勉強の哲学

「勉強の哲学」の要約からSNSで知的に見える人を考察。

勉強の哲学 来るべきバカのために」(千葉雅也 著 増補版2020)を読みました。

深く勉強しないというのは、周りに合わせて動く生き方です。状況にうまく「乗れる」、つまり、ノリのいい生き方です。 逆に、「深く」勉強することは、流れのなかで立ち止まることであり、それは言ってみれば、「ノリが悪くなる」ことなのです。
「勉強の哲学」から抜粋

ここから、「深く勉強をしている人=知的な人」として、SNSで知的に見える人を考察していきます。

初めは見せかけだけでも、続けていくうちに「知的な人」になれるかもしれません。

※「知的な人」という言葉には私の主観が入り込んでいます。

「勉強の哲学」からSNSで知的に見える人とは

SNSで知的に見える人とは、ツイートに対してノリの悪い返信をする人のことです

「ノリの悪い返信」

そのように言われると知的な「良いイメージ」とは違ってきます。

そう、「勉強の哲学」では深く勉強をすることの「悪いイメージ」を上げていくのです。

勉強は
①自己破壊
②ノリが悪くなる
③喪失する
④キモくなる

これが「深く勉強をしている人=知的な人」です。

このように言われると、知的な人でなくてもいいと感じるかもしれません。

しかし、私たちはささいなことに対しても知的好奇心を持ちます。

では、この「悪いイメージ」を捉えなおしてみましょう。 ①から④まで具体的に見ていきます。

①勉強とは自己破壊である。

私たちは学ぶことで今までの自分の考え方を変えます

それは、自己否定や苦しみを伴う場合があります。

では何のために勉強するのか。

それは、今までの「ノリ」から自由になるためです。

「ノリ」とは何か。

本では、ノリという言い方を、環境への「適応」、「順応」という意味で使っています。

ノリから自由になるために自己破壊する

自由と聞くだけで、「良いイメージ」が浮かんできますね。 では、次をみていきます。

②勉強はノリが悪くなる。

勉強するとはノリが悪くなることである

ノリは同調圧力に従って、その場の空気を読むことです。

私たちは無意識的にいつも環境のノリに乗っ取られていると本では述べられています。

なんとなく生きてしまっている状態です。

そこから、勉強して生きていることを分析し、自分の環境のノリから距離を取ることを考えられるようになります。

いわば、俯瞰ふかんする能力を身につけることです。

③勉強とは喪失すること。

「井の中のかわず大海をしらず」

ということわざで表される意味です。

知る前は自分にすごい能力があると思っていても、知ることで自分が小さな存在に見えてきます

現実を受け入れることには苦痛が伴います。

しかし、これも成長や向上することに楽しみを覚えられる人にとっては利点になります。

④勉強とはキモくなること。

ここでのキモくなるとは、ノリが悪い語りをする人のことです。

勉強は語りに現れてきます。

普段の会話をしていても、環境から「浮く」ような語りになります。

会話において、ボケ(ユーモア)とツッコミ(アイロニー)を駆使して、環境のノリから抜け出しているのです。

例えば、会話の返しで問いを投げかける場合があります。

その場合、予期されない返しを受けたために発言者は考え込むことになります。

こども
おはよう!
今は夜なのにどうしておはよう!?

普段とは違うシチュエーションを思い浮かべますね。

発言を受けた側は言語に意識的になり、新たな視点を獲得します

 

①~④までで、勉強の「悪いイメージ」を「良いイメージ」に変えていくことができました。

良いと悪いというように単純化して見ることは二項対立です。

単純化して見なければ、悪い面は良い面になります。

これを読んで、勉強がしたいと思った人は多いのではないでしょうか。

では、SNSで知的に見える理由を見ていきましょう。

「勉強の哲学」の応用で知的に見える理由

SNSでノリの悪い返信が知的に見える理由を見ていきます

ここでのSNSはツイッターを見ていきます。

ツイッターは主に言葉のやり取りをします。

言葉のやり取りなので、特に④の「キモい」ことに焦点があたります

では、キモいとは具体的にどのようなことなのでしょうか。

筆者はここで「道具的な言語使用」と「玩具的な言語使用」という言葉を導入します。

キモいとは、玩具的な言葉使用に比重を置くことを言います

それぞれ見ていきましょう。

①道具的な言語使用

道具的な言葉使用とは、目的的な行為のために言語を使うことを表すと本で述べられています。

例えば、「コップを取って」とか「テレビを消して」とか、何かを言うことで行動される言語のことです。

何か目的があって、その目的の為の言語になります。

②玩具的な言語使用

玩具的な言葉使用とは、たんに言う為に言っている言語使用のことです。

言語を使うことそれ自体が目的として働く言語を指します

例えば、ボケやツッコミ、ダジャレや早口言葉などです。

しかし、道具的な言葉使用と玩具的な言葉使用ははっきりと分けられるのでしょうか。

③道具的で玩具的な言葉使用

はっきり述べると、確実に二つに分けることは難しくなります。

例えば、「おはよう」に対して「おはよう」と返した場合は、主に交流を平和に保つためと言う道具的な言葉使用になります。

けれど、「おはよう」に対して「こんばんは!」と返したとします。 少しユーモアの効いた返しですね。

この場合、交流を平和に保つためという道具的な意味と、言葉遊びをするという玩具的な言葉使用が混ざってきます。

言葉を交わすこと自体に目的があるので、言葉遊びだけという文は難しくなります。

では、知的とは何かというと、道具的よりも玩具的な言葉使用に比重を置くことです

道具的な言葉使用 < 玩具的な言葉使用

言語それ自体に意識を持ちます。

すると、見えてくるものがあります。

>>「翻訳の不確定性」
>>「ラングとパロールとは」
>>「シニフィアンとシニフィエ」

私が言語について述べた哲学用語が見えてきます。

これらを略して言うと、言語の意味は人によって違うことを表しています。

言語がそれ自体、「地に足が着いていない浮いた言語」になるのです。

この言語には、私がどのような意味をつけて遊んでも自由です。

言葉遊び的になることを筆者は「言語偏重げんごへんちょう」になると言いました

言語偏重になり、言葉遊びの力を開放すること

それがキモくなる人のことであり、私が言う知的な人のことです。

言葉遊びで言葉を返された場合、返された人は不思議な感覚に襲われます。

次にその具体例をみていきましょう。

「勉強の哲学」からSNSで知的に見える具体例

具体例をあげていきます。

けう
がんばろうね!
こども
何をがんばるの?

がんばることに対しての考え方は人それぞれです。

楽しいことに対して、「がんばる」は当てはまらないこともあります。

根源的な問いはその人の考え方を知ることになります

返ってくる答えがその人が気にしていることだったりするかもしれません。

ノリに乗らずに相手にとってはキモくなる返しかもしれません。

 
やわらかい石。 辛いチョコレート。 丸い四角。
けう
言葉として楽しいね!

目をひきつける言葉です。

言葉遊びをしながら言語を意識できるようになります。

ここでは対立する言葉をかけ合わせることによって、自分独自の表現を生み出しています。

そして、さらに知的になると何が起こるか。

こども
それはシニフィアンとシニフィエの問題だね!

急に専門用語が飛び出てしまう違和感です。

本人は違和感に気がつかないこともあるかもしれません。

人は知らないものに対して、キモいという感覚を覚えることもあります。

「勉強の哲学」からSNSで知的に見えるとは-まとめ

勉強をする「悪い」点は、自己破壊、ノリが悪くなる、喪失する、キモくなることです

「良い」点は、自由、俯瞰的能力、自己成長、新たな視点の獲得です。

道具的な言語使用」と「玩具的な言語使用」を見てきました。

「玩具的な言語使用」に比重をおく人が私の言う知的な人です。

言語に意識的になることで言語偏重の人になります

知的に見える人を具体的に見てきました。

言語に意識的になれば、知的な人になっていきます。

けう
まだまだ「知的に見える」例題が「勉強の哲学」に載っていたよ!
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