幸徳秋水と社会主義

幸徳秋水(こうとくしゅうすい)と社会主義|高校倫理3章4節⑦

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第3章
「日本人としての自覚」
第4節「西洋思想の受容と展開」
幸徳秋水(こうとくしゅうすい)と社会主義
を扱っていきます。
鎖国から開国した日本。
列強諸国との交流が始まり、西洋の脅威に負けない日本づくりをする、という考え方になっていきます。
他国と関係を持つことから、戦争も増えました。
  • 1894年日清戦争
  • 1904年日露戦争
  • 1914年第一次世界大戦
  • 1926年〜1946年第二次世界大戦

列強諸国に植民地にされないように国を軍事的に強くしたい、という方針。

この軍国主義とぶつかったのが社会主義の運動です。

社会主義運動家の一人、幸徳秋水(こうとくしゅうすい)を見ていきます。

争いでは一致団結するとすごいパワーが生まれる!
でも、みんな同じ思想になると「人間らしさ」がわからなくなる
ブログ内容
  • 幸徳秋水と大逆事件
  • 幸徳秋水の思想

参考文献 「二十世紀の怪物 帝国主義」幸徳秋水 山田博雄訳

幸徳秋水と大逆事件

幸徳秋水(こうとくしゅうすい、1871-1911)は、39歳のときに刑を執行されました。

大逆事件で冤罪(えんざい)により、死刑判決を受けたからです。

大逆事件(1911年)⇒明治天皇暗殺謀議があったという理由で、幸徳秋水ら24名に死刑判決が下された事件。
幸徳事件と呼ばれることもある。
戦後、多数の関係資料が発見され、社会主義者などを根絶するために当時の政府が捏造した事件であるといわれている。
日露戦争(1904-05)後。
日本は戦争に勝ったけれども、賠償金を得ることができなかったので、社会の不安は高まっていきました。
賠償金がもらえなかったことで起きたとされる日比谷焼き討ち事件(1905)は象徴的
社会不安から、社会主義運動の動きが活発化。
政府はこれを徹底的に弾圧しようとし、その一つとして大逆事件を起こしたと推測されます。
教科書メモ
幸徳秋水は堺利彦(さかいとしひこ、1870-1933)と自由民権の思想を社会主義運動を通じて実現しようとした。
二人は、キリスト教的人道主義からでてきた片山潜(かたやません、1859-1933)、木下尚江(きのしたなおえ、1869-1937)、安部磯雄(あべいそお、1865-1949)らと社会民主党を結成。
しかし、この党は禁止にされた。
軍備拡張の方針だと、個人の自由・平等・平和がないがしろにされていた。
それに反発するように出てきたのが社会主義思想なんだね。
現代の私たちが思い描く社会主義とは、違うイメージかも

幸徳秋水「死刑の前」

大逆事件で幸徳秋水が捕まった後、彼は手記をつづりました。

冤罪(えんざい)だから、そういうのに抗議したのかな?

死刑!

私にはじつに自然な成り行きである。

これでいいのである。

かねてからの覚悟があるべきはずである。

私にとって死刑は、世の中の人々が思うように、忌まわしいものでも、恐ろしいものでも、何でもない。
「二十世紀の怪物 帝国主義」の「死刑の前」の個所p188

武士道!?
現代の私たちは延命することに価値を見いだしているから、理解が難しいかも…
私は長寿自体が必ずしも幸福ではなく、幸福は、ただ自己の満足をもって生き死にすることにあると信じてきた。
もしまた、人生に社会的な価値とも名づけるべきものがあるとすれば、それは長寿にあるのではなくて、その人格と事業とが、彼の周囲と後代の人々とに及ぼす感化・影響のいかんにあると信じていた。
今もそのように信じている。
「二十世紀の怪物 帝国主義」の「死刑の前」の個所p198
幸徳秋水は、自身の活動の結果、このような事態もありうることを考えていたようです。
当時は政治批判をすることが死活問題だった
人には死にどころがある、と受け入れている反面、このような記述もあります。
死刑が極悪・重罪の人の処罰を目的としているのはもちろんである。‐
けれども、それと同時に多くの尊ぶべき、敬うべき、愛すべき、善良で賢明な人々が死刑に処せられたのも事実である。‐
多くの小人・凡夫が、誤ってその時代の法に触れたために‐単に一羽の鶴を殺し、一頭の犬を殺したということのためにさえ‐死刑に処せられたのもまた、事実である。
「二十世紀の怪物 帝国主義」の「死刑の前」の個所p210
つまり、時代の思考によって、善良な人も死刑になる例を示します。
大逆事件は死刑制度を考えたり、社会主義を考えたりする上でも、現代の私たちの問題と関わってくる
「死刑の前」は短いエッセイ。
アマゾンの電子書籍で無料で読めるよ
>>死刑の前
政府に脅威と思われていた幸徳秋水の思考の一部を紹介します。

幸徳秋水と帝国主義への批判

「二十世紀の怪物 帝国主義」は帝国主義を批判した本です。

帝国主義⇒一つの国家または民族が自国の利益や領土の拡大を目指して、他国や他民族を侵略し、強大な国家をつくろうとすること

この本は、日清戦争後(日露戦争前)に書かれました。

その頃、ヨーロッパ列強によるアフリカ大陸の分割があり、その面積は1876年には約11%だったのに対し、1900年には約90%になっていたそうです。

世界各国で、すさまじい領土分割、領土獲得競争が繰り広げられていました。

数値で表されると、どれくらい帝国主義が流行ってたのかわかるね!

幸徳が生涯をかけて追い求めたのは、自由、平等、博愛(平和)でした。

しかしながら、幸徳の生きた時代は「帝国主義」という「怪物」が世界中で荒れ狂っていました。

「帝国主義」が意味する重要な要素の一つは、戦争へと突き進もうとする考え方・政策です。

幸徳はそれに強く反対しました。
「二十世紀の怪物 帝国主義」の訳者まえがきの個所p10

反対するために、幸徳は世界で初めて「帝国主義」を分析してみせました。

帝国主義を「怪物」と形容してるから、冷静に分析しつつも、情熱をこめて(主観も入りつつ)批判しているよ
幸徳秋水が説く帝国主義批判の例
  • 帝国主義は野原を焼く火である。
    帝国主義の流行は、科学的知識でなく迷信であり、理想なき単なる熱狂だ。
  • 戦争を好む心とは、動物の本能である。
    奴隷は自由を知らず、権利を知らず、幸福を知らず、ただ敵味方だけを教えられ、敵を憎むように仕向けられる。
  • 1880年以降、力の互角な強国間でほとんど戦争が行われなくなったのは、戦争の恐るべき結果を見抜くようになったから。
    しかし、軍国主義であれば、その脅威の武力はアジア・アフリカに向けられるので、争いは絶えない。

日清戦争の勝利で日本は沸き立っていました。

多くの教養人が戦争での勝利を「好成績」と受け取り、日本の進む道があっているとうたっていた頃です。

それでも、幸徳は批判しました。

戦争には費用がかかるので勝っても人々の生活を苦しめること、道徳的廃頽もあることを論理的に説明したのです。

幸徳は中江兆民に師事していた。
幸徳は兆民著「三酔人経綸問答」の洋学紳士のようだったみたい
>>中江兆民と自由論
幸徳秋水が政府に目をつけられたのは、ジャーナリストとしての発言力が大きかったためでもありました。
(『平民新聞』を発行、マルクスやエンゲルスの英訳から『社会主義神髄』を出版)
大逆事件の捜査が進む中、幸徳著『二十世紀の怪物 帝国主義』は発禁処分を受け、それ以後、社会主義関係の書物はほぼ店頭から消えていきました。
幸徳の古典は忘れさせられた古典でもあった
大逆事件をうけて、徳富蘆花(とくとみろか)、石川啄木(いしかわたくぼく)、森鴎外(もりおうがい)、永井荷風(ながいかふう)などがそれぞれ政府に批判的な文章を書いたと言われています。
そして、さらには米・英・仏でも大逆事件に関する抗議運動が起こりました。
今回は幸徳秋水と社会主義についてやりました。
次回は近代的自我の確立について取り扱います。
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