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kindle本「多様性の物語」の紹介とカウンセリングの話

おはようございます。けうです。

 

Kindle本「多様性の物語」を出版しました。

今日はこのことについて話そうと思います。

障害って何だろう

副題として、ASDの歴史と可能性とつけています。

ASDはアスペルガー症候群だとか、自閉スペクトラム症などといいます。

そして、文献を参照に私は客観的に書いていますが、自分の身近に体験してきて思ってきたことを客観的にするということをやっています。

 

自分の身近に診断者が何人かいて、私はいつも障害ってなんだろうということは疑問に思っていました。

そして、ASDの発生をたどっていくと、歴史の恣意性というか、当時の人が勝手につけたという経緯もあるんです。

もちろん、障がいというのは本人に支障があるから自分からもらうということもあるんですが、社会的に支障があるからといった理由でもつけられてしまうことがある。

 

私はプロフィールにASD傾向と書いてあるんですが、いろいろ調べていってもASDの傾向に当てはまると調べるたびに感じています。

 

実は、昨日心理カウンセリングを受けてきました。

 

自分からというよりは、同僚や店長からあなたは最近表情が暗いし、事情を聞くとこれはカウンセリングを受けにいったほうがいいんじゃないか、と言われたんです。

それで、無意識にでてしまっている部分は自分ではわからないので、昨日受けにいってきました。

ちょっと相談事もあったので。

 

結論を言えば、あなたに必要なのはカウンセリングではないだろう、ということでした。

論理的にしっかりしているし、今の仕事が出来ているのならばいいだろう、と。

私はここで一つの相談を持ち掛けました。

私は自分でASDで診断をもらえるかもしれないと思っているんですが、受けた方がいいですか、って。

その前に、私は言い争いとか口喧嘩になったときに、あなたのことを障害者だと思っているとか、介護が必要な人だと思っているとか、言われていたんです。

嫌みも多々入っているとは思いますが。

 

なので、はたからみれば、診断を受けた方がいいのだろうかって思ったんです。

そういえば、と気がついて、私は息子が診断を受けるのに躊躇はしていないし、診断を受けることで小学校でのびのびとやれているなって思ったんです。

もう一人の場合は、仕事がつらくて大変だったから、診断があるおかげで仕事に縛られずにすんだ、という経緯もありました。

 

カウンセリングを会社からすすめられた。

障害者で介護が必要と言われてしまった。

なので、カウンセリングの先生に相談してみたんですが、必要はなさそうだと言われました。

私の今の職場はレジの作業が多いので、私もそこまで仕事は困ってないんですよね。

就職して初めは大変だったですけど、そのうちに10年も超えれば慣れが生じています。

 

本の紹介に戻ります。

kindle本「多様性の物語」の紹介

そう、私は小さい頃から精神病が身近にあったんです。

なので、それを考える機会も多かった。

そういう文献に当たって考えるにつれて、今まで障害とカテゴライズしていたことの枠組みを消して考えられるようにもなってきました。

 

実際、診断は下っていないものの哲学者でASDだろうという人は多いんです。

その人が書いた哲学書はどのようなものか、という興味もかなりありました。

「多様性の物語」では哲学者ドゥルーズが語っていた「モル的」「分子的」という概念も紹介しています。

これはASD特性の感じ方の一つとしても知って欲しいなと思って紹介しています。

 

本の全体的な目次はこうです。

・カテゴリカルとディメンショナルの説明
・ASDが精神病とつけられた背景
・歴史からASDについて考える理由を、うつ病から考察
・イノベーションとイミテーションから多様性を見る
・感情の「分子的」「モル的」
・脳科学から「分子的」「モル的」を説明する
・予測誤差とは

という目次構成になっています。

カテゴリカルとディメンショナル

哲学を身近にと私は言っていますけれど、この客観的に調べた文献は私の主観でもあります。

私はまだ障害が身近に感じられてなかった頃、カテゴライズして障害をみていたと思うんです。

区別して見ていて、私とは違う世界なんだ、と。

でも、一歩踏み込んでいけば、まったくそんなことはなくて切れ目が見えない問題でもあった。

ディメンショナルというのはスペクトラムという虹の考え方なんですが、切れ目がなくてグラデーションの中で考えていくんですよね。

 

なんでもディメンショナルに考えていけばいいかと言うとそうではなくて、私たちはカテゴライズしないと考えられないんですよね。

ものの名前がカテゴライズにあたります。

私たちはカタチがあるものを考えやすいんです。

カタチの無いものは上手く考えられない。

だから、カタチが与えられたうえで、その中でその境界線を越えていくという考え方ができたらいいのではないかと思います。

境界線を考えていく。

考える時はカテゴライズとディメンショナルの繰り返しになっています。

私は今、感情について哲学的にも考えているんですが、感情はカタチがないものもあるから考えにくいんです。

でも、それに言葉でカタチを与えると考えられるようになっています。

考えてカタチをつけたら、その境界をまた考えるという感じです。

 

ASDの他にも色覚多様性(色の見え方が違う)や、うつ病、統合失調症、分裂病などにも触れています。

自分とは関係がない、と思っていた人にもぜひ触れて欲しい概念だなと思っています。

 

障害というのは時代と共にも作られる概念だとも私は思っています。

今の世の中で自分に支障がある場合に、それに頼れるようにもなっている。

そして、その場合、社会に支障があるという場合もあります。

その場合は社会が一方的な見方しかしていないからだ、とも考えられます。

多様性を受け入れられなくて、一方的な見方になってしまうときにその見方をされると苦しくなるんだろうな、と。

 

では、最後までお聞きいただいてありがとうございました。

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