「日本人としての自覚」
第4節「西洋思想の受容と展開」
⑦幸徳秋水(こうとくしゅうすい)と社会主義
>>①文明開化と福沢諭吉の「学問のすすめ」
>>②自由論と中江兆民(なかえちょうみん)
>>③内村鑑三(うちむらかんぞう)と二つのJ(イエスキリストと日本)
>>④教育勅語(きょういくちょくご)と「戦前」の日本
>>⑤徳富蘇峰(とくとみそほう)とジャーナリズム
>>⑥岡倉天心「茶の本」とナショナリズム
- 1894年日清戦争
- 1904年日露戦争
- 1914年第一次世界大戦
- 1926年〜1946年第二次世界大戦
列強諸国に植民地にされないように国を軍事的に強くしたい、という方針。
この軍国主義とぶつかったのが社会主義の運動です。
社会主義運動家の一人、幸徳秋水(こうとくしゅうすい)を見ていきます。
でも、みんな同じ思想になると「人間らしさ」がわからなくなる
- 幸徳秋水と大逆事件
- 幸徳秋水の思想
幸徳秋水と大逆事件
幸徳秋水(こうとくしゅうすい、1871-1911)は、39歳のときに刑を執行されました。
大逆事件で冤罪(えんざい)により、死刑判決を受けたからです。
幸徳事件と呼ばれることもある。
戦後、多数の関係資料が発見され、社会主義者などを根絶するために当時の政府が捏造した事件であるといわれている。
それに反発するように出てきたのが社会主義思想なんだね。
現代の私たちが思い描く社会主義とは、違うイメージかも
幸徳秋水「死刑の前」
大逆事件で幸徳秋水が捕まった後、彼は手記をつづりました。
死刑!
私にはじつに自然な成り行きである。
これでいいのである。
かねてからの覚悟があるべきはずである。
私にとって死刑は、世の中の人々が思うように、忌まわしいものでも、恐ろしいものでも、何でもない。
「二十世紀の怪物 帝国主義」の「死刑の前」の個所p188
私は長寿自体が必ずしも幸福ではなく、幸福は、ただ自己の満足をもって生き死にすることにあると信じてきた。もしまた、人生に社会的な価値とも名づけるべきものがあるとすれば、それは長寿にあるのではなくて、その人格と事業とが、彼の周囲と後代の人々とに及ぼす感化・影響のいかんにあると信じていた。今もそのように信じている。
「二十世紀の怪物 帝国主義」の「死刑の前」の個所p198
死刑が極悪・重罪の人の処罰を目的としているのはもちろんである。‐けれども、それと同時に多くの尊ぶべき、敬うべき、愛すべき、善良で賢明な人々が死刑に処せられたのも事実である。‐多くの小人・凡夫が、誤ってその時代の法に触れたために‐単に一羽の鶴を殺し、一頭の犬を殺したということのためにさえ‐死刑に処せられたのもまた、事実である。
「二十世紀の怪物 帝国主義」の「死刑の前」の個所p210
幸徳秋水と帝国主義への批判
「二十世紀の怪物 帝国主義」は帝国主義を批判した本です。
帝国主義⇒一つの国家または民族が自国の利益や領土の拡大を目指して、他国や他民族を侵略し、強大な国家をつくろうとすること
この本は、日清戦争後(日露戦争前)に書かれました。
その頃、ヨーロッパ列強によるアフリカ大陸の分割があり、その面積は1876年には約11%だったのに対し、1900年には約90%になっていたそうです。
世界各国で、すさまじい領土分割、領土獲得競争が繰り広げられていました。
幸徳が生涯をかけて追い求めたのは、自由、平等、博愛(平和)でした。
しかしながら、幸徳の生きた時代は「帝国主義」という「怪物」が世界中で荒れ狂っていました。
「帝国主義」が意味する重要な要素の一つは、戦争へと突き進もうとする考え方・政策です。
幸徳はそれに強く反対しました。
「二十世紀の怪物 帝国主義」の訳者まえがきの個所p10
反対するために、幸徳は世界で初めて「帝国主義」を分析してみせました。
- 帝国主義は野原を焼く火である。
帝国主義の流行は、科学的知識でなく迷信であり、理想なき単なる熱狂だ。 - 戦争を好む心とは、動物の本能である。
奴隷は自由を知らず、権利を知らず、幸福を知らず、ただ敵味方だけを教えられ、敵を憎むように仕向けられる。 - 1880年以降、力の互角な強国間でほとんど戦争が行われなくなったのは、戦争の恐るべき結果を見抜くようになったから。
しかし、軍国主義であれば、その脅威の武力はアジア・アフリカに向けられるので、争いは絶えない。
日清戦争の勝利で日本は沸き立っていました。
多くの教養人が戦争での勝利を「好成績」と受け取り、日本の進む道があっているとうたっていた頃です。
それでも、幸徳は批判しました。
戦争には費用がかかるので勝っても人々の生活を苦しめること、道徳的廃頽もあることを論理的に説明したのです。
(『平民新聞』を発行、マルクスやエンゲルスの英訳から『社会主義神髄』を出版)