「現代に生きる人間の倫理」
第4節「社会と個人」
5.プラグマティズムとは何か
私が「氷」を知っているのは数式や素材を知っていることではなくて、冷たいとか溶ける(経験)とかいうことを知っていること
その内部の動きも変化が激しそうだね
- プラグマティズムの誕生とパース
- プラグマティズムとジェイムズ
- プラグマティズムとデューイ
参考文献 「プラグマティズムの思想」(魚津郁夫)、「プラグマティズム入門」(伊藤邦武)、続・哲学用語図鑑(田中正人、斎藤哲也)
プラグマティズムの誕生とパース
プラグマティズムの名付け親はパース(1839-1914)です。
もともと「プラグマティズム」という言葉は、「なされた事柄」「行為」などを意味するギリシア語pragmaに由来します。(プラグマティズムの思想p78)
19世紀の思想は、生物進化論や社会の変化、科学技術の発達などが時代背景にありました。
パースはこの変化を哲学にも適応。
デカルト以来の哲学の定理「わたしは考える、それゆえにわたしはある」に批判を加えたのです。
可謬主義
デカルトは方法的懐疑の末に「わたしは考える、それゆえにわたしはある」という定理を導きました。
しかし、この定理には「疑問の末に」という過程が明記されていません。
にもかかわらず、私たちはデカルトの過程まで含めて、解釈して納得しているのです。
つまり、定理はそのまま定理として真理であることを意味していない、と考えられます。
われわれが出発点にしなければならないのは、哲学研究に着手しようとする際にわれわれが実際にもっているすべての先入見である。
「プラグマティズム入門」p40パース引用
アブダクション
パースが提唱した方法はアブダクションです。
まずデカルトの哲学的方法について振り返ります。
演繹法
デカルトは演繹法によって正しい知識を導き出そうとしました。
演繹法(一般的な原理を個別の事実にあてはめる)の例
- この袋の豆はすべて白い(A)
- これらの豆はすべてこの袋の豆である(B)
- これらの豆はすべて白い(C)
帰納法
帰納法(個別の事実や経験から一般的な法則を導く方法)の例
- これらの豆はすべてこの袋の豆である(B)
- これらの豆はすべて白い(C)
- この袋の豆はすべて白い(A)
この方法の欠点は、Cのサンプルが少なかったり正確でなかったりすると、Aも間違ってしまうということでした。
利点は、新しい知識が増えること。
しかし、パースはこの新しい知識が増えるという利点について疑問視しました。
今までの知識を確認するにすぎない、としたのです。
(例えば、このAは演繹法の前提だった)
パースのアブダクション
- デカルトの方法は、疑問まで含めての定理
- 帰納法はまだ新しい知識の獲得とは言えない
- 今のところ(可謬的)の真理でしか真理は示せない
これらを含めたアブダクションの例を説明していきます。
アブダクションの例
- これらの豆はすべて白い(C)
- この袋の豆はすべて白い(A)
- これらの豆はすべてこの袋の豆である(B)
この方法の利点は新しい知識が増えること、方法的懐疑ごと前提に組み込めることです。
欠点は、間違っている可能性が高いこと。
Cの豆は誰かのポケットから落ちたのかもしれない。
- 演繹法⇒あるものがこうでなければならない(musu be)ことを証明する
- 帰納法⇒あるものが現にこうである(actually is)ことを示す
- アブダクション⇒あるものがこうであるかもしれない(may be)ことを暗示する
「プラグマティズムの思想」p119参照
「アブダクションによる示唆は、その真理性を疑問視することができ、また否定することさえできる示唆である。(パース)」このように、アブダクションが可謬的であるからこそ、ある現象を説明するのに、私たちはくりかえし仮説をたて、ディダクション(演繹法)やインダクション(帰納法)をへて、それを検証することをくりかえすのである。
「プラグマティズムの思想」p122
演繹法や帰納法は否定されるのではなく、アブダクションと複合して検証することを求められます。
パースの観念
パースの観念(真理の元となるもの)はアブダクションによって得られた知識です。
つまり、仮説が(可謬的にではあっても)正しいとわかったものが知識。
例えば、「氷」に対する知識とは、「さわったら冷たい」ということ。
もしさわって冷たくなければまた仮説に戻るので、それは「氷」ではない、もしくは「氷」という仮説が間違っていることを示します。
パースにとって知識とは結果予測のこと。
つまり、知識は思考によって得られるのではなく、行為を通して(実験、体験などから)明らかになるのです。
…こうして私の観念(真理の元となるもの)が成熟していく過程のなかで、何年ものあいだ、私は自分の諸観念を可謬主義という名のもとに集約してきた。
つまり、実際のところ、[真理の]発見にいたる第一段階は、自分はまだ十分な認識にはたっしていないのだ、ということをみとめることである。
自分を正しいと思い込ませる病原菌ほど、確実にあらゆる知的成長をとめてしまうものはない。
100人の良識ある人の99人までが、そうした病気で駄目になってしまう。
‐しかも奇妙なことに、彼らの大半は、その病気におかされていることに気づいてさえいないのだ!
(プラグマティズムの思想p122パースの草稿断片)
知的成長を続けていけば、観念はいつかは何かしらの収束点(真理)に向かうとパースは考えました。
パースにとって真理とは、みんなの納得がいく説明ができる共通の知識のことです。
パースに続いてジェームズ(1842-1910)もプラグマティズムを一つの真理観として示しました。
二人は親友だったのですが考え方の違いから決別。
パースはジェームズに私の子ども『プラグマティズム』を取られたから、私の考えは今後『プラグマティシズム』という言葉にする、と語っています。
プラグマティズムを世に広めたのはジェームズです。
プラグマティズムとジェームズ
ジェームズのプラグマティズムは有用主義(実用主義)と呼ばれます。
「科学は、仮説のみをもちいて、…つねにそれを実験と観察によって検証することにつとめ、無限の自己修正と増進への道をひらく。(ジェームズ)」こうした主張は、パースのいう「科学的探究」の主張にひとしく、またパースの「可謬主義」とおなじ立場にたつものである。
(プラグマティズムの思想p144)
「もし宗教上の観念が、具体的な生活をおくる上に価値をもつことがあきらかであり、ある種の人びとに宗教的ななぐさめをあたえるならば、その観念は『その限りにおいて』真であるといわねばならぬ。いま私は、ためらうことなくそう断言する。(ジェームズ)」
(プラグマティズムの思想)p144
ジェームズの有用主義
ジェームズの主張を極端に言えば、「真理は人それぞれ違うから人間の数だけ真理はある」という主張になってしまいます。
真理とは、検証過程をはじめる観念にたいする名前であり、有用とは、その観念が経験においてはたした役割にたいする名前である。真なる観念は、けっしてそれだけをとりだすことはできないのである。
「プラグマティズムの思想p147ジェームズからの引用」
かくして諸君につげる私の結論はこうである。人生をおそれてはいけない。人生は生きがいがある、と信じよ。そのとき、この信念がその事実をうみだす一助となるであろう。その信念が正しいという『科学的証明』は、最後の審判の日(あるいはこの言葉が象徴するなんらかの最終段階)がくるまで、ありえないのである。
「プラグマティズムの思想p155ジェームズからの引用」
ジェームズは二元論(主観と客観)構造を批判していて、その構造は西田哲学と似ている
プラグマティズムとデューイ
デューイ(1859-1952)はプラグマティズムをさらに実践的な思想として展開しました。
彼のプラグマティズムは道具主義と呼ばれます。
道具主義⇒知識は人間の行動に役立つ道具であるという考え方
デューイもまた新しい哲学的解釈をした
デューイはパースと同様に、今までの哲学に疑問を抱きました。
そして、社会構造的にそれを解釈します。
今までの伝統的な哲学は「傍観者的知識観」だ、と考えたのです。
真理の移り変わり
社会構造の変化の考察は古代ギリシアまでさかのぼります。
古来ギリシアは市民2万人、住民35万人からなる社会でした。
その哲学は市民側の哲学です。
そこでは、労働は奴隷がするもので、市民は暇な時間で哲学をしていました。
この主観‐客観の図式は、プラトン的な「観察者・傍観者」としての認識者というイメージが、機械論的力学という新しい世界像に適応するために書き直されたものに他ならない。しかし、この主観‐客観の図式は根本において分裂している。
「プラグマティズム入門」p81
それは知識が観察者による世界の傍観や洞察ではなくて、世界へと介入し、世界との共同において知識を生みだしていくという発想の全面的な採用である。
「プラグマティズム入門」p82
絶対的な真理⇒修正される可能性がある真理
仮説の証明には専門家が必要と言っている
可謬主義の考え方
デューイの民主主義思想
デューイの思想は特権階級から市民に転じた見方。
なので、デューイの民主主義思想は特別な意味を持っています。
‐デューイは民主主義をこのような政治体制の一種としては理解しない。
彼はあくまでも、民主主義とは人間における知的な探求や努力の形態であり、問題的状況の共有とその解決の道への共同的模索のスタイルであると主張する。
民主主義とは体制であるよりもむしろ、まさに一つの「生のスタイル(a way of life)」である。
「プラグマティズム入門p90」
デューイの創造的知性
デューイは「何か問題がおきたら、状況を観察し、解決の見通しを立て、求める結果に近づいていく過程で、真理は獲得されていく」と考えます。(続・哲学用語図鑑p226)
そこで重要なことは行動(実践)。
真理は頭の中だけで得られるものではなく(観察的知識の批判)、実践を取り入れた試行錯誤の過程において得られると考えます。
デューイは実践によって獲得された知性のことを創造的知性と名付けました。
創造的知性⇒問題を明確にし、解決するための仮設をたて、それを実行して、その正しさを検証し、その状況にふさわしい行為に導く知性のこと
だから頭と行動で知性を獲得していく
創造的知性と可謬主義(知識は修正される可能性がある)はアメリカの学校教育の基本となっています。
プラグマティズムまとめ
プラグマティズムをまとめます。
- プラグマティズムは伝統的な「絶対確実な真理」を否定(可謬主義)
- 主観‐客観という構図も否定
- 民主主義の時代の哲学
- パースは「知識は行動の結果予測であり、検証可能なもの」と考えた
- ジェームズのプラグマティズムは主に有用主義と言われる
- デューイのプラグマティズムは主に道具主義と言われる
- デューイは創造的知性によって社会は進歩していくと唱えた
今回はプラグマティズムをやりました。
次回は社会主義とマルクスについて扱います。