おはようございます。けうです。
今日のレビットのマーケティング論の個所は、冷戦の雪解けでした。
冷戦の雪解けというならば、軍事縮小になってきます。
冷戦中、防衛費は多額を投じられてきたし、軍事支出を削減すべきか、というアンケートに対してはそこまで明確に考えを持つことが一般的には難しいのかもしれない、と私の感覚では思いました。
私は軍事費用がどう具体的に使われているのかを把握していないからです。
そして、それはどうしてなんだろうな、と思いました。
4枚カード問題と抽象的な問題
私が無知な理由に対して、4枚カード問題を思い出しました。
4枚カード問題というのは心理学テストのようなものなんですけど、ある4枚のカードがあって、数字と記号がカードの裏表にかかれています。
問いで奇数のうらが大文字、偶数の裏が母音であるためにどのカードをめくればいいでしょう、というような抽象的な問題のテストをだします。
一度、奇数偶数だとか、母音だとか、頭の中で想像します。
でも、想像したとしても、それが抽象的でしかありません。
では、それをいっぽうで人に置き換えます。
表が人物で子どもから大人まで。
裏がお酒とジュースだったとします。
それで、お酒だったら先輩でなければいけない場合、カードを最短でめくって確かめなければいけないのは何回めくらなければいけないのか、という問いに変えます。
すると、この記号を人にした場合、正答率がぐんとあがるんです。
ある研究によれば、人は遺伝的に数字に弱い人がいて、同じことを考えるにしても数字だと正答率が下がる場合があるという研究まであるそうです。
そして、私がなぜこれを持ち出したのかと言えば、私はよく具体的にものごとを考えないと頭に入ってこないんです。
それと同じように、国防費だとか、軍事縮小という言葉を聞いたときに、抽象的なことばかりが浮かんでしまって、考えることが出来なくなってしまうんです。
「考え」の均質化に対して
レビットは軍事縮小のアンケート結果に対してこう語ります。
緊張緩和の見直しと予想される結果に関するアンケート調査で人によって意見にあまり違いがなかったことに対して。
同じような回答が集中した理由は、レイモンド・A・バウアーの言う「ビジネス経験を通した均質化」にあるのかもしれない。
つまり、自分が直接責任を負わないビジネス以外のテーマに関して、ビジネスパーソンは互いに似通った物の考え方をするようになる、というのだ。
おそらく、業務や責任を通して、特定の課題について同じような考え方が養われるのだろう。
とあります。
ビジネスではイノベーションを起こそうとか、アイディアを起こそうと、違った考え方がどんどん取り入れられていくんですけど、一歩そのことを外れると同じような考え方になってしまう、ということです。
自分の体験を通して、考えることが難しい。
私はこれに関してあるテレビ番組で、密入国の体験や強盗の体験を買うという企画をみたことがあります。
苦労を買ってでもしろというように、昨日のボランティアにお金を払うという話と似ているんですが、そういう私たちが普段は体験できないことを購入することができるようになっています。
で、そこで何を得るのかというと、きっと4枚カード問題とか防衛費だとか、想像できないものに対して自分に具体的に押し込めるために購入するんだろうなと思いました。
おそらく、そういう体験をしないと、私たちは同じような抽象的な意見しか言えなくなってしまうんです。
そして、発信者は個性的であれ、という言葉を私は聞いたことがあるんですけど、こういうことにも繋がってくるのかなと思いました。
抽象的なことは想像ができないし、似通った意見になってしまう。
私はよくラジオで経営が成功している人の話を聞くんですけど、きっと彼らにしかわからない体験を聞いているんだと思います。
それと同じだとすれば、想像できないことに関して、身近にするように本を読むというのも納得ができます。
脱構築と再構築の比較
私は今、漫画をまた多く読むようになっているんですけど、ストーリー設定が斬新なものが多いんですよね。
エルフが主人公だったり、異世界のいる人が主人公だったり。
そういった場合、見方の変換が行われます。
この見方の変換というのは、相手の視点にたって考えよう、というのを一歩超えます。
脱構築ではなくて、再構築のような。
それは何かというと、人間という枠を超えるということです。
脱構築は私が人間でいるんですけど、再構築というのは人間目線を取り払うこと。
例えば、私は昨日ボランティアに関して企業目線で見るのか、政府目線で見るのかによって賃金格差の問題に妥当性が見いだせると話しました。
企業目線で見れば時給2000円と無料というのはひどいとなりますけど、政府目線でみれば経営が主ではないので良いということになります。
それと同じことをおそらくレビットは言っていて、経営者目線で見ると軍事縮小というのは似たような考え方しかおこらない。
なので、違う意見を聞くには私たちの立場そのものを変える必要がでてくるのかもしれないということ。
よく、子どもの何気ない一言が良いアイディアになる、というのはそういう立場がまったく違ったものとして現れるからなのかもしれないなと思いました。
目線の問題はよく取り上げられます。
他人がどう思うだろうか考えて行動しよう、なんて言いますけど、それを想像するのは自分でしかないんですよね。
では、どれだけ自分が他人になれるのか、どれだけ意見を変えることができるのか、という限界が抽象的な議論になるとはっきりしてくると思いました。
脱構築と再構築ーまとめ
では、こういうことを考えるにはどうしたらいいのか。
私に限って言えば、私に対して身近に出来る問題にしないとそれを考えることは難しいと思いました。
そして、それは身近に近づけてこそ考えられることなんだろうな、と。
立場の違いも明確に区切る、分けて考えていくということです。
そして、防衛費を考えられるようになれば、立場を変えて考える再構築の考え方をより深くできるのではないかなと思いました。
その人の目線にたって考えることの一歩先、その構造の先にたって考えることの意識を今回の冷戦の雪解けというテーマから思い浮かべました。
お聞きいただいてありがとうございました。