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自然法論と法実証主義について。

おはようございます。けうです。

今日も法哲学について話していきます。

 

法実証主義と自然法論という言葉がでてきたので、今日はこれを覚えたいなと思いました。

法実証主義とは

法実証主義をまずは説明します。

これは法律と道徳は無関係という立場です。

法律とは合憲的な手続きを踏んで成立した実定法のみを指すべきであり、社会の全員が参照にするルールであるべきとする考え方です。

道徳的におかしくても、このように制定されているからそれに従おうという立場。

 

例えば、家でかけマージャンをやったとして逮捕されるかどうか。

スピード違反をして逮捕されるかどうか。

実は見つからなくて運がよければなにもお咎めがないものも、この法があるから裁かれるということのようです。

もし麻薬も日本では取り締まりをうけるけれど、ある海外の地域でやれば犯罪にはならないというように、相対的な概念が法実証主義にはあります。

 

次に自然法論を説明していきます。

自然法論とは

これは人間には人間特有の「本性」があって、それを守るための法というのが自然法論です。

多くはキリスト教と結びついていたりして、人間であればまず否定しないであろう掟というものがあるということを前提としています。

 

盗んではならない、所有権を犯してはならない、他人を害してはならない、嘘をついてはならない、というような決まりごとが絶対的にあると説く立場です。

 

本性以外にも良心を大事にしようというのもこの立場です。

ソクラテスの主知主義と似ている部分があります。

彼は人には絶対的な善や従うべきものがあると考えていました。

 

その元を辿ると、知性についての考え方です。

人は考える時に、正しいことを追い求めます。

1+1=2のようなことを正解として導きだそうとするんですよね。

これが絶対知という考え方です。

これに基づいて、人間には絶対従いたい善とか、徳があるだろう。

それを法律で決めようと言うのが自然法論の立場。

 

相対的ではなくて、絶対的です。

 

この相対主義的なのが法実証主義、絶対主義的なのが自然法と考えても良いのかもしれません。

法実証主義と絶対主義の二つが必要な理由

では、どうして二つが必要なのか。

それはどちらもお互いに密接に結びついているからです。

 

例えば、子どもと言う概念は18世紀半ばに発見されたそうです。

それまでは小さな大人という概念だったそうです。

私たちは子どもならばまだ理解が足りないからこれは許すべきだとか、子供に対してこんなことをしてはいけないというような常識をもっていますよね。

そして、これは法律になっていなくても常識として自然法に含まれるのではないかと思っている。

でも、これは時代による相対的な価値判断によって築きあげられてきたということもできてしまいます。

相対的な考え方は時代を超えても考えることができるということ。

つまり、子どもという概念が発見される前の常識では、子どもは小さな大人として扱われていたと言うことです。

でも、私たちは子どもに対する態度を自然主義的に判断するのかもしれません。

そして、それも合っていることがあるということ。

ただ発見されていなかっただけで、そういう本性や良心が元々人間に備わっていたとすれば、自然法に入ってくると考えます。

 

では、相対主義がまたなぜ大切かというのも、絶対主義がずっと君臨していたとすると、その発見ができないからですよね。

 

そして、昨今ではテクノロジーの発達によって、法の整備が追いついていないところがたくさんあるといいます。

そこについて、人間の良心とは別に、社会生活とか、国家としての生活を成り立たせるためにとりあえず良心とか道徳とか関係なく、国家を維持するために法の整備をしなければいけないという現実も出てくるので、法実証主義が大事ということにもなってきます。

人間の尊厳についての2つの捉え方

そして、興味深いなと思ったのが人間の尊厳についての考え方です。

筆者はこの言葉を二つにわけて考えられると述べていました。

 

人間の尊厳というものがあるとする、これは絶対主義的な考え方。

人間の絶対的な尊厳ですね。

人による相対価値を含まない絶対価値的な考え方。

これは人間という生物としての尊厳という考え方です。

みんなに共通する尊厳と言う考え方。

本では、人間を器として考える見方として語られていました。

人間と言う価値を守ろうとする考え方です。

 

 

かえって、人間の尊厳の人間を個人として見た場合。

人間を生物種としてではなく、個人個人の人として見た場合、その価値判断も一人一人違うと言うこと。

これは個性を大切にするような考え方です。

一人一人の考え方があって、例えばこの立場に立つと、殺人を許容したりします。

共通の知識としてダメ!として絶対的に決めてある事に対して様々な考え方をするということ。

ウソをついてはいけない。という絶対主義的な考え方に対して、じゃあ、殺人犯が迫ってきたら、嘘をつかないと私が殺されてしまう時でも、嘘をついてはいけないの?という問いが立ちます。

これは絶対的な常識を疑って、私の答えを見つける考え方ですね。

こちらは一人一人が主体となるので個人の主体性が重んじられます。

 

 

法も哲学が絡み合っていますね。

道徳とは関係がなく、法に従わなければいけないと考えているのは法実証主義的な考え方。

だから、私たちは自分の考え方だけでなく、周りに合わせて考えていく必要が出てきます。

そして、もしかすると自分が道徳的に正しいと思っていたことも、法実証主義に照らし合わせると、その常識が違っていた。

違っていたという言い方に疑問視があるとしたら、その常識を新たに発見したという考え方になるんだろうなと思いました。

法実証主義と自然法論-まとめ

法にも古くからある哲学的問い、絶対主義と相対主義の概念があることを面白く感じました。

そして、相対主義は議論によって絶対主義に揺さぶりをかけ続けます。

例えば、人間という概念にたいしても。

もし感情と論理的思考を切り離してしまった人がいたとして、その人が既存の自然法に対してほとんど反対の意見を持ったとしたらどうなるのか。

法を変えるのか、その人を人間と見なさないのか、ということも問題になるのかもしれません。

今の法律は絶対主義的なものを今の段階で設けておくという考え方でもありますよね。

法律は変わるかもしれないけれど、今はこれを基礎において考えて欲しいというものかもしれないということです。

 

では、お聞きいただいてありがとうございました。

 

 

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