おはようございます。けうです。
今日も「言葉と脳と心」を扱っていきます。
4章「言い間違いのふしぎ」伝道失語です。
伝導失語とは
この症状はいわゆる言い間違いがたびたび起きてしまうことをいいます。
伝道失語は自分の言いたい単語が頭にあるにもかかわらず、実際に音声にしてみると、思っていた音とは違う音がでてしまいます。
本人はそのことに気づいており、何度も訂正を試みますが、結局上手くいかないそうです。
この伝道失語と言われている症状は、ブローカ失語ではない、というのはその言葉遣いが間違っているとはいえ、その言葉がでてきます。
リズム・抑揚などの言語プロソディには問題がない。
聞いた言葉は理解できるので、ウェルニッケ失語でもありません。
だから、トロッコで言えば、荷物を積んで運転ができている状態にあります。
ただ違っているのは、意味がわかっているのに、言い間違いがあることです。
しかも、本人はその言い間違いに気がつきます。
トロッコから積み荷をおろして他人に渡そうとするときに、その積み荷の受け渡し方に困難が生じている、と考えてもいいのかもしれません。
患者さんの例でいけば、一文字を読む時、2文字を読む時、というのは言葉にほぼ間違いがないのですが、3文字を読むとき、4文字を読むときにつれてどんどん間違いが増えていき、5文字になるとほぼ正しい読みができません。
「言い方を間違えれば伝道失語なんだ!」
と把握すると分かりやすいのですが、そう伝わるとその弊害があるといいます。
筆者はこの読み方ばかりに伝道失語の焦点が当たってしまい、復唱を重視するあまり、自発話の言い間違いと、言い間違いの気づきと、言い間違いの訂正困難という復唱障害というもっと重要な点が無視されてしまったと言います。
なので、筆者はさらに伝道失語の奥にある脳の障害を見つけていきます。
伝導失語の仕組み-4つの段階
読む文字が目の前に提示されているということは、自分の言いたい単語が目の前にあるということ。
なんですが、それを言葉にしていうことが困難という症状を考えていきます。
この症状を受けて、言葉を把握してから声にだして言う段階が細かく分類されました。
観念心像(机の意味、観念、イメージ)
⇩
音韻塊心像(ツクエの単語音の切れない塊)
⇩
音節心像群(ツ・ク・エという3個の音節心像群)
⇩
音節心像系列(ツ⇨ク⇨エという音節の系列)
私たちが言いたいことをイメージしてからそれが言葉になってでてくるためには、この4つの過程を生むということです。
以前とちがってつけ加えられている点は、音節の順番です。
ツクエと言えるために、ツエクとかクツエだとか、混乱しない順番も組み立てている点です。
言い間違いが起こるのはこの4つの段階目の音声配列に支障があるのではないかと考えているのです。
しかも、この患者さんは言い間違いに気がつくものの、正しい訂正ができないのだといいます。スベリダイという五文字を正確に言うことが困難。
字も読めず、書けなくなるというのです。
筆者の結論としては、この障害を伝道失語というと正しい把握にならない。
正しくは中枢性失語という伝導路ではなく、中枢処理過程そのものがおかしいということを述べます。
言語の「伝導」の問題ではなく、「分化」と「展開」の問題なのだ、と。
単語を音に文化する。
ツクエならツ、ク、エと3つに分化させて、それを正しい配列にするということを人間はやってのけているのだと言うのです。
心の働きの中で、分化と文字の並び替えを行っているのだ、と。
以上が4章のまとめになります。
伝導失語の考察
言語とは、そういえば人間以外の動物はほぼ言えませんよね。
ということは複雑な過程があるはず。
そう考えると、私たちがものを言おうと思ってから4段階を踏んで、ようやく音声になっているというのは納得です。
さらに言えば、私は文章は書けるのですが、音声が難しかったりします。
ということは、あの4つの過程があるとすれば、音声とは違ってまた書くことの過程もありそうです。
私は文章を書くときに、それでも頭の中で発話が訪れます。
だから、考えると言うのは発話することなのかな、と思ってきたのですが、その前段階のイメージというのは確かにあります。
抽象概念を想像するときは、言葉が追いついてこないときもあります。
社会性の問題
私はよく言い間違いをするんですが、音声にしてちゃんと伝えようとするとたびたび言い間違いが起こってしまいます。
とくにこのヒマラヤでは言い間違いを気がつかずにしていることもあります。
指摘されればわかるんですが、そのような間違いが普通に起こってしまうと言うことです。
でも、その場合は私は他者を意識していて、一人で独語の場合とちがって他に伝えようという心の働きが加わるので、また混乱をきたしてしまうのかな、と思っています。
これは社会性の困難。
記憶の問題
後は、私たちは記憶をすればその言葉が5文字からなっていようが、7文字からなっていようがすらすら言えます。
例えば、ウィトゲンシュタインだとか、アインシュタインだとか。
私は気がつかないうちのこの両者の名前を間違ってつかっていたことがあるそうです。
その場合、この過程とはちがってきます。
そして、きっとこれは記憶に関わっていて、きっと覚えると言うことが文字の4段階を省略するんですよね。
そして、この言い間違えは初めの健忘症のような感じかなと思います。
おそらく、失語症からの分岐の病名ははっきり分かれていますけど、重複してしまってわからなくなるという部分は多そうです。
特に記憶とか、社会性とか、その他にもかかわってくるんだろうなと。
そう考えて、記憶の問題にするならば、並び替えを省略してそのように覚えているということがあるのではないかと考えます。
一度間違えて覚えてしまったものって訂正が難しいですよね。
きっとその回路が出来上がっていて、それを訂正しなければいけない。
私はホイジンガをホンジンガみたいに覚えていたらしくて、昨日気がついたんですが、覚えなおしました。この覚えなおしの過程を踏むときにまた4段階の過程をたどるのかな、と思います。
では、お聞きいただいてありがとうございました。