道元の思想|高校倫理3章2節日本仏教⑤

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第3章
「日本人としての自覚」
第2節「日本の仏教思想」
道元の思想
を扱っていきます。
聖徳太子から神道と仏教が融合する日本仏教が始まったとされ、そこから最澄と空海による山岳仏教がさらに日本仏教を形作ります。
そこから、仏教で言われる末法思想の歴史観が世に広まり、浄土宗がでてきました。
前回は浄土宗の展開を見ていったのですが、今回は坐禅(ざぜん)によって悟りにいたろうとした道元を中心に解説していきます。
道元(1200-1253)は末法の世であっても、現世で悟りは可能だと考えました。
末法⇒正しい教・行・証(教え・修行・悟り)がなく、すべて見失われて災いが広がる時代。
1052年に末法に入ったと信じられた。
道元は親鸞(1173-1262)と並ぶほど人気のある仏教者と言われています。
親鸞の方が27歳年上で、時期は違うけど二人とも比叡山で修行してた!
永平寺
「永平寺(えいへいじ)」(道元が建立)
ブログ構成
  • 道元は栄西に影響を受けた
  • 道元はどのように末法を否定したのか
  • 道元の思想

参考文献 「日本精神史研究」(和辻哲郎)「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」(飲茶)

道元は栄西に影響を受けた

道元は13歳のときに比叡山に入ります。

比叡山延暦寺は当時、一種のエリート養成機関であり、世俗的な権力にもまみれていたそうです。

最澄は当時の腐敗を嘆いて比叡山延暦寺をたてたけど、同じ道をたどってしまった
道元は仏性について疑問を抱き、その理由を高僧に聞いても納得のいく答えが返ってきません。
人は生まれた時から仏になる本質があるのに(仏性)、何故仏になる修行をしなくてはいけないの?という問い
そんな中、禅僧栄西(1141-1215)に影響をうけます。
栄西は宋に渡って禅を学んで臨済宗をひらきました。
ポイント
禅宗はインド僧達磨(ダルマ)が中国に禅を伝えたのに始まり、唐から宋にかけて栄えた。
唐に始まった臨済宗の元をたどっていくと達磨につながる。
坐禅を中心においた修行によって心の本性が明らかにされ、悟りが得られると説く。
道元は栄西に教わりたかったみたいだけど、教わるときに栄西は寿命前(60歳差)だったんだね。
道元も宋に渡って修行したよ
道元は問いは納得できていませんでしたが、体得する方法があると知ったのです。
悟ったものは悩みや疑問を持たない。
その悟る方法を栄西にヒントを得て、道元は宋に渡りました。

曹洞宗と臨済宗の違い

臨済宗は坐禅を説きましたが、それとともに公案(こうあん)を大事にしていました。

公案とは、師弟関係の間の禅問答です。

例えば、絶対にとけないような問題を師は弟子に出します。

真夜中、お寺が寝静まっている中で師は飛び起きた。

師「夢で、瓶の中のガチョウがふ化してしまった!

瓶も割らず、ガチョウも殺さずにガチョウを出してほしい。

そうでないと、私はまた寝ることが出来ない。

早くしてくれ!!」

師は混乱した様子で弟子たちを起こし、問答を仕掛けました。

物理的にどうあっても解決しない問題です。

瓶かガチョウ、どちらかが壊れてしまう。

師が暴れる中、みんな解決策を出すのに苦心します。

そんな中、

「ガチョウは外に出ています!!」

と弟子の一人がそういうと、師は満足してそう答えた弟子を後継者にしました。

禅は「問題」に対して論理的な思索をもって関わらない。

禅は「問題」を破壊し、革命し、飛び越える。

禅とは「問題を分析し解き明かす」のではなく、「問題から飛躍し、『答え』を直接体験する」ことを目指して洗練されてきた哲学体系なのである。
「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」(電子版)p666

このような禅に道元は影響を受け、納得できない問いの答えを直接体験することに求めました。

ただし、道元は臨済宗ではなく曹洞宗をひらいています。

道元は悟るための方法に、ひたすら坐禅をすることを説いたよ
栄西は天台真言と妥協して、純粋な禅の伝統を立てていなかったと言われている
ちなみに、臨済宗で有名なお坊さんに一休さん(一休宗純)がいます。
一休さん
アニメの一休さんはとんちが有名です。
このシーンは殿様に「屏風のトラを縛り上げてくれ」と言われて、一休さんがその返しに「捕まえるので、屏風から出してください」というシーン。
とんちがあると、頭がいい!ってイメージあるよね。
本当はその論理的思考法から外れたところに答えがあるから、公案は誤解を受けやすいのかも

道元は末法を否定した

道元は現世でも悟りをえられる(末法の否定)と説きました。

なぜかといえば、当時の天台宗の教えでは人はもともと仏であるとする本覚(ほんがく)論が主流だったからです。

本覚(ほんがく)⇒衆生は誰でも仏になれるということ、あるいは元から具わっていることをいう
天台宗は開祖最澄の思想がもとにあり、法華一乗思想(特別な人にかぎらずすべての人が、悟りを得て仏の境地に達することができる)がポイントでした。
>>最澄と空海の思想

末法思想(悟れない)と悉有性(みなに仏性がある)というのはぶつかるのです。

仏性がないと当時の人が考えた理由を、道元の思想を元に解釈してみます。

ここに牛乳があります。

牛乳はチーズになるというチーズ性をもっています。

牛乳自体は牛乳なのですが、ある方法を試すことによってチーズになるので、チーズ性です。

けれど、牛乳をただ飲んだり見たりするだけではチーズ性を感じることはできず、そこにチーズ性はないように感じます。

では、どうしたらチーズ性を感じることができるでしょうか?

  • 知識ある人に牛乳からチーズをつくる方法を教わる
  • 自然にチーズができた

このような時に初めてチーズ性というのを感じることができるようになります。

牛乳そのものからチーズを感じることができないので、チーズ性はない、ともいえますが、知識ある人からみればある方法によってチーズになるのでチーズ性はあると考えることができます。

チーズ性があるって知らなかった!
道元は悟るには師匠が優れてないと無理といって、師匠を大事にしたよ。
牛乳の知識がないとチーズにならないって考えるようなもの。
だって、チーズが自然にできるにはいろんな条件が必要だよね
ただし表現として、牛乳にはチーズ性あり、牛乳にはチーズ性なし、と両方言うことができます。

道元の和辻哲郎にみる仏性の解釈

道元の思想は仏教にある「空の思想」を展開させています。
「あなたは目の前にパソコンがあると認識しているけれど、それはあなたがそのように認識しているからパソコンがあるのであって、あなたの視点から外れれば、それはただの細かい液晶のドットにすぎない。すなわち、パソコンはあるけれど、ないともいえる。(一例)」
>>空の思想とは
この空の思想を、仏性について展開させます。
道元は「一切衆生悉有仏性」だけを切り取ります。
「衆生には悉く(ことごとく)仏性がある」という意味ではなく、衆生も仏もともに「悉有(ことごとくある)」の一部分にすぎない。
この「悉有」が仏性。
つまり、衆生の内に可能性として仏性があるのではなく、仏性の内に衆生が存する、と解釈します。

例えば、私たちは「認識する私」というのは捉えることができません。

部屋に閉じ込められている人が、その外側を知ることができないようなもの

もし認識する私を捕らえたとしても、その認識している私とは何かという無限ループにおちいります。

それは、閉じ込められている部屋を出たけれど、そこはまた閉じ込められている場所だった、というように。

えっ、僕は普通に認識する僕はいる、って会話してる
でも、実際は「認識する私」は認識できない。
「もしすべてがバラなら、何一つバラではない」にもつながるかも
この「認識する私」を認識できないとする思想は、仏教がアートマン思想を否定していることから築かれています。
>>仏教誕生の理由
「認識する私」は私に感じられているものですが、言葉として正確に表すことは難しいのです。
このように初めから「悉有(ことごとくある)」という仏性を語ることは、「認識する私」を語るようなもの。
道元の宗教的真理は哲学的思索の埒外(らちがい)にあるものとして、思索によるその追及を断念せねばならない。
しかし一切の哲学的思索が結局根底的な直接認識を明らかにするにあるならば、我々はかかる直接認識が何であるかをこの場合においても思索することができよう。
「日本精神史研究」p336
「ある」とも「なし」とも言えてしまう空の思想は、体感としての納得を求められます。
初期仏教における体感としての悟りは、輪廻を外れることを求めていたね
>>ブッダの思想

道元の葛藤(教科書外)

ちなみに、和辻哲郎は道元を弁証法で理解しました。
ところで人間の見解は人ごとに相違し、もし一つの見解に達せんとすれば必ずそこに論争を生ずる。
すなわち思惟は必ずそこに論争を生ずる。
すなわち思惟は必ず葛藤を産む。
従って神秘的認識に執する禅宗にあっては、思惟は葛藤であるとして斥けられる。
しかるに道元は、この葛藤こそまさに仏法を真に伝えるものだと主張するのである。
「日本精神史研究」p352
この考え方はイデーの弁証法的展開に最も近い。
つまり、「仏法とはまさに矛盾対立を通じて展開する思想の流れなのである」と和辻は道元から読み取ります。
道元といえば坐禅というイメージだけど、問答も大事にしていたことがわかるね

道元の思想

教科書における道元の思想ポイントをまとめます。

道元(1200-1253)は宋に渡り、天童山の如浄(にょじょう)から曹洞(そうとう)禅を学んで帰国し、曹洞宗をひらきました。

道元で押さえておきたい用語

  • 只管打坐(しかんたざ)
    ⇒修行とはひたすら坐禅にうちこむこと
  • 修証一等(しゅしょういっとう)
    ⇒修行にうちこむことが、悟り(証)の体得
  • 身心脱落(しんじんだつらく)
    ⇒身も心もいっさいの執着からときはなたれた境地
  • 『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)
    ⇒主著、「仏道をならふというは、自己をならふなり」

只管打坐(しかんたざ)

道元がなぜただひたすら坐禅をすることを説いたのかといえば、「仏祖への盲従」です。

仏道に入るには、わが心に善悪を分けて善しと思い悪しと思うことを捨て、己れが都合好悪を忘れ、善くとも悪くとも仏祖の言語行履に従うべきである。
「精神史研究」p276

道元は言った、‐修行者の天分は素材であり、導師は彫刻家である。

良き素材も良き彫刻家に逢わなければその良質を発揮することができない。
「日本精神史研究」p279

つまり、師(天童如浄)が坐禅が善いよ、といったのでそれに道元は習っているといえます。

では、坐禅が至高のものだとするならば、その理由はどのようなものなのか?

「坐禅が一番!」からその理由を抜粋
坐禅というのは自力要素を含んでいますが、道元が重視したのは「自己の内にあってしかも『自己のものでない力』に対する信頼」です。
道元にとって仏祖の模倣は絶対。
つまり、坐禅は絶対です。
どのくらい絶対かといえば、このような逸話があります。
昔、知覚禅師という人がいて、公金を盗んで衆にほどこした。
これを知った人が皇帝に言うと、死罪となった。
皇帝「死罪とは言ったものの、この男は賢者だ。
この罪を犯したのは深き心によるかもしれない。
首を切ろうとするとき、悲しむ気色あらば、速やかに切れ。
もしなければ、切るな。」
勅使は死罪の場にいどむと、罪びとは平然として、むしろ喜びの色を見せている。
知覚禅師「今生の命は一切衆生に施す(ほどこす)」
道元はこの話を用いて「これほどの心一度起こさずして仏法を悟ることはできない」と述べた。
道元は師が坐禅を修行とするならば、そのために身心を投げ捨てよ、と言います。
身心をなげうつほどに絶対
そして、坐禅をすることによって、「自己を空しゅうする」ことを目指しました。
自己が空っぽの器になることで、そこに仏が満ちる、と考えたのです。
例えば、ここに空のカップがあるとする。
そこにコーヒーをつぐと、そのカップはコーヒーと呼ばれるようになる。
このように、坐禅をすると仏と同一になる、という解釈

修証一等(しゅしょういっとう)

修証一等は「実践と実践の成果は一つで等しい」という意味です。

つまり、手段の目的化。

仏法修行は、すなわち真理の探究と体現とは、ある目的のための手段ではない。

真理のために真理を求め、真理のために真理を体現するのである。
「精神史研究」p257

死体が点々とするような都で、道元は命に価値を見いだせませんでした。

もしこの生命が一番の価値だとしたら、我々の存在は価値なきに等しい、とまで道元は述べます。

では何に価値を置くのか。

それを道元は真理追求におきました。

道元は生命よりも真理に価値をおいた!
身命に執する一切の価値を投げ捨てて、永遠の価値への要求をもって「行」に身を投ずることを道元は説きました。
真理の前には自己は無である。
真理を体現した自己が尊いのではなく、自己に体現せられた真理が尊いのである。
真理への修行はあくまでも真理それ自身のためでなくてはならぬ。
「精神史研究」p282
道元は真理追求に一番の価値を置きます。
そして、それを教えています。
例えば、「正法眼蔵随聞記」(曹洞禅の語録書)では道元が影響を受けた栄西のことが書かれています。
貧乏な建仁寺(栄西が開山)で寺中絶食したことがあった。
そのときに、一人の檀那(だんな)が栄西に絹を施してくれたので、栄西はよろこんでこれをお米と交換した。
ところが、ある俗人が絹がなくて困っていると聞くと、栄西は絹を取り返してきてその俗人に与えた。
栄西「おのおのは変なことをすると思うだろうが、我々僧侶は仏道を志して集まっているのだ。
一日絶食して餓死したところで苦しいはずはない。
世間的に生きている人の苦しみを助けてやる方が、意味は深い」
真理追求(慈悲の実現)の前には、僧にとって生命は二の次なのです。
道元は、人がある徳を行なうのは自らが貴くあらんがためだと述べました。
この道元の気高い精神は、武士時代の精神に影響を与えたと言われているよ

身心脱落(しんじんだつらく)

道元の思想は、すべて彼の根本の情熱‐身心を放下して真理を体得すべき道への情熱に基づいている。
「精神史研究」p314

つまり、道元の思想はあらゆる自我意識を捨ててしまうことに情熱を注いでいます。

身心脱落⇒ 自我意識を捨て、真理の世界に溶け込んでいくこと

道元は僧に対しては厳しい態度をとりました。

衣食住の欲からの離脱を真理への道の必須条件としたのです。
(「財欲を捨てよ、衣食に心を煩わすなかれ」)

「法を重くし身を軽くすべし」という道元の標語は、かくして、「努めてやまざるものはついに救われる」という思想に接近する。

それは生活を永遠の理想に奉仕させることである。

人類の健やかな生活は、この精神に導かれることを措いてほかにないであろう。
「日本精神史研究」p323

道元の坐禅が自力と言われているのは、このような努力を認めているからです。

そして、この努力は「永遠の理想(法)を自己の全人格によって把捉せんとする人間の努力」です。

努力して自分を空っぽにする!
自己が尊いのではなく、自己に体現された真理が尊い。
そして、それは人格になるから、人格も重視する

脱落は滅却ではなく、より高き立場に保たせることになります。

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