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「善と悪のパラドックス」の感想-攻撃性の特徴とは。

おはようございます。けうです。

 

「善と悪のパラドックス‐ヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史」リチャード・ランガム著を読んでいます。

ヒトは協力的で思いやりがありながらも、同時に残忍で攻撃的。

なぜこんなパラドックスを持っているのかを説明した本になります。

まずはどのようなことを悪(攻撃性)と見なしているのか見ていきます。

悪(攻撃性)について

「人間はもっとも知的な動物というだけではない。ほかに類を見ないほど複雑な道徳的性格の集合体なのだ。主としてきわめて邪悪であると同時に、きわめて善良でもある。」

このように筆者はいいます。

歴史的な犯罪者のアドルフ・ヒトラーやポル・ポト、ヨシフ・スターリンなどは普段はとても道徳的だったと言われているそうです。

その理由を筆者はヒトの悪について、ある2つの言葉によって説明します。

「反応的攻撃性」
「能動的攻撃性」

 

反応的攻撃性とは、野生動物ももっているようなカッとなってやってしまった暴力です。

感情が抑えられなくて攻撃してしまうことをさします。

能動的攻撃性は、計画殺人や計画性のある仕返しなどです。

この二つは裁判などで争われ、感情的にやってしまったことの方がおおめに見られやすい。

例えば、レイプの最中に犯罪者を殺すほうが、レイプ後に犯罪者を殺すよりも刑が軽くなる。

つまり、感情に従って起こしてしまった行為は、重要度が軽くみられやすいということです。

 

あるデータではフィラデルヒアで起きた殺人の35%の原因は反応的攻撃性。

残りの5%が計画された能動的攻撃性。

残り60%がどちらかわからないとされ、「家庭内のケンカ」「嫉妬」「金銭」などが入っていたそうです。

 

単純に分けることはできないのですが、種類によって見方を変えるという方法が取られています。

歴史的犯罪を犯してしまった人を見れば、この能動的攻撃性によって行われてしまったとみることができるのです。

先にあげたヒトラーやスターリンなどはこの能動的攻撃性にあたるということ。

人は能動的攻撃性、計画を立てる時に戦争や民族間の争いを起こしやすいというように推測できます。

民族間における悪(攻撃性)

他にもそのような例を紹介します。

ニューギニアの国家による干渉がいっさいない無政府状態の小規模社会。

例えばダニ族、殺人の割合が世界有数に高い集団と言われている集団のところに人類学者のカール・ハイダーが訪れたそうです。

この部族では、小規模な争いは一度に100人以上の死者をだすような大惨事になったり、戦士が死ぬと女性の指をきって一緒に埋葬するために、その部族で5本指がある女性はほとんどいなかったそうです。

そんな部族だったのですが、カール・ハイダーは「平和な戦士」と呼びました。

戦争状態でない限り、ダニ族はまじめな部族で気質は控えめ、物腰はやわらかく、めったに怒らなかったそうです。

一つの見解として、「人間は自分の社会のなかにいるものにやさしく、外にいるものに厳しい。」このようなまとめがありました。

人は状況によって暴力性を変える。

社会学的な判断をすれば、そのような結論がでます。

 

またこの暴力以外にも考えていきたい暴力を述べていきます。

家庭内暴力における悪(攻撃性)

それは、家庭内暴力です。

2005年のWHOの女性の健康と家庭内暴力に関する多国間調査で10か国2万4000人のデータが得られた。

都市部では、パートナーから身体的暴力を受けたと報告した女性の割合は、日本の13%からペルーの49%まであり、平均31%。

都市部以外では、割合が高く、平均41%。

親しいパートナーの暴力の50%以上が「深刻」と考えられていると述べられています。

続いて、2013年のWHOデータでは、首都部平均があがって41%。

都市部以外では51%、アメリカの割合は36%。

女性に対する暴力が世界じゅうに広がっていることは、嘆かわしいが否定できない。

41~71%の女性が、人生のどこかの地点で男性に暴力をふるわれている。

それでも、この数値は動物的にみれば低いらしく、野生のチンパンジーでは大人のメスの100%がオスから日常的に深刻な暴力をふるわれているとありました。

女性への攻撃的行動は、戦闘で男性の重要性をたたえる小規模社会でとりわけ広まっている。

筆者がある部族をおとずれたとき、電気がないので日中は家に入ることはなくみんなで外で共同作業をすることが多かったらしく、そのときの部族内の雰囲気は平和だったと述べています。

人は見えないところで、暴力が行われやすいという事。

社会生活では平和、部族間では争い、そして、見えないところではまた争いがある。

人は小さな見えない空間の中で暴力をしやすい。

子どもの虐待があったり、夫婦間の暴力があったりというのは、見えないところで行われやすい。

 

今回はデータを羅列してみましたが、チンパンジーのオスからメスへの暴力が100%というのには驚きました。

そして、歴史が平和に進歩しているのかと思いきや、家庭内暴力は増えているという統計データにも。

 

日本はとりわけ13%と平和的な数値がでています。

それなのに、男女差別の強い国というように世界各国からは見られているのは、どうしてなのか、という疑問が浮かびました。

しかも2005年といえば、家長制度というような亭主関白が一般的でもあった時代です。

おそらく、2013年に暴力の数値が伸びている事とも関係があるかもしれません。

人がそれを暴力とみなせるようになったときに、それが暴力になるからです。

そして、このようなものは見ることができないので、アンケートをとるしかない。

身体的な暴力が少ないというデータではあるのですが、男女差別が強いという事は精神的な暴力の方に傾いているのかもしれないという推測も立てられます。

家にこもることが多くなった現代にとって、この課題はまた取り上げられる問題だろうと感じました。

善と悪のパラドックス‐まとめ

「善と悪のパラドックス」のさわりの部分をまずは紹介しました。

人は性善説か性悪説か分けてみる見方をするのではなくて、両面あるとして筆者は考察しています。

私は女性なので、ある面、その見方に感化されてしまうことがあります。

歴史からみれば、女性は暴力をうけやすい。

そして、女性の地位向上はこれからの課題でもあり、この善と悪のパラドックスの解明をみていくことがこのような解決の一歩になるのかもしれないと思いました。

まだ読み進めているので、続けて紹介していこうと考えています。

では、お聞きいただいてありがとうございました。

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