シニフィアン 違い

シニフィアンとシニフィエの違いをわかりやすく解説。

シニフィアンとは、文字や音声。

シニフィエとは、文字や音声からイメージされるものを言います。

ソシュール(1857~1913)が唱えました。

ソシュールは「近代言語学の祖」と言われるスイスの言語学者です。

そして、シニフィアンとシニフィエが合わさったものをシーニュ(記号)と言います。

シーニュ(記号)を二つに分けたのはなぜでしょうか。  

シニフィアンとシニフィエを理解しながら、具体的にみていきます。(哲学用語図鑑 参照)

まずはシニフィアンを見ていきましょう。

シニフィアンとは

シニフィアンとは文字や音声で意味しているものです。

まずは音声を見ていきます。

例えば、この読み方を見て下さい。

「カネ」「チョウ」 見ただけでは、お金のことなのか、鐘のことなのかわかりません。

チョウも蝶なのか腸なのか、中身がわかりません。

ただ、音だけは発音することができます。

この音声だけがわかる状態がシニフィアンです。

  さらに、文字にも触れます。 シニフィアンは文字の形のことを表します。

これを見て下さい。

「蕨」「塒」「心太」

 

読めた人はすごい!という漢字を例にしました。

読めませんよね。

 

ちなみに答えは「わらび」「ねぐら」「ところてん」と読みます。

読めなかった人は、漢字の形だけを見ていました。

この形だけがわかる状態がシニフィアンです

なぜ私が読めない漢字を出題したのかと言うと、読むことによって私たちは想像するからです。

次に記号内容とも言われるシニフィエを見ていきましょう。

シニフィエとは

シニフィエとは、シニフィアンからイメージされるものを言います。

例えば、音声で「カネ」と聞いたとき。

私たちはお金のことをイメージしたり、鐘のことをイメージします。

このイメージがシニフィエです。

「蕨」「塒」「心太」 この漢字をみたときは浮かばなかったイメージですが、 「わらび」「ねぐら」「ところてん」と聞いた時、そのイメージが頭の中に浮かんだ方も多いのではないでしょうか。

シニフィアン=記号表現
シニフィエ =記号内容

例えば、現代の表現でも「天体」と書いてあるのにルビでは「そら」となっていたり、「聖域」のルビが「サンクチュアリ」となっていたりします。

この場合、ルビで私たちがイメージしているものがシニフィエです。  

シニフィアンとシニフィエには相互関係があります。

なので、シニフィアンとシニフィエを合わせたものを記号(シーニュ)と言います。

私たちはそのシニフィアンとシニフィエを普段は意識せずに、一つの記号として使いこなしています。

しかし、この言葉の結びつきは必然性があるのでしょうか。

ここにシニフィアンとシニフィエを分けた理由があります。

詳しく見ていきましょう。

シニフィアンとシニフィエを分けた理由

シニフィアンとシニフィエを分けた理由の一つに、言語の恣意性があります。

恣意とは自分の思うままのことを言います。

例えば、「チョウ」と表記されていたときに蝶をイメージしました。

けれど、蝶のイメージは日本人とフランス人では違います。

フランスでは「蝶」と「ガ(蛾)」を分けないからです。

日本人が「チョウ」と聞いたときにイメージするのは、モンシロチョウやアゲハチョウなどの「キレイな蝶」が一般的です。

一方、フランス人が「パピヨン(蝶のフランス語)」と聞いたときは「蝶」と「ガ(蛾)」の両方がまざってイメージされています。

これは「ガ(蛾)」を嫌いがちな本人にとっては「キレイな蝶」ではないイメージです。

稲を大事にする日本人にとって「ガ(蛾)」は害虫だったので、言葉として分けたのかもしれません。

このように日本人が恣意的に「蝶」と「ガ(蛾)」を分けたと言うことです。

蝶に対してまとめてみます。

日本人:シニフィアンは二つ、シニフィエも2つ。「蝶」と「ガ」

フランス人:シニフィアンは一つ、シニフィエも一つ。「パピヨン」
文化によって記号の文字や音声と、そこからイメージされるものが違ってきます。
これを言語の恣意性といいます。
他の例では「虹」に対して 日本人は「ニジ」と言い、7色だとイメージします。
ドイツ人は「レーゲンボーゲン」と言い、5色だとイメージします。
シニフィアンとシニフィエを分けないと、記号の理解ができなくなるのです。
こども
虹色全部とって!
これは難題だ!7色といっても私にはその色がわからない
この言語の恣意性から言えることは何でしょうか。
それは、私たちが世界を言語で区切っているということです。
例えば、「右」という言葉があるから「左」という言葉がでてきます。
私たちは世界を区切ることで、一つ一つの要素を存在させます。
そして、この言語世界の範囲内で私たちは思考しているのです。
言語は思考を決定する原因にもなります
 
哲学者はよく言葉を分けます。
同じような意味にも感じられる二つの言葉ですが、使い分けているのです。
このように思考の材料を増やすことで、平面だった世界が立体として感じられます。

シニフィエとシニフィアンを分けることで見えてくる現代の問題点

ソシュールはシニフィエとシニフィアンが結びついて記号としました。

このソシュールのシニフィエは様々な言語哲学に発展していきます。

それは、言語を超えた意味にすら発展しました。

 

ソシュールの記号を超えて、概念の問題にすらできます。

最近では絵文字や一つの言葉で多様なものを表すことが多くなっています。

例えば「カワイイ」というシニフィアン。

これに対して多くのイメージ(概念)がつきまといます。

イメージの内容として、キレイとかそのままカワイイとか、可愛くないとか、なんでも一つのシニフィアンで表わされたりします。

これは話している感覚でどのような意味なのかイメージされていますが、シニフィアンの表記だけではイメージが確定できなくなります。

流行り言葉で日常で使用されているので、その場に合わせてイメージできます。

けれど、ネット同士のやりとりの場合は何か言語の付けたしをしないと意味が確定できません。  

さらに、シニフィアンはみんなに共通して現れる言葉なのですが、イメージは人によって違います。

「カワイイ」に対して肯定的にとる人もいれば、否定的に取る人もいる。

「個性」に対しても長所ととる人もいれば、短所ととる人もいる。

なので、シニフィアンから様々なイメージするために、自分と他人との会話が必要なのだとわかります。

話してみて初めてそのイメージ内容が明確になることがあるからです。

シニフィアンとシニフィエ‐まとめ

シニフィアン=文字や音声(記号表現)
シニフィエ =シニフィアンから得るイメージ(記号内容)

2つを合わせたものを記号(シーニュ)とソシュールは言いました。

シニフィアンとシニフィエの結びつきには必然性がありません。

ソシュールはこれ言語の恣意性と言いました

必然性がないので、文字や音声からイメージされるものは個人によって異なります。

一つのシニフィアンに対して、シニフィエはいくつも立ち現れます。

また、自分と他人との共通の理解を増やすには、相手のイメージを知る必要があります。

 

けう
文化的な違いを知ると、一つのシニフィアンに対していくつものシニフィエを発見できるね!
シニフィアン 違い
最新情報をチェックしよう!
>けうブログ

けうブログ

哲学を身近に