「日本人としての自覚」
第2節「日本の仏教思想」
⑤道元の思想
1052年に末法に入ったと信じられた。
- 道元は栄西に影響を受けた
- 道元はどのように末法を否定したのか
- 道元の思想
参考文献 「日本精神史研究」(和辻哲郎)、「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」(飲茶)
道元は栄西に影響を受けた
道元は13歳のときに比叡山に入ります。
比叡山延暦寺は当時、一種のエリート養成機関であり、世俗的な権力にもまみれていたそうです。
道元も宋に渡って修行したよ
曹洞宗と臨済宗の違い
臨済宗は坐禅を説きましたが、それとともに公案(こうあん)を大事にしていました。
公案とは、師弟関係の間の禅問答です。
例えば、絶対にとけないような問題を師は弟子に出します。
真夜中、お寺が寝静まっている中で師は飛び起きた。
師「夢で、瓶の中のガチョウがふ化してしまった!
瓶も割らず、ガチョウも殺さずにガチョウを出してほしい。
そうでないと、私はまた寝ることが出来ない。
早くしてくれ!!」
師は混乱した様子で弟子たちを起こし、問答を仕掛けました。
物理的にどうあっても解決しない問題です。
瓶かガチョウ、どちらかが壊れてしまう。
師が暴れる中、みんな解決策を出すのに苦心します。
そんな中、
「ガチョウは外に出ています!!」
と弟子の一人がそういうと、師は満足してそう答えた弟子を後継者にしました。
禅は「問題」に対して論理的な思索をもって関わらない。
禅は「問題」を破壊し、革命し、飛び越える。
禅とは「問題を分析し解き明かす」のではなく、「問題から飛躍し、『答え』を直接体験する」ことを目指して洗練されてきた哲学体系なのである。
「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」(電子版)p666
このような禅に道元は影響を受け、納得できない問いの答えを直接体験することに求めました。
ただし、道元は臨済宗ではなく曹洞宗をひらいています。
本当はその論理的思考法から外れたところに答えがあるから、公案は誤解を受けやすいのかも
道元は末法を否定した
道元は現世でも悟りをえられる(末法の否定)と説きました。
なぜかといえば、当時の天台宗の教えでは人はもともと仏であるとする本覚(ほんがく)論が主流だったからです。
>>最澄と空海の思想
末法思想(悟れない)と悉有性(みなに仏性がある)というのはぶつかるのです。
仏性がないと当時の人が考えた理由を、道元の思想を元に解釈してみます。
ここに牛乳があります。
牛乳はチーズになるというチーズ性をもっています。
牛乳自体は牛乳なのですが、ある方法を試すことによってチーズになるので、チーズ性です。
けれど、牛乳をただ飲んだり見たりするだけではチーズ性を感じることはできず、そこにチーズ性はないように感じます。
では、どうしたらチーズ性を感じることができるでしょうか?
- 知識ある人に牛乳からチーズをつくる方法を教わる
- 自然にチーズができた
このような時に初めてチーズ性というのを感じることができるようになります。
牛乳そのものからチーズを感じることができないので、チーズ性はない、ともいえますが、知識ある人からみればある方法によってチーズになるのでチーズ性はあると考えることができます。
牛乳の知識がないとチーズにならないって考えるようなもの。
だって、チーズが自然にできるにはいろんな条件が必要だよね
道元の和辻哲郎にみる仏性の解釈
>>空の思想とは
例えば、私たちは「認識する私」というのは捉えることができません。
もし認識する私を捕らえたとしても、その認識している私とは何かという無限ループにおちいります。
それは、閉じ込められている部屋を出たけれど、そこはまた閉じ込められている場所だった、というように。
「もしすべてがバラなら、何一つバラではない」にもつながるかも
>>仏教誕生の理由
道元の宗教的真理は哲学的思索の埒外(らちがい)にあるものとして、思索によるその追及を断念せねばならない。しかし一切の哲学的思索が結局根底的な直接認識を明らかにするにあるならば、我々はかかる直接認識が何であるかをこの場合においても思索することができよう。
「日本精神史研究」p336
>>ブッダの思想
道元の葛藤(教科書外)
ところで人間の見解は人ごとに相違し、もし一つの見解に達せんとすれば必ずそこに論争を生ずる。すなわち思惟は必ずそこに論争を生ずる。すなわち思惟は必ず葛藤を産む。従って神秘的認識に執する禅宗にあっては、思惟は葛藤であるとして斥けられる。しかるに道元は、この葛藤こそまさに仏法を真に伝えるものだと主張するのである。
「日本精神史研究」p352
道元の思想
教科書における道元の思想ポイントをまとめます。
道元(1200-1253)は宋に渡り、天童山の如浄(にょじょう)から曹洞(そうとう)禅を学んで帰国し、曹洞宗をひらきました。
道元で押さえておきたい用語
- 只管打坐(しかんたざ)
⇒修行とはひたすら坐禅にうちこむこと - 修証一等(しゅしょういっとう)
⇒修行にうちこむことが、悟り(証)の体得 - 身心脱落(しんじんだつらく)
⇒身も心もいっさいの執着からときはなたれた境地 - 『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)
⇒主著、「仏道をならふというは、自己をならふなり」
只管打坐(しかんたざ)
道元がなぜただひたすら坐禅をすることを説いたのかといえば、「仏祖への盲従」です。
仏道に入るには、わが心に善悪を分けて善しと思い悪しと思うことを捨て、己れが都合好悪を忘れ、善くとも悪くとも仏祖の言語行履に従うべきである。
「精神史研究」p276道元は言った、‐修行者の天分は素材であり、導師は彫刻家である。
良き素材も良き彫刻家に逢わなければその良質を発揮することができない。
「日本精神史研究」p279
つまり、師(天童如浄)が坐禅が善いよ、といったのでそれに道元は習っているといえます。
では、坐禅が至高のものだとするならば、その理由はどのようなものなのか?
そこにコーヒーをつぐと、そのカップはコーヒーと呼ばれるようになる。
このように、坐禅をすると仏と同一になる、という解釈
修証一等(しゅしょういっとう)
修証一等は「実践と実践の成果は一つで等しい」という意味です。
つまり、手段の目的化。
仏法修行は、すなわち真理の探究と体現とは、ある目的のための手段ではない。
真理のために真理を求め、真理のために真理を体現するのである。
「精神史研究」p257
死体が点々とするような都で、道元は命に価値を見いだせませんでした。
もしこの生命が一番の価値だとしたら、我々の存在は価値なきに等しい、とまで道元は述べます。
では何に価値を置くのか。
それを道元は真理追求におきました。
真理の前には自己は無である。真理を体現した自己が尊いのではなく、自己に体現せられた真理が尊いのである。真理への修行はあくまでも真理それ自身のためでなくてはならぬ。
「精神史研究」p282
身心脱落(しんじんだつらく)
道元の思想は、すべて彼の根本の情熱‐身心を放下して真理を体得すべき道への情熱に基づいている。
「精神史研究」p314
つまり、道元の思想はあらゆる自我意識を捨ててしまうことに情熱を注いでいます。
身心脱落⇒ 自我意識を捨て、真理の世界に溶け込んでいくこと
道元は僧に対しては厳しい態度をとりました。
衣食住の欲からの離脱を真理への道の必須条件としたのです。
(「財欲を捨てよ、衣食に心を煩わすなかれ」)
「法を重くし身を軽くすべし」という道元の標語は、かくして、「努めてやまざるものはついに救われる」という思想に接近する。
それは生活を永遠の理想に奉仕させることである。
人類の健やかな生活は、この精神に導かれることを措いてほかにないであろう。
「日本精神史研究」p323
道元の坐禅が自力と言われているのは、このような努力を認めているからです。
そして、この努力は「永遠の理想(法)を自己の全人格によって把捉せんとする人間の努力」です。
そして、それは人格になるから、人格も重視する
脱落は滅却ではなく、より高き立場に保たせることになります。
今回は道元の思想をやりました。
次回は日蓮について取り扱います。
日本の仏教思想
>>①聖徳太子と和の精神
>>②最澄と空海
>>③末法思想と浄土宗
>>④親鸞(しんらん)の思想
>>⑤道元の思想(今回)
>>⑥日蓮の生涯
>>⑦無常観と日本文化