資本主義の本質

資本主義の本質とは-知らないことを信じること。

おはようございます。けうです。

知っているとは

私は星新一さんのショートショートの話の中でよく覚えている話があります。

私が未開の土地とか、大昔に行ったとした場合、私は今の知識を持っています。

現代はテレビがあるとか、スマホがあるとか、野菜が効率よく育っているとか。

そして、私はただ知っている。

けれど、その知識を生かす方法を知らない。

ショートショートではその事実を皮肉っていたんです。

テレビやスマホとかそんなものを知っているだけで作れないだろうって。

だから、私はその地域に行っても役にたたない。

時代が進んでいてもその進化を知らないのだから、私はその場所では活躍できないんだろうなって悲観的な気持ちになってきていたんです。

 

でも、と振り返ってみます。

今の資本主義の世の中は、こうやって成り立っているんじゃないか、と。

資本主義の成り立ち

ちょうどマルクス・ガブリエルの本を振り返っていて、資本主義を否定して共産主義になるとどうなるのか、という話題がありました。

その場合、分業を否定するんですよね。

つまり、ショートショートのいう、テレビの作り方とか、スマホの仕組みだとかを一人一人がわかるようにすることが共産主義なんです。

分業の役割分担を否定します。

マグロのお寿司が食べたい!

といったら、その人は魚をとってくることから始めなければいけない。

まさしく、ショートショートで見えない部分を否定している部分を実行することが共産主義。

そして、この分業をしていてわからないものが前提としてある、というのが資本主義です。

 

資本主義は前提として見えない部分がある。

見えないけれど、便利なものとしてテレビやスマホや方法が存在している。

私たちはそれを使っていけるという仕組みがあるんですよね。

そして、その事実を肯定している。

相手がこれが正しいんだよ、といっていることを聞いてそれが正しいんだと理解して使っているんです。

 

このように資本主義を思えば、私たちは実は知らない事だらけなんです。

私はいつも根本から知りたいと思って、人に伝えるときもそうしたいなと思うんですけど、そうなるとそもそもの一つ一つをたどるのが大変で、結局したいことにいきつかなくなってしまう。

だから、その根本から今にいたる過程はそういうものだという事実を私は信じているんです。

スマホがある。スマホはこういう機能を持っている。

そこにあるこの事実から出発しようじゃないか、という視点です。

ショートショートの話を正面から、別に知らなくっていいじゃないか、と肯定するんですよね。

資本主義の不透明なシステム

そして、これが資本主義のいいところでもあり、嘘がはびこってしまう原因にもなるとマルクス・ガブリエルは語ります。

資本主義は労働の役割分担を利用して「一人の人間が、もう一人が何をしているか知らない」という事実を価値に変換する。

それが資本主義ビジネスなのだと。

資本主義そのものが不透明なシステムなのだと。

 

それなら逆に、とマルクス・ガブリエルが提案するのが倫理資本主義です。

これはほんとにいいものだというモラリティを売ることを商売にしようという発想です。

 

資本主義の前提が何をしているかわからない。

でも、そこに自分たちで価値を生じさせる。

だから、ほんとうにモラルになるものを売れるようにすることで、経済がさらに回っていくとマルクス・ガブリエルはいいます。

 

では、私たちがいいと思っている、モラルになると思っているものとは何かを考えてみます。

 

実は一部において、もう実装されているのかもしれないのは、有機野菜の作り方だったり、みんなが一生懸命に作ったものに対して付加価値をつけて取引する商売です。

 

今の資本主義経済だと、物の価値が絶対的になっていて、この物質を最小の労力で作るのにはこのくらいの資金しかかからないという理由で、お金を決めてしまいます。

でも、そこにモラルをつけたとしたら。

原材料はこのくらいだけれど、この人が一日かけてつくっていて、かつその人はこの金額分のお金がないと一日生活できない。

そうなるとき、その価値は10円が1000円に換わったりすると言うことです。

そこにモラルの付加価値をつくり上げるからです。

倫理資本主義はモラルに価値をつける

今まで見えない物に対してつけていたモラルを、良い価値のものとして付加価値をつけます。

ボランティアにもお金がかかることを堂々と宣言します。

 

資本主義の前提が相手は何をしているのかわからない。

だから、議論によって何があっているのかを知る。

知った上で共通の価値をつけよう、となります。

 

私はついつい、自分でも実行できるかという自分主体の再現性を持ちたくなるんですけど、多くの人がやっていて、これはいい!というものは資本主義においては認められていると言いうこと。

そしてそれを嘘ではなく自分が信じているのなら、それはそれが正しいものになるということ。

多くの人がこの事実を知った方がいい、この商売をやったほうがいいと私が思っているモラルを売ることに意欲的になっていいということです。

 

私は根本を追究する哲学的思想はいいことだと思っているんですけど、なんでも自分にとっての再現性を考えるのは、かならずしも必要とはされていないのかもしれないと思いました。

ここも分業という考え方ですね。

多くの人がその方法で利益が上がった。

そして、利益が上がっていてそうすることで世の中が良くなっている。

それならそのモラルを売ろう、という話になってもいいということ。

 

そうやって数年先の世界を見つめたときに、モラルが実行されていればいいということです。

今の資本主義は人の特定の欲を刺激する。

その結果、遠い目で見た場合には地球にとって不利益になることが多くあるということになります。

 

例えば、手作りの野菜をやめてすべてを大量生産にする。

その結果、大量生産用の栄養素ばかりが作られて効率の悪いモノは顧みられなくなる。

すると、特定の技術は忘れ去られて行って、その大量生産できるものの一つが将来においてかけてしまったときに、その代用となるものが残らなくなってしまう。

家庭菜園ができなくなってしまうといったように。

人の多様性を考えれば、移動を出来ない人や、ある特定の物質が苦手な人、例えばその農薬で作ったものが食べられない人が生きていけない自体が起こると言うこと。

多様性の世の中なのに、一つのシステムにしようとすること自体が格差を生んでしまうと言うこと。

決まった世界、システム化された世界というのは人間の自由も奪うし、希望といった楽しみも奪ってしまうということなのかな、と考えました。

資本主義の本質-まとめ

資本主義の本質、「一人の人間が、もう一人が何をしているか知らない」。

資本主義を生かしていくならば、対話のある世の中かつ多様性も認め合える世の中の方向に流れていくんだろうなと思いました。

 

では、お聞きいただいてありがとうございました。

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