けうブログ

マーケティングを哲学的に考える。

おはようございます。けうです。

 

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さて、今日なんですけど、マーケティングってなんだ?

と昨日ふいに思ったので、マーケティングについて話そうと思います。

よかったらお付き合いください。

 

Wikiペティアで調べると、企業などの組織が行うあらゆる活動のうち、「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその価値を効果的に得られるようにする」ための概念である。

 

とありました。

私がメールマガジンをしている意図と同じだと思って、そうか、私はマーケティングに基づいているんだな、と昨日思いました。

 

ただマーケティングとセールスはちょっと違っていて、マーケティングのほんの一部がセールスになるみたいです。

マーケティングは経営戦略ですけど、セールスはコミュニケーションの結果で購入を検討している顧客候補に対して買う決断を手助けする行為になる。

そんなことが書いてありました。

 

そこで「T.レビット マーケティング論」を薦められたので購入しました。

5000円して高いんですけど、基礎から学ぶにはちょうどいいかなと思いました。

昨日注文したので、また読んだ内容も話していきたいと思います。

 

哲学と関係がない?なんて思われた方もいるでしょうけど、学問ってもとをたどれば形がない哲学にたどり着くので、哲学的と的をつけて捉えていただくといいかなと思いました。

経営哲学という言葉もあるようで、これは経済学用語の一つです。

 

マーケティングがうまれたのは古くは1940年の定義から、そこからどんどん改訂されていき、2007年にまた改訂されているようです。

 

定義が定まらないというところも、哲学的ですよね。

 

でも、マーケティングは具体的でもあります。

このレビットさんは「ドリルを売るには穴を売れ」という発想の元になっているみたいなんです。

 

商品を売るには、顧客にとっての価値から考えよ。

こんな発想からこの言葉は捉えられているようです。

 

これを聞くと、自分の頭で考える、ということに直結しているなと思いました。

売る方は、ですけどね。

顧客にとってどんな利点があるのか、その人にとっての価値を生み出していく考え方です。

 

その人のために考えているので、その人は考えやすくなりますね。

ショーペンハウアーで言えば、他人の頭で考える、という行為を率先してするという印象もうけます。

 

以前、ソフィストか哲学者か、と分けたときに、他人の為にかんがえるのがソフィストだって言いました。

詳しくはこちら。
>>「読書について」ショーペンハウアーの格言を読む
>>哲学者とソフィストの違いとは

このマーケティングはソフィスト的発想が強いのではないかなって思います。

哲学ではソフィストと哲学者を分けて考えることがあるんです。

それで、哲学者ショーペンハウアーにおいて、哲学者は自分の為に考える人。

ソフィストは他人の為に考える人だと定義していました。

 

どちらも極端にいくといけないとは思うんですけど、人は社会的な生き物でもあるので、ただ自分の為にずっと考えていることはできないんですよね。

 

考えるための言葉がもう社会性をおびているからです。

だから、私は哲学者的発想も、ソフィスト的発想も両方を実践してみたいなって思います。

 

生きることを考えたときに、自分一人で生きられれば、哲学的発想をずっとしていてもいいかもしれないな、と思いました。

でも、今はお金がなければ生きていけなくて、労働が義務化されていますよね。

 

他人のことを考えよう。

そんなことが、義務化されている感じです。

今は資本主義の時代になるので、その時代の考え方を私はしているんだろうなって思います。

ソフィストが悪いとされた点として、ソクラテスはソフィストを詭弁屋と言っているんです。

ただ相手を納得させればいい職業なんじゃないかって。

そして、ソフィストが解くような「徳」というものが本人にないくせに、「徳」を語っている、なんていうんですよね。

でも、そもそものソフィストは相対主義で、絶対的なものをおいていないんですよね。

これは哲学的でもあるんです。

懐疑論ですよね。

すべてのものを疑うことができる。

そして、それについて語ることができるし、人を納得させることもできる。

既存の常識を崩壊させる力もあります。

論理の力ですね。

 

ただ、またやっかいなのが論理の力を誇張しすぎると、批判の的になってくるようです。

常識ってどうして常識になっているのか。

例えば、これは法律です。

なぜ迷惑をかけてはいけないのか、という問い。

法律で支えられている点は多いですよね。

それを、別にいいんじゃない!

という意見だけが通ったとすると、多くの人が社会的に生きにくくなってしまうんですよね。

 

かといって、少数者を排除してきた歴史はあって、それはどうなのか、という改正も見られています。

障害に関する法律の改正なんかは顕著ですよね。

昔の思い込みを、常識を疑うことで改正できた。

そして、今ではそちらが主力の常識になっていたりするんです。

 

多様性の視点です。

なにが常識になってくるのか、というのも時代によったりする。

ほんとに確実なものが少なくなる、というのはソフィスト的な発想になってきているんだろうなって思います。

 

そんな中で、マーケティングを学んでいく。

顧客にとっての価値をつくり出すことは、私は学んでみたいなって思ったんです。

これは、知を愛すること、に繋がりますよね。

そして、私は自分の頭で考えたいんですけど、他人の頭で考えさせられる元を知る。

あ、これが他人の頭で考えていることなんだ、ということを知っておけば、さらに自分の頭で考えることができるのではないかと思いました。

 

今日はマーケティングについて話しました。

哲学的な発想だと、ソフィストにあたるのかなと考えました。

でも、私は悪い意味だとはとっていないです。

では、今日もお聞きいただいてありがとうございました。

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