夏目漱石

夏目漱石と文明開化批判|高校倫理3章4節⑧

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第3章
「日本人としての自覚」
第4節「西洋思想の受容と展開」
夏目漱石と文明開化批判
を扱っていきます。
鎖国から開国した日本。
列強諸国との交流が始まり、西洋の脅威に負けない日本づくりをする、という考え方になっていきます。

列強諸国に植民地にされないように国を軍事的に強くしたい、という方針。

この軍国主義とぶつかったのが、前回取り扱った幸徳秋水を中心に見てきた社会主義の運動です。
>>⑦幸徳秋水(こうとくしゅうすい)と社会主義

今回は、この頃の文学者はどのように考えていたのかを見ていきます。

夏目漱石(なつめそうせき、1867-1916)は日本の近代化の問題点を指摘しました。

漱石と言えば昔の千円札

ブログ内容

  • 夏目漱石と「現代日本の開化」
  • 夏目漱石から見るロマン主義と自然主義

参考文献 「私の個人主義」夏目漱石

夏目漱石と「現代日本の開化」

開化は人間活力の発現の経路である。
「私の個人主義」(現代日本の開化)p43

こう述べる夏目漱石は、開化には2種類あると述べました。

  1. 積極的開化(内発的開化)
  2. 消極的開化

日本の文明開化は消極的開化です。

これって中江兆民の言う恩賜(おんし)的民権に似ているかも
>>中江兆民と自由論
消極的開化に対し、夏目漱石は具体例から問題点を述べました。
想像してください。
あなたは散歩が好きです。
積極的に喜びながら散歩で体力を消耗していきます。

しかし、あなたは仕事として手紙を届けなくてはいけなくなりました。

手紙を届けなければいけないという義務感から、散歩を楽しむことをやめて、自転車を使うことにしました。

さらに出来るだけ労働を少なくして、短期間で効率よく手紙を届けようと考えだします。

面倒をさけたい一心から、電話、自動車、インターネット、などを使用。

いつの間にやら散歩の楽しさを忘れて、競争に勝つことだけが目的になりました。

あなたは思うかもしれません。

これのどこが問題なのか、と。

漱石はこの問題点を、自身の楽しさ(道楽)を忘れていること、だと言いました。

「こういう開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません」(私の個人主義p61)

競争に勝つために、散歩の楽しさを忘れる。

おのれを捨てて、相手(技術)をただ機械的に真似する。

「これを一言にしていえば現代日本の開化は皮相上滑りの開化(ひそううわすべりのかいか)であるという事に帰着するのである。」(私の個人主義p62)

趣味の散歩の延長上に、散歩や自動車やインターネットがあったとすると、そこに楽しみのつながりができます。

けれど、義務感から単体でそれぞれの技術を受け入れた結果、それらはバラバラ。

自分の楽しさのためではなく、ただ人に迎えられたい一心でやる仕事には、自己という精神がこもりません。

漱石は日本の文明開化は皮相上滑りの開化であって、内発的開化ではないと説くのです。

神経衰弱と現代

漱石は、この開化の内実は知らない方が良かったのではないか、と述べます。

文明開化に流されて西洋の知識を身につける。

そうなると自己はなくなる。

自己がなくならないように、真似せずに、内発的に取り組もうとする。

すると、西洋で発達した100年を、たった10年でやり遂げるような大天才がいるわけでもなく、みんなが神経を病んでいく。

  • 真似をする⇒自己がなくなる
  • 内発的にやりとげる⇒西洋の知識に勝てるわけもなく、精神をすり減らしていく。
    自分で考えついたものでも、すでに考え出されているものが多数だということ。
例えば、自分で答えを出したとしても、その答えはすでにどこかにある。
どこかになければ、間違っている可能性の方が高い。
真似をしても自己がなく、内発的でも自己がないように感じるという虚無感。
だから、道楽として自分で楽しむことが虚無感におちいらずにすむのかもしれない

夏目漱石は、かえってこの性質を知らない方が国民は幸せだったのではないか、とも語りました。

ある男が女の愛を知ろうとしてかまをかける。
すると、女は愛を示そうとして身をなげて、足をなくす。
男は女の真心がわかったものの、女には無事でいてほしかった。
そんな真実ならば知らない方がよかったと後悔する例を漱石は出しているよ。
かといって、知ってしまったものは仕方がありません。
この虚無感をどうにかする方法として、漱石は個人主義を唱えました。

夏目漱石の個人主義

夏目漱石は独自の個人主義を唱えました。

漱石の個人主義の特徴

  • 他人に流されず、自己本位に生きる。(他人本位は人真似をさす)
  • J.S.ミルの自由(福沢諭吉のとく自由)のように、他人に迷惑をかけない。
    (わがままな自由ではなく、義務心を持った自由)
  • 利己主義(エゴイズム)ではない
  • 自分で自分が道をつけつつ進み得たという自覚を持つ
    (人によってはくだらなく見えるけれど、私にとってのみ満足するもの)
  • 他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬する
  • 徒党を組んだり、助力を頼んだりしない。
  • 他人の道を妨げないので、ある場合には一人ぼっちになる。

漱石は「私はこの世に生まれた以上何かしなければならん」という気持ちを持っていました。

その中で、自己本位という4文字にそれを見いだしたのです。

漱石であれば文学であり、釣り好きな人であれば釣りでもあるという、個人個人によって違った道を持つ自己本位。

私にとってだけの「正解」なんだね

自分自身の幸福のために、それが絶対必要だとおもうことに取り組むのが自己本位です。

自己本位ってエゴイズムと勘違いされやすいけど、違う。
他人を尊重するし、それを邪魔しない。
ただし、他人にも私の道を邪魔してほしくない、というのがあるんだね。

なぜ自己本位を説くのかと言えば、文明開化によっておこる虚無感を脱するためだと語ります。

第一に貴方がたは自分の個性が発展出来るような場所に尻を落ち付けべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進(まいしん)しなければ一生の不幸であると。
「私の個人主義」p143

自己本位が見つけられなければ、ある種の不幸であると語るのです。

漱石自身が神経衰弱にかかっていたと言われているよ。
『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』で、自己を滑稽化することでそれを癒したのではないかと言われている。

夏目漱石から見るロマン主義と自然主義

西洋文化の流入。

自由の理念が広まることで、自己が強く意識されるようになりました。

そこで流行った文学が、ロマン主義自然主義です。

漱石はこの二つの違いをこう表現します。

‐普通一般の人間は平生何も事の無い時に、大抵浪漫(ろまん)派でありながら、いざとなると十人が十人まで皆自然主義に変ずるという事実であります。
「私の個人主義」文明と道楽p111

例えば、人はそのようでなければいけないと情熱的に理想を抱き、それにロマンを感じます。

努力の結果、理想がかなうと信じるのです。

発表会で一位を取るとか、茶道で正しい所作で優雅にふるまうとか、「これが理想」と思い描くものがロマン主義
しかし、いざ発表会に挑むと一位を取ることはできなかったり、所作を間違えたり、理想と現実がはっきりとしてきます。
「ロマンチックの道徳は大体において過ぎ去ったものである」
あなた方が何故かと詰問なさるならば人間の智識(ちしき)がそれだけ進んだからとただ一言答えるだけである。
「私の個人主義」文明と道楽p114
文明開化により、科学的観察が発展。
人間はどう教育しても不完全なものであることがわかってきました。
その事実、つまり普通の人間をありのままの姿に書いたものが自然主義文学と漱石は表します。
漱石は現実がどうであっても理想を持つのが良いとしているよ。
ただ、文明開化以前がロマン主義傾向で、以後が自然主義傾向だから、まだまだ自然主義に傾くだろうって言っている
‐今後の日本人にはどういう資格が最も望ましいかと判じてみると、現実のできる程度の理想を懐(いだ)いて、ここに未来の隣人同胞との調和を求め、また従来の弱点を寛容する同情心を持して現在の個人に対する接触面の融合剤とするような心掛‐これが大切だろうと思われるのです。
「私の個人主義」文明と道楽p117
つまり、二つとも大事だと述べます。
理想を目指す情熱と、人への寛容の二つとも大事
倫理の教科書から、ロマン主義と自然主義を代表する文学を見ていきましょう。

ロマン主義

ロマン主義の文学⇒内面の理想や情熱を重んじ、感情を自由に表出させる文学
代表的人物
  • 北村透谷(きたむらとうこく、1868-94)
    自己の内的な要求「内部生命」と、宇宙の精神とを感応させる営みを書いた。
  • 島崎藤村(しまざきとうそん、1872-1943)
    詩集『若菜集』で自我の目覚めと憂いを歌った。
    (のちに、小説家になり自然主義文学『破壊』も書く。)
  • 与謝野晶子(よさのあきこ、1878-1942)
    歌集『みだれ髪』で官能をみずみずしい感性で表現し、日露戦争に出征する弟に「君死にたまうことなかれ」と歌いかけた。

自然主義文学

自然主義の文学⇒自己の内面的真実を告白するような文学
代表的人物
  • 森鴎外(もりおうがい、1862-1922)
    日本の社会と自我との矛盾の解決を諦念(ていねん、レジグナチオン)の境地に求めた。
    諦念⇒社会といたずらに衝突せず、順応しながら、しかもそこに埋没しない態度。
    (『舞姫』ではロマン主義文学の先駆けになった)
  • 夏目漱石
    真の自己確立をめざして、みにくいエゴイズムを乗り越えようと苦悩する人間の姿を描く。
    晩年は則天去私(そくてんきょし、天にのっとり、私を去る)の境地を求めた。

今回は夏目漱石から文明批判と、ロマン主義・自然主義をみてきました。

次回は大正デモクラシーを取り扱います。

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