マーケティング

マーケティングとはー科学と個性から消費者調査が意図するもの

おはようございます。けうです。

 

今日も、マーケティングについて話そうと思います。

というのは、マーケティングを学ぶことも、哲学の一部になると思ったからです。

哲学には二つの面があって、一つは学ぶこと。

一つはその学んだ土台を疑うこと。

この両面があります。

そして、それを実践しているのがマーケティングなので、哲学をする上でもやっておきたいなと思ったからです。

 

Tレビットの本は分厚いのに、一つ一つの論文がしっかりとしているので、一つ読むだけでたくさんのことを学べています。

 

そして、今日なんですけど、価値は科学ではない、という話の深堀があったので、それと絡めたいと思います。

 

私は消費者調査を軽くみていました。

それはなぜかというと、行き着く意見は同じものになってしまうと思っていたからです。

現にそのような事態はおこっているとレビットは語ります。

世界のコモディディ化ともいいます。

 

コモディディ化とは簡単に言うと、メーカーがメーカー自体の個性を失って、どのメーカーで購入してもたいして違いがないという状況のことです。

例えば、みんなが安さや便利さを追求しているので、メーカーはそれを追究します。

すると、同じような製品ができてしまうんですよ。

情報はあふれているので、安くておいしいというようなものが個人でも作れるし、まして企業でもそのように作るんです。

レビットは論文でも大手企業の失敗を取り上げます。

例えば、メンソールタバコのイメージは緑色だと消費者調査をした専門家から指摘を受けます。

すると、みんな緑にしようとすると言うんです。

 

これが起きる弊害としては、メーカーが機能や品質、外見などがそれぞれ違った軸があるのに、その軸を採用せずに、同じような軸でみてしまうから。

経済価値を他の利便性や安さとか、そのような軸を採用してしまうからだと述べられています。

これって科学の特徴でもあり、私が懸念していたことなんです。

人の意見を聞けば聞くほど、「真理」に向かう。

その結果、同じようなものしか出来上がらなくなるんじゃないか。

私はずっとこう思っていたので、人の意見をそこまで考え方にいれていなかったんです。

 

この弊害は2つあるとレビットは語ります。

一つは消費者調査を究めてしまって、一つの軸として捉えている

科学的で本当を求めるような軸を確立してしまうと、信頼感は増すんですけど、その結果として独自性を保つことはできなくなります。

 

二つ目は学ぶということ

学ぶというのは、模倣でもあります

そして、この学びを強調しすぎると同じような製品ができあがるんです。

これは学んだ功績であるんですけど、元を疑うことをしなくなっているから同じ製品しか作れなくなるんですよね。

 

昨日の私のように、感化されて、消費者調査は必要だからそれにならうようにしよう!

とだけ思い込んだとすると、このように独自性のない、多様性の視点が持てなくなってしまうんです。

 

でも、レビットは軸を変えろというんですよね。

外観なら、外観の。

独自性なら、独自性の軸を持て、と。

 

そこで、取り上げられてくるのは、人間独自の感性かもしれませんよね。

でも、ここでもその感性について、本当にそれは独自の感性なのか?

という問いをレビットはしています。

人間って無意識的に操られている部分が多いんですよね。

本能だったりして、それは一般化されやすいものです。

ショーペンハウアーも人間の本能は「真理」からも考えられるって言います。

この「真理」とは、同じ答えにいきつくものでもあります。

 

そしてこの「真理」のやっかいな点は、説得力を持つということ。

何か独自のものを言われるよりも、みんなが同じ「感性」に従ってだされた製品の方が、みんなが良いと思います。

みんな本能に従っている部分はあるんです。

でも、外観だと独自性なのでそれを持ち出すとすると、その人一人の意見と捉えられて不安に思われるかもしれないんです。

みんながメンソールは緑だ!

とイメージする中で、いやいや、赤が良いよ、と言ったとします。

みんなの感性的には緑ですよね。

なので、みんなはその意見に疑いをはさむんです。

そして、更に、それは「真理」に向かわないので、当たるかどうかということもわからないんですよね。

多様性や数他姓の変わらなさとか「真理」というのはないので、みんな不安になるんですよね。

学問とは違っていて正解がない。

 

だから、逆に外観を考えて他との差別化を考える時に、また更なる思考が必要になってきます。

一つの正解がある軸を考えた場合、企業は同じような外観になってしまいます。

でも、個性を打ち出した場合に、それはほんとに消費者調査を元にしているのか怪しくなる。消費者調査って手間暇かけますよね。

そこから、分析も大変です。

そして出てきた結論は重宝したくなるような意見で、みんなの希望をになったりしています。

人って正解をもとめたがりますよね。

否定されるのが嫌だったりする。

でも、その否定に個性があるんです。

 

何か、ずっと正解してきたとすると、一般に埋もれるんですよね。

みんな正解に向かうからです。

みんなが正解を目指す。

 

でも、個性は失敗にあって、さらに、みんなは失敗を目指しません。

実は個性を求めているようでいて、行動や本能としては目指さないんですよね。

 

だから、この個性を求める場合には、軸を変える必要がある。

しかも、それは信頼がそこまでおけるものではない。

こんな事実がある。

私は消費者調査をそこまで重要視していなかった理由を、レビットによって上手く言語化されたな、と思いました。

そして、これは哲学を学んでいるからこそ、絡められて納得もできます。

だから、ここに信頼性を見出すには、またこれは「真理」を軸にはおけます。

 

軸が違っていることの正当性を論じるには「真理」だけど、その軸から変化するものの「真理」は出すことができない。

 

例えば、私がこのように語ることによって、

「あ、個性に限っては軸を一つにしてはいけないな!」

とみんなが思うと思います。

でも、その納得に関して、私は科学的な説明を用いている、ということです。

 

こんな矛盾のおもしろさを感じました。

では、今日もお聞きいただいてありがとうございました。

 

マーケティング
最新情報をチェックしよう!
>けうブログ

けうブログ

哲学を身近に