自由とは

知れば知るほど自由になるとは-論理の飛躍を解説。

自由と言う考え方。

 

おはようございます。けうです。

昨日、kindle本の大筋の原稿を書き終えました。

様子を見て手直ししたりはしますが、大枠はこれでいこうという感じです。

26000字くらいです。

Kindle本の講座では3万字くらいが1つの目安といっていたので、このくらいならいいかなと思いました。

そして、この原案は昔私が書いた記事の手直しでもあります。

それで、忘れていたこともあって、楽しく原稿を書くことができました。

なので、今日はその中からラジオで扱おうと思います。

 

 

私は記事の最後の方で、マルクス・ガブリエルさんの言葉を引用しています。
考え方だけいいますね。

私たちは知れば知るほど自由になる。

自由とは

これって、ちょっと風が吹けば桶屋が儲かるという論理の飛躍を含んでいるので、説明しますね。

知るとは

まず知る事とはなにか、ですが、ここはソクラテスの考え方です。

無知の知というように、知れば知るほど私たちは無知を自覚します。

知識量としては増えているんですが、自分の中で世界が広がることで知らないことが増えていきます。

なぜ世界が広がるかと言えば、世界と言うのは私の視点でしかないからです。

私がサングラスをかければ、世界は薄暗くなるし、私が赤色だとみているから赤色があると思う。

けれど、赤く見える細胞をもたない動物からみれば世界に赤は存在しないし、サングラスをかけなければ薄暗くはないんですよね。

それと同じく、知らなければ世界は知らないままの世界です。

知ることによって世界が広がって、そこに知らないことが付け加わる。

だから、無知の知で、知れば知るほど知らないことが増える、という解釈です。

自由と知るの関り

そして、自由とどうかかわってくるかを説明します。

自由はイメージでは開放的です。

何にも囚われていないイメージ。

何か制限が加わったときに、私は自由ではない、ということを意識します。

例えば、子どもは親の圧力があるから自由ではないと思います。

仕事をやっていても、時間に拘束されているときに自由ではないと感じます。

なので、知識にしてもこの知識に縛られている、制限させられていると思う時に不自由を感じます。

 

では、囚われないようにするにはどうしたらいいのか。

 

そこで出てくるのが知るということ。

さきほど世界が広がるといいました。

広がった世界では、制限されるものがなくなっていきますよね。

知れば知るほど無知になり、制限されているものが取り払われる。

量子力学の世界では、実験結果で見方がかわるというものがあるし、科学哲学では知れば知るほど科学が哲学よりの抽象的なものになっていったりします。

事実がなくなっていくというような。

こうやって制限されているものが取り払われると、その分、自由になると言う発想です。

 

 

なので、私たちは知れば知るほど自由になるんです。

世界の広がりとは

 

昨日、久しぶりに数の勉強をしました。

私はあまり勉強をしてきていないので、無知な部分が多いんですよね。

これはその世界が私にないという点で不自由な状態です。

 

素数が何かも忘れてしまっていた状態。

で、説明されると割り切れない数ということだけ思い出すんです。

でも、私は思い出しただけでは、きっと根本にしてこれから先考えないと思うんです。

どういうことかというと、新たな視点を確保しないと自分にとって根本的に考えることができない。

それで、ふと思ったんです。

どうして素数は考えられたのか。

どうして割り切れない数の証明が無限にあるという証明があるのか。

これって、数学者にとっては、このことに関しておもしろいと思う視点があるということを示しています。

私にはなかった視点なんですよね。

でも、ふと世界を見渡してみます。

これを数で表わせられるなんて不思議だな、と私が思ったんですけど、この問いは私の世界を広げる一歩だなと思いました。

なぜ数とは関係がなさそうな世界が数によって成立しているのか。

その表された数の法則として素数があって、その素数が例えば証明できるのはなぜかとか。
その証明がみんなに熱心に説かれているのはなぜか、とかそういう興味が私に起こりました。

 

後は、不思議だなと思ったのはwikiペディアで調べると自然界にも素数が存在しているらしいんです。

自然界にいる素数ゼミ

素数ゼミと呼ばれるセミの一種がいて、そのセミは13年、17年間の周期で大量発生する。かつ、素数の周期を持つ者は交雑という他の種と交わることが起こりにくく、淘汰されにくいそうです。

こうやって実際の世界と数字の世界が結び付けられる点を知ると、どうしてなんだろうという問いが浮かんできます。

私が素数に興味を持つ一歩としてはこういうところや、素数を熱く語る人がどうして素数に魅了されているんだろうという問いからかもしれません。

そうしたときに、私の世界は知的好奇心によって広がっていくということです。

 

そして、数式がたくさんあることを知ります。

この分野はまったく知らなかった、ということを知るんです。

すると世界が広がったんですよね。

でも、世界は広がったんですけど、私は無知だな、ということを自覚したということです。

私はなんでも私の根本にしてみないと考え方が進められないという点を持っています。

 

でも、その実用的に使えるから考えられるということでもなくて、不思議に思いだして、その謎を解明したいから根本的に問題にできるといった感じです。

自由とは-まとめ

kindle本をまとめているときに、自由とは何かということも私の原点の問いにあるなと感じました。

歴史の発生的にいっても、私たちが自由を自覚していた実存主義(主体的な考えを持つこと)は一種の幻想だと証明されているんですよね。

でも、実存主義的な考え方って自由ではあるんですよね。

私たちはいまだに自由を手にしていないから、自由に憧れを抱いて、自由であるとは何かを考える。

そして、手にしてしまったら、自由と言う刑に処されているなんて言葉があるように、思っていたものとは違っているということは多々あるのかもしれないなと思っています。

そこは人によるのかもしれませんが、ただ、知ることに楽しみを見いだせれば自由は苦しくも楽しいのかも、と思いました。

 

最後は抽象的になりましたが、今日もお聞きいただいてありがとうございました。

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