのである。
(p172)
スピノザのといたコナトゥス(ある傾向をもった力、自分の存在に固執する力、努力)も思い起こされる

神秘主義とは

シュヴァイツァーは、思考を満足させる世界観は神秘主義だと考えました。
神秘主義⇒人間の意識活動によって、精神的に自然とつながりを持つことを意味する。
ただし、従来とは違った倫理的神秘主義だと。
思考とは、人間の内部でおこなわれる意欲と認識との対決である。
この認識は、すべての現象のなかには、生きようとする意志があることを教える
生命とはなんであるか。
いかなる科学もこれに答えることはできない。
それゆえ世界にとって、認識とは、人間を生きようとする意志にひたすことによって、人びとが無思想状態にがまんできなくすることである。
真の認識は、生命がなにを意味するかを教えるのではなく、個人の生きようとする意志をして、他のすべての生きようとする意志との共存を体験させるものである。
(p175)
例えば、シュバイツァーは1枚の木の葉をただとったり、1匹の虫を意味なく踏みつぶしたりすることはしませんでした。
虫が水たまりに落ちて苦しんでいたら、それを救ってやることすらしたそうです。
シュヴァイツァーの家のまわりは、助けてあげた動物たちによって動物園状態になっていたみたい
シュヴァイツァーはそれが嘲笑のまとになっても、人々が無意味に生命を傷つけると倫理が成立しなくなることを、いつか理解してくれると思っていたのです。
それでも、シュヴァイツァーは生命を傷つけないことは、人間の生存には無理だとも考えました。
人は食べなければ生きていけません。
人間は常に悪(傷つける)決断を迫られている。
シュヴァイツァーは、倫理をこう考えました。
倫理とは、生きようとし、生きているものに対してはてしなく拡大された責任なのだ。
‐倫理とは、「生命への畏敬」によって動機づけられた、生命への献身である、と。
(p177)
つまり、人間は悪をなしてしまうけれど、それだけにまた人間は善をなすように努力しよう、と考えたのです。
唯物論(物が先で思考が後)ではなく、まず人間が倫理的になることによって世界をよくしようと考え、シュヴァイツァーは理念(生命への畏敬)からの行動を大事にしました。
今回はシュヴァイツァーをやりました。
次回はガンディーについて取り扱います。
シュヴァイツァー
最新情報をチェックしよう!
>けうブログ

けうブログ

哲学を身近に