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himalayaラジオ

kindle本「多様性の物語」の紹介とカウンセリングの話

おはようございます。けうです。   Kindle本「多様性の物語」を出版しました。 今日はこのことについて話そうと思います。 障害って何だろう 副題として、ASDの歴史と可能性とつけています。 ASDはアスペルガー症候群だとか、自閉スペクトラム症などといいます。 そして、文献を参照に私は客観的に書いていますが、自分の身近に体験してきて思ってきたことを客観的にするということをやっています。 […]

感情を3つに分けて考察-「言葉と脳と心」を参照

おはようございます。けうです。   私はたびたび感情とは何かについて考察したいな、と思っています。 そのヒントになりそうなものがこれまでやってきた「言葉と脳と心」のエピローグにあったので参照にしたいと思います。   まず感情を分析するために、筆者の定義に基づいて意識と認知をわけます。 意識と認知を分ける 認知⇨入力情報の高次処理 (外来情報を知覚して、正しく反応する能力) 意識 […]

失語症-「言葉と脳と心」のまとめ

おはようございます。けうです。   「言葉との脳と心」を読み終えました。 今日は読み終えてみてのまとめと感想を伝えたいとおもいます。 失語症「言葉と脳と心」のまとめ まずはまとめです。 私はこの考え方を知ることで、昨日、日常に当てはめてみました。 私も言葉がよくでなくなることがあります。 例えば、この作業をやって欲しい!というのが頭に浮かんでいる。 それを言葉によってどう説明すればいいの […]

ジャン・ギトンの名言「もしすべてがバラなら、なにひとつバラではない。」

「もしすべてがバラなら、なにひとつバラではない。」 この文章は哲学者ルイアルチュセールが「精神分析講義」の中でとりあげていた表現です。 ルイ・アルチュセールが言うには彼の師匠のジャン・ギトンが言っていた名言だそうです。 彼は、精神分析の領域と心理学の領域を差別化するのは何かと講義でとりあげていました。 心理学と聞くと同じように感じる。 でも違う、ということをこの一文で表しています。   […]

失語症-空回りする言葉「脳の右半球と左半球のふしぎ」を紹介

おはようございます。けうです。   今日は5回目「言葉と脳と心」について、脳の右半球と左半球のふしぎをとりあげます。 副題は空回りする言葉です。 右半球と左半球の分離 脳科学などでは、左右の半球の接続がたたれると、右半球で認識したものが意識できなくても左半球ではいい訳のようなことをする、という「作話」作用があるということを話していました。(別の本「わたしはどこにあるのか」でインタープリン […]

失語症-言い間違いの不思議

おはようございます。けうです。   今日も「言葉と脳と心」を扱っていきます。 4章「言い間違いのふしぎ」伝道失語です。 伝導失語とは この症状はいわゆる言い間違いがたびたび起きてしまうことをいいます。 伝道失語は自分の言いたい単語が頭にあるにもかかわらず、実際に音声にしてみると、思っていた音とは違う音がでてしまいます。 本人はそのことに気づいており、何度も訂正を試みますが、結局上手くいか […]

失語症とは-ウェルニッケ失語「聞いた言葉が理解できなくなる理由」

おはようございます。けうです。   今日も「言葉と脳と心」を取り扱っていきます。 3章「聞いた言葉が理解できなくなる理由」です。 ウェルニッケ失語症とは ここでは主に、ウェルニッケ失語症をとりあげます。 このウィルニッケ失語の特徴をあげます。   ①この失語症では、理解障害が重くても日本語と外国語の聞き分けができる。   ②話しかけるセンテンスの持つ大きな意味の枠組み […]

失語症とは-発話できなくなる仕組み

おはようございます。けうです。   今日は前回に引き続き、「言葉と脳と心」を取り扱います。 2章「発話できなくなるふしぎ」からです。 失語症とは 失語症の中の失語症とよばれているのは、ブローカ失語といわれているそうです。 脳の部分のブローカと呼ばれる部分が損傷を受けた場合に、そもそもの言葉が2,3語しかでなくなってしまうことをいいます。   ブローカ医師にちなんでつけられた名前 […]

失語症と記憶-名前がわからなくなる不思議

おはようございます。けうです。   私はいつも、会話が上手くできません。 文章を書けといわれると、すらすらと書けるのですが、言葉にかぎっては出来ないのです。 だから、毎回ラジオをとる前に原稿を書いています。 もうこのラジオは300回に近くなっているのですが、それでも話すことが慣れないのです。 これはもう、何か原因があるに違いない、という確信に変わってきていました。 そして、調べてみるとそ […]

トーキングキュア‐会話で癒される場合を考える。

おはようございます。けうです。   トーキングキュア、言葉で癒されるということを考えていたのですが、それなら逆の場合もありうるのだろうな、ということを考えていました。 トークで傷つけられる場合。 日常言語と人工言語 哲学では、日常言語学派と人工言語派とにわかれるようになっています。 大雑把に言うならば、日常言語学派では本質なんてない! 人工言語派は本質があって、だから曖昧な言語は語るよう […]

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