マーケティング プラトン

マーケティングと哲学-一般性と個性を考察。

おはようございます。けうです。

 

今日もマーケティングを学んでいきます。

それでも、広告は夢を売るものの章にプラトンがでてきました。

やっぱりレビットは深く哲学を学んできたことは、ときどき出てくる哲学者の名前や作家からわかります。

レビットと哲学者プラトン

では、なぜここでプラトンがでてきたのか、その個所を引用します。

 

およそすべての広告は、芸術と同じで主観が入っている。
現実を忠実に映し出したものではなく、歪んでいる。
厳密には虚構だといえる。

だからこそプラトンも、統治をテーマにした著書「国家」で芸術を強く批判しているのだろう。

 

とあります。

芸術と広告は人に夢を見せる点で似ています。

 

では、夢ばかりをみせられることの害は何か。

これを私なりに哲学の視点から考えてみました。

 

夢というのは未来を見ます。
でも、大抵の哲学者が推奨しているのは、今を生きること。
未来を見据えて言ったとして、人間が行き着く先は希望もあるのですが、死だったりします。

プラトンはソクラテスの主張を軸にしています。

 

そのソクラテスは「善く生きる」ということを主張していました。
そして、善く生きた結果、大衆には殺されてしまうんですよね。

 

プラトンは自分が殺されることに関しては恐れていたと言います。

ソクラテスは一対一で対話をすることを望んでいたのですが、殺されるに至った裁判では一対多数で理解してもらえずに死刑判決にいたりました。

 

一対多数という関係は誤解が生じやすいんですよね。

だから、ソクラテスは本を出すことにも反対していました。
一対多数という関係をより強くするからです。

でも、プラトンは本を出したんですよね。
ソクラテスが素晴らしかったから、ソクラテスの本を出したかったんです。

 

でもずっと、殺されるのではないか、ということにはおびえていたそうです。

広告は夢を売る、を考えれば、さらに一対多数の関係は強まります。

広告は夢を売るとは

そして、何より、ただ広告から夢を見させられた側というのは、自分で考えなくなっていくのではないかな、とも思いました。

広告の考え方をさせられていく、ということです。

自分の欲は一般的にあるもので、その一般性にあてはめて満足してしまうからです。

 

でも、人には二面性があります。

みんなと一緒でいたいと思う反面、自分独自の個性はもちたいという考え方です。

 

個性は一人一人ちがった容姿を持っている私達は当たり前にもっているんですよね。

でも、個性が問題になる背景を考えると、個性を感じなくなっているからです。

 

それはデジタル化が進んで、思考ばかりが重視されるようになった結果かもしれません。

言葉というのもただその人の言葉というよりは、言葉と言葉の差異になってきます。

ただそれだけの個性というよりは、比較して生み出される個性になってきます。

 

そして、プラトンやソクラテスの批判にあてはめると、ソフィストという考え方にもなってきます。

行動をせずに口が立つ人物のことです。

 

それでも、と思うのは、私たちはすべてを体験できない、ということです。

自分の実体験に落とし込めれば一番いいんですけど、その商品を使ったとしてもその使い方に関して取扱説明書があったとしてもそれを読まない人も多数います。

私のような使い方をしてくれるとも限りません。

 

レビットの夢に関する考え方

 

だから、レビットはこうも語ります。

 

企業の役割、広告の社会的な正当性、経営者の発言などをしたり顔で論評するのは、自転車をこぐのと同じように、哲学的な根拠も、宗教上や倫理上の根拠も求められない。ただ一つの真実をおさえておけばそれでよい。それは、世の中に普及しているものはすべて、長年にわたってさまざまな状況で利便性や効果などを認められ、受け入れられてきた、ということだ。物事はありのままにとらえればそれでよく、裏側を深読みする必要はない。

 

これは何を意味するのかと言うと、よいものはよいという観点です。

 

例えば、私は今、話題コミックの紹介をブログ記事にしています。
話題コミックというのはその名前だけあって、評判がいいものを紹介しているんです。

そして、外れが少ないなと感じます。

どれもそれなりに面白いと思うからです。

 

その話題になる背景というのは、一人一人の人が良いと思った感想が積み重なっていくんですよね。

 

私はわからなかったけれど、他の人は良いと思える商品はたくさんあります。

 

だから、その評判を見極めてそれが嘘ではないとわかるとするならば、それを信頼して、そこから夢を語ることができる、ということです。

 

現に私がラジオでやっていることはこれなのではないかな、と思いました。

私はただ哲学やマーケティングを学んでいる一人にすぎません。

実践と学び

 

では、なぜそんな私が毎回のように語ることができているか。

それは哲学者やレビットの人物を信頼しているからです。

そして彼らの考え方を、自分の体験から結び付けてただそれを言葉にして話しているんですよね。

 

元の考え方を学んで、悪く言えば、学びというのは真似るということです。

真似ることによって、私はラジオでものを言うことができるんですよね。

 

私が何を信頼したかによって、ラジオ内容に信ぴょう性がでてきます。

本当ならば、実績や行動したことに基づいてラジオを言えたら、一番にオリジナリティがあっていいんだろうなと思います。

それは私が力不足な面が多々あるんだろうと思っています。

そして、私は自分が学んでいる最中です。

 

なので、自分の体験と本での学びを交えながら話してはいるんです。

そして、これからの体験として、その学びと自分のしていくことが一致するのか、どう考えたらいいのかは、振り返らないとずっと私はソフィスト、口が立つ人でしかないんだろうなと思いました。

 

なので、私は最近、実践することに重きを置いています。

発信する側として、偉人の言葉をそのまま真似ているだけとなれば、その偉人の本をすすめれば良い、ということになってしまうからです。

学ぶのももちろん大事なんです。

ただ発信するとなれば、自分の言葉で語りたいなと思っているからです。

一般性と個性-まとめ

 

広告は夢を売るものから、一般と個性について話してきました。

一般も大事だし、個性も大事。

中庸、真ん中というのはいつでも追い求めなければいけないなと思いました。

では、本日もお聞きいただいてありがとうございました。

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