無知のベールとは、思考実験です。
誰かが犠牲になっている社会の現状から、平等を話し合います。
どのような話し合いなのかを見ていきましょう。
無知のベールとは
無知のベールとは、ジョン・ロールズ(1921~2002)によって唱えられた思考実験です。
(これからの「正義」の話をしよう マイケル・サンデル 参照)
まず自分が誰かわからなくなる「無知のベール」を頭にかけます。
自分がどんな立場かわからなくなります。
性別も年齢もわかりません。
自分が教育を受けているのかも、身体が不自由かもわかりません。
その状態で、どのような社会原則を作ればいいのかをみんなで話し合います。
「あなたならどんな原則を選びますか?」
無知のベールの具体例
話し合いが少人数でものを分ける場合だったら簡単です。
ケーキが一つあったとしたら、均一になるように分ければいいからです。
しかし、社会は複雑です。
社会ルールを立てると想像してみてください。
無知のベールをかぶっている人はみな、「自分は抑圧された少数派かもしれない」と考えるとロールズは言います。
もしかしたらホームレスかもしれない。
もしかしたら飢餓で苦しんでいるかもしれない。
「ならば底辺層を切り捨てるシステムは避けたほうが無難だ」と人は考えます。
決定した後で、無知のベールを取ります。
このようなことが起こらない原則を目指します。
その時に、3つの原理がでてくるとロールズは考えました。
- 基本的自由の原理
- 機会均等の原理
- 格差原理
具体的に見ていきます。
無知のベールの3原則
ロールズは社会正義のためには3つの原理を導き出せると考えました。(哲学用語図鑑 参照)
基本的自由の原則
「良心、思想、言葉の自由は保障されなくてはならない」
日本国憲法にもあります。
機会均等の原理
「たとえ格差が生まれても競争の自由は保障されなくてはならない」
競争を否定しません。
しかし、疑問がうまれます。
自分が恵まれない状況にいた場合、自由に競争に参加できるだろうか?と。
最も不遇な人々と裕福層の人々との差は、調整されるべきだとロールズは考えます。
そこから出てきた考えが3番目です。
格差原理
「競争によって生まれた格差は最も不遇な人々の生活を改善することにつながるものでなければならない」
この格差原理をさらに詳しくみていきます。
「これからの『正義』の話をしよう」(マイケル・サンデル 2010)から抜粋します。
「格差原理とは、いわば個人に分配された天賦の才を全体の資産と見なし、それらの才能が生みだした利益を分かち合うことに関する同意だ。ー
天賦の才に恵まれたものは、才能があるという理由だけで利益を得てはならず、訓練や教育にかかったコストをまかない、自分よりも恵まれない人びとを助けるために才能を使うかぎりにおいて、みずからの才能から利益を得ることができる。ー
こうした偶然性が、最も不遇な立場にある人びとの利益になるような形で生かせる仕組みを社会のなかにつくればよいのだ。」
顔がいいから鼻眼鏡をかける。
足が速いから重りをつける。
頭がいいから騒がしいヘッドホンをかける。
そういうことではなく、能力や環境の差など人の多様性を認めます。
多様性によって所得格差がでるのは仕方がないことだ、と。
最も不利な立場にある人々の状況を改善するための所得格差を認めています。
自由もあって、競争もできて、生活に困らないという原則です。
なので、無知のベールをかぶっていれば受け入れたくなる3つの原理です。
ロールズは無知のベールを政治から考えました。
政治家の役割の一つは、市民から得た税金を再配分することです。
無知のベールの基本原理のように、福祉にも政治はお金を配分しています。
無知のベールの立場
無知のベールを唱えたロールズはリベラリズムと言われています。
リベラリズムは功利主義を批判する形ででてきました。
現代の哲学者マルクス・ガブリエルは言います。
「絶対的に見ると、下層にいる人の数がこれほど多くなったことは人類史上ありません。」
貧富の格差は広がっています。
政府が弱まり、企業が力を持ってきました。
つまり、今の社会に基づいて現実的な原則を打ち立てよう、という流れです。
ポイント
ちなみに、引用した本のサンデル教授はコミュニタリアリズムの立場です。
コミュニタリアリズム⇒共同体の道徳や価値を尊重する立場
無知のベールで個人の背景にある物語を無視することは、あまりにも抽象的だと批判しています。
個人のアイデンティティは育った環境や仲間とは切り離して考えられないと説いています。
無知のベールで克服したいこと
「能力によってお金を稼ぐのなら、その所得格差はよい」と、無知のベールではそのような結論に出ました。
しかし、現代では格差社会が問題になっています。
なぜ格差が問題になるのでしょうか?
格差社会の問題点
なぜ格差が問題になるかといえば、例えば水問題から考えてみましょう。
地球は将来的に水不足が問題化するようです。
何を製造するのにも、水がかかわってくるからです。
しかし、世界全体を考えてみます。
日本のようなところでは水が豊富に降る分、他の所では水がたまらないという環境における格差が起こるからです。
水が平等に配られれば、水不足に悩むことはないかもしれません。
平等に分配すれば。
平等に分配されない分、どこかに負担がよっているということなのです。
水道をひねれば簡単にでてくる水に対して、私たちは貴重に思うことは難しいですし、分けるシステムを考えるのも難しくなります。
なので、無知のベールを政治ではなく倫理に応用した「モラリティの資本主義」をマルクス・ガブリエルは考え出しました。
具体的に言えば、企業や個人が倫理でお金儲けをすることです。
無知のベールの思考実験を、マルクス・ガブリエルの視点から見ていきます。
無知のベールから考えるモラリティの資本主義とは
マルクス・ガブリエルは無知のベールの思考実験を、倫理で応用して考えます。
そこからでてくる発想が、「モラリティの資本主義」です。
「世界史の針が巻き戻るとき」(マルクス・ガブリエル著 2020)を参照に見ていきます。
モラリティの資本主義とは、善行からお金儲けをすることです。
この着想を思いついたのは、カトリック教会だとマルクス・ガブリエルは語ります。
キリスト教の信者は、世界中で約25億人。
カトリック教会が売っているのはモラリティだけです。
例えば、ドイツではカトリックかプロテスタントでいるには給料の6%ほどの税金を払わなければいけないそうです。
より善き生活(ベターライフ)にお金を支払っているのです。
「あなたが次に買うものがより善き生活である」と想像します。
すでに物を持っている人々は、そこまでいろいろな商品を得たいわけではありません。
お気に入りのものや、買い換えなくてもいいものが出てきます。
すぐ新しい商品に飛びつくと、地球環境に悪いのではないかというネガティブな発想も出てきてしまいます。
そんな中、こんな商品があったら買うのではないかとマルクス・ガブリエルは提案します。
「高価だからこそ『贅沢品を買った』と誰しもに満足感を与えるような、環境に配慮した定期サービスです。」
満足感を与えるような昔からのもの。
例えば、本は筆者の思想を売っています。
他にも、今流行りのオンラインサロンや月額性のYouTubeなどは、高価だから「贅沢品を買った」と誰しもに満足感を与える要素があります。
日常でも見ていきましょう。
最近はこんな宣伝を目にするようになりました。
この商品を買うと、恵まれない地域に50円寄付されます、と。
値段が同じものならば、人は損をしたくないので付加価値がついているものを求めます
その付加価値に倫理をつけるのです。
政治では福祉に配分されているのに、私たちは経済で募金という名目だと偽善だと感じることがあります。
これはなぜでしょうか。
無知のベールの思考実験を振り返ってみます。
無知のベールとモラリティ
マルクス・ガブリエルは述べます。
「我々には普遍的な道徳的価値観があり、違う文化がそれを覆っているだけだ」
無知のベールから見た思考実験では、みんなが3つの原理に同意することが普遍的な道徳的価値観です。
「普遍的な倫理観には、生物学的な基盤があります。我々はもともとは皆同じ種だからです。」
人は人を見ることができます。
では、なぜこんなにも格差が生じてしまったのでしょうか。
マルクス・ガブリエルは、人が人に酷いことができるのは、相手を「非人間化」するからだと言います。
戦争をゲームのように想定するのも、非人間化の手段です。
さらに、日常で言えば私たちが買い物をするときには、いろいろな事実に目をつぶります。
見ないようにして、今の日本の経済から恩恵を受け取っています。
今食べているお肉がどうやって出来ているのか。
飢餓で苦しむ人と、私が今これを食べることは別だと考えます。
「何も知らないという無知のベール」を私たちはかけてしまいがちです。
ずっと知らないふりをしてきたのに、そのときだけ募金をしても、偽善だと考えてしまう可能性があります。
マルクス・ガブリエルは「今ほど世界中の人間が人種差別主義者になっている時代はありません。」と言います。
この無知や「非人間化」が進んだ結果、世界中の人種差別がすすんでいます。
モラリティの資本主義考察
モラリティの資本主義では、その現実を見ることができるようにします。
現にファーストフードを買うことで、寄付されるという情報が入ることで他国をみることができます。
思想に商品価値を生むオンラインサロンも、サロンメンバーが応援したくなるようなことに取り組むことで経済がまわります。
お金を贅沢品に使っても、そのことを直視できるのです。
「倫理的になることで企業は生産性を上げ、金儲けができるようになる。
いつの日か、そのことを数多くの超有名企業たちに納得してもらう。それが私の目標です。」
このようにマルクス・ガブリエルは語ります。
人は同じ種なので、無知のベールをかぶれば人類全体のことを考えられる、という思想に基づいたときにモラリティの資本主義という発想が出てきます。
これは道徳的に善いことをしなければならないという負担ではなく、知ることができるという人の本能(知的好奇心)を刺激した経済です。
無知のベールと「モラリティの資本主義」まとめ
無知のベールとは思考実験です。
自分が何者かわからない状態で、社会の原則3つを導き出しました。
- 基本的自由の原理
- 機会均等の原理
- 格差原理
世界に制度がない当時、人々の全体の幸福度をあげればよいという功利主義が生まれました。
しかし、それは誰かの犠牲の上になりたっていました。
その犠牲をなくすのがリベラリズムによる「無知のベール」での話し合いです。
人々の自由や競争といった多様性は認めます。
そして、その結果として生じた格差を補うことが前提になっています。
ロールズは無知のベールを政治の視点から語りました。
しかし、貧富の格差は広がっています。
なので、マルクス・ガブリエルは無知のベールに倫理の視点で取り入れました。
モラリティの資本主義です。
人々の「非人間化」や「無知」を防ぎます。