おはようございます。けうです。
メールマガジンをやっています。
この思想に基づいた考え方はワードプレスで稼ぐのサイトから。
毎日1個ずつ、とりあえず更新しているんですけど、またこちらのブログに今まで好評だった哲学記事などをどんどんと移していこうと思っています。
決して、消したわけではなく下書きに残っています。
では、今日なんですが、価値について考えたいと思います。
よかったらお付き合いください。
価値とは
価値と言うのは科学ではない。
「科学」の最大の特質は、それが「価値」を含まないと言う点にある。
という文章が「経済学の犯罪」佐伯啓思さんの本の一文にありました。
科学は、好き嫌いを含まない、と。
価値というのは、人の好き嫌いなんですよね。
だから、価値は近年にでてきたものだと言われています。
主には19世紀のカント学派によって価値哲学がでてきたのだとか。
価値哲学の内容としては何を価値判断の基準におくのか、という話がでていました。
労働だったり、利益だったり。
そして、私は今、哲学から経済学にも興味をもっています。
その中で、昨日話して学ぼうとしていたマーケティングは人の学問でもあるそうです。
一人の人の考えではなく、人間の感情を考える、感情を感じる。
そんな学問みたいです。
価値と哲学
私は哲学で、普遍性についてよく考えてきました。
例えば、ショーペンハウアーはイデア論を唱えていて、真なるイデアのようなものがあると考えています。
それで、その普遍性や真を持たない「変化するもの」は考えることからはいったん除外しておこう、という考え方でした。
その除外していた考えは主には、人個人の感情であったり、時間や空間です。
これらは変化がもともと含まれているから、真にはなりえない。
普遍性を含まない、とショーペンハウアーは言っていました。
そして、彼は区別しました。
普遍性を求めるものと、普遍性がないものと。
私はここで普遍性といっていますけど、「本当」とか、「表象」とか、「本能」とかいろいろと言い換えられます。
変わらないと思われているものです。
哲学では変わらないものを求める傾向があるので普遍性を追うのですが、それでは説明がつかないことがある。
なので、前提として普遍性があるものとないものに区別します。
価値は好き嫌いとイメージしていけば、変化するものなので、普遍性がないものです。
哲学の場合は、普遍性があるものを扱う場合は「科学」というのかもしれません。
経済学と科学
経済学は価値を考えます。
マーケティングを例にとればわかりやすいのですけど、個々人について、感情などを考えます。
なので、科学ではない、という考え方に行き着くんですよね。
そして経済学は人を考える、人を感じることでもあります。
ショーペンハウアーがやってこなかったことに、人のことを考える、というのがあると思うんですよ。
ショーペンハウアーの伝記では、お手伝いさんにひどいことをした、とか暴言をはいた、とか恋愛に失敗したなどがあります。
その哲学者が取り扱ってこなかった学問である経済学。
価値について考えると言うのは新たな発見が多くありそうな学問だと感じました。
そして、この経済学を学んでいく上で「変化を学ぶ学問」であることは基本的には視野にいれておきたいなと思います。
経済学などにある「教科書」は移り変わるものなんですよね。
そして、なんですが、実は「科学」であっても今はそこまで確実性はないと言われてはいます。
(それでも、日常レベルでは法則が成立しているとは思うんですが。)
経済学から、リスクと不確実性を分けて考える。
では、「教科書」で何を取り入れればいいのか、といえば考え方の材料だとは思うんです。
人は思考の材料がないと考えられないとショーペンハウアーは述べています。
そして、経済学が価値を考えることだとして、この本から面白いなと思ったことを抜粋します。
それは、「リスク」と「不確実性」を分けて考えよう、と言っていたことです。
リスクは計算できるけれど、不確実性というのは計算ができない、と言っていました。
計算ができない、というのは科学ではない、と似てますよね。
不確実性は、例えば次になにが起こるのかわからない世の中という考え方ができます。
資本主義の限界がきている、という考え方でもあります。
そして、その不確実性は何から起こるのか、と言うと本では投資によって起こると言っていました。
投資の市場取引を活発化させると、利益が生じます。
株価が急激に値上がりするとその分、利益がでるという発想ですよね。
でも、なんで値上がりしたのかがそこまでわからないという思想です。
そして、これは「リスク」を高めるらしいのですが、同時に「不確実性」を高める結果になるのだとか。
そして、本では不確実性が増えていく世の中にはなっていて、私たちはそれを考慮すべきだとありました。
確かに、何か安定したものがある、という世の中ではなくなっていますよね。
価値の世の中なので、好き嫌いで判断されうる世界です。
だから改めて多様性の世の中、と言われているんだろうなと思いました。
哲学の取り組みとしては、その多様性の中で、それでも何か基準を見出そうとはしていますよね。
何か、絶対的な価値基準はないのか、という「真理」を求めている学問でもあります。
だから、哲学は科学的であるとは言われています。
その哲学から、価値を考える。
考えうるのか、といったところで、権力が一番の価値だ、とか。
労働が一番の価値だ、とか。
いや、本能だろう、というような価値を考えます。
そのような議論を知っておくことは、多様性の世の中では考えられる材料になるのではないかな、と思いました。
知っておくことで、倫理についての価値基準が明確になったり、生きやすい世の中という基準が設けられたり、ということはあるのかなって思います。
みんなが納得するものが基準の一つとなればいいですよね。
そして、多様性って、教科書になりえない、とも思うんですけど、なんにでも「教科書」って存在しますよね。
この「教科書」ってなんだろう、と考えることもできます。
変わる教科書であっても、その中身をしらないと、思想の材料が足りないから考えることができなくなってもくるのかな、と。
不確実性を考える、というのは、価値について考える。
もっとわからなくなると、考えることについて考える、ですね。
今日はちょっと抽象的になってしまいました。
では、最後までお聞きいただいてありがとうございました。