ベネフィットへの転換-多様性が求められる理由。

おはようございます。けうです。

 

今日は、人は何が得意で何が不得意なのかは決まりやすいということを話そうと思います。

レビットの論文、社会から孤立するアメリカ産業界を読んで思ったことを述べていきます。

産業界が悪となる見方

レビットは言います。

 

産業界は、市民が開放的、進歩的だと考える法律や、不可欠だと考える法律に異を唱えてきた。常に善を妨げようとする悪者の役割を演じては、みずからの立場を悪くしてきたのである。

 

確かに想像してみます。

お金儲けに走る人は悪徳高利貸しとか、悪代官に代表されるような悪者だったりします。

そういった人たちがお金儲けをすると、ある一定の民衆が不幸になる場面をえがいています。

 

けれども、昨日の回でレビットはジョンソン大統領の功績を述べました。

企業と政府がくっつくことで、さらに公共の福祉を実現できるようになったと。

 

というのは、今はモノがあふれてきたので転換期にある。

レビットの言うような商売の観点を人々のベネフィット、悩みや望んでいることを商品にするような転換が起きてきているので、ここにおいても見方の変換が必要だというのです。

 

そうとるならば、政府は民衆が望んでいる対策をとります。

そして、その対策にはたくさんのベネフィットやみんなが望んでいることが詰まっています。

なので、その悩みと結びつけて考えられる企業は成長する、ということのようです。

企業体制の仕組み

でも、レビットは困ったことがあると述べます。

大企業の経営幹部は、成功すればするほど、役職が高ければ高いほど、未経験の分野について意見を求められることが多くなる、と。

そして、その人たちはそのことが得意なことではなかったりする、と。

 

出世の仕組みの悪い点としてよく本で語られていますが、営業が得意な人がその成績から出世して他の役職についたとすると、その役職はその人に合っていないことがわかったというようなことです。

そして、逆に今いる役職ではまったく能力を発揮できない人は出世ができないので、他の役職を体験することができない、ということ。

未だに一つのことに優れていると、他のことも優れているだろうという見解があるということです。

といっても、道が確立されていくとその確立したことを実行する能力に優れているという人は存在しますけど。

得意なことの特質

よく、自分は何が得意なのかはわからないといいます。

昨日ツイートで興味深い本の一文を読みました。

「無知な一般人に育てられたハリーは、魔法の経験が皆無のまま、ホグワーツ魔法魔術学校に入学する。彼が自分の独特の能力を知り尽くして発揮できるようになるまでは、本が七巻ひつようだった。」

とホモサピエンス全史にあったそうです。

 

これはハリー・ポッターが自分の得意な場所にいけたということがわかっていても、それを発揮するまでに学校生活すべてをかけたということ。

 

さらに言うならば、私は受験のコミックを読んでいたりするのですが、そこでは勉強のやり方がわからなくて、勉強の素質やポテンシャルがあるのにそれが見つけられるまでに何年もかかっていたという事実です。

もし、教師陣がその子のことを細かく見ていなかったり、働きかけをしなかった場合、その才能やポテンシャルは埋もれてしまっていたことになります。

 

と、だから、産業界と大衆が対立する構図がずっと続いている一つの原因としては、トップが昔ながらの得意なことが得意な人たちで固まってるというのはあるのかもしれません。

企業のトップにいる人々

トップになると、その人に意見を言う人はいなくなるし、意見が違っていてもその意見が正しいと言う見方をされるからです。

 

なので、レビットは言います。

 

就業前の人々に教育を施すことである。もちろん、彼らがビジネスパーソンとしてのキャリアを歩み始め、組織のなかで成長していくプロセスでも、教育は続けていかなくてはならない。

 

ある程度の年齢になると、技術はどうであれ社会に対する考え方は凝り固まり、もはや変えることはできない、とまでレビットは言います。

 

もし変えるとしたら、環境の変化や変化を受け入れられることが必要になります。

自分の得意なことを周りから言われたらそれを素直に聞くことができるような、または反対意見をいわれたら自分を疑ってその意見を客観的に見られる能力です。

こうなると、また常識を疑うような哲学が、この時代に言われている理由もさらに明確になりそうです。

 

今はきっと変化が著しいから、自分を変えながら行動していくことがきっと求められているのかな、と思いました。

 

自分の得意なことをずっと探したり、探し終えたとしても、社会情勢とその得意がどうかかわれるのか検討したり。

 

きっとここにあるのは、二項対立をなくす考え方です。

良いが悪いになったり、悪いが良いにかわったりするような柔軟な思考。

モノではなくて、多様性をもったベネフィットが商品になるのだから、きっと移り変わりが早くなっているんだろうな、と思いました。

 

そして、きっぱりと就業前の人々に教育すること、と訴える背景に何があったのかな、と思いました。人は年齢でそこまで区切れるものなのか。

よく遺伝が出てきやすいのは年をとってからだといいます。

だから、教育で他の考え方をさせにくいというのはあるかもしれません。

そして、それは自分で気がつきにくい事なので、これも指摘をしてもらわないとわからないことが多いように感じます。

私の普通は他の人にとって普通なのか、わかりようがないからです。

ベネフィットへの転換-まとめ

レビットの話に戻ると、大きな構図では産業と大衆との戦いの構図をなくすことが初めにくるのかな、とも思いました。

この転換から、人に焦点をあてるという多様性の観点が生れて、それによってベネフィットによる経済が回りやすくなるという意見になるのかな、と。

 

では、今日もお聞きいただいてありがとうございました。

 

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