プラグマティズム

プラグマティズムとは何か|高校倫理1章4節5

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
(高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第1章
「現代に生きる人間の倫理」
第4節「社会と個人」
5.プラグマティズムとは何か
を扱っていきます。
前回は、社会学とベルクソンをやりました。
フランス革命頃(1789-)、社会の変化は大きく、それは世界的に変化をもたらしました。
今回は19世紀のアメリカで生まれたプラグマティズムを扱います。
プラグマティズム⇒物事が真理であるかどうかを、経験の結果により判断する哲学的態度
例えば、知識を行動の結果予測とする態度。
私が「氷」を知っているのは数式や素材を知っていることではなくて、冷たいとか溶ける(経験)とかいうことを知っていること
アメリカ独立戦争(1775-1783)により、アメリカはイギリスの支配を拒否。
アメリカ独立宣言によって、アメリカは正式にアメリカ合衆国という国家になりました。
国家ができて数年。
その内部の動きも変化が激しそうだね
プラグマティズムはアメリカのフロンティア‐スピリット(開拓者精神)とも関わっているのです。
プラグマティズムでは主に、パース、ジェームズ、デューイを扱います。
ブログ内容
  • プラグマティズムの誕生とパース
  • プラグマティズムとジェイムズ
  • プラグマティズムとデューイ

参考文献 「プラグマティズムの思想」(魚津郁夫)、「プラグマティズム入門」(伊藤邦武)、続・哲学用語図鑑(田中正人、斎藤哲也)

プラグマティズムの誕生とパース

プラグマティズムの名付け親はパース(1839-1914)です。

もともと「プラグマティズム」という言葉は、「なされた事柄」「行為」などを意味するギリシア語pragmaに由来します。(プラグマティズムの思想p78)

19世紀の思想は、生物進化論や社会の変化、科学技術の発達などが時代背景にありました。

パースはこの変化を哲学にも適応。

デカルト以来の哲学の定理「わたしは考える、それゆえにわたしはある」に批判を加えたのです。

すべて変化するんじゃないかって思想は、哲学に一つの定理があること自体を疑問視させた

可謬主義

デカルトは方法的懐疑の末に「わたしは考える、それゆえにわたしはある」という定理を導きました。

しかし、この定理には「疑問の末に」という過程が明記されていません。

にもかかわらず、私たちはデカルトの過程まで含めて、解釈して納得しているのです。

つまり、定理はそのまま定理として真理であることを意味していない、と考えられます。

「わたしは考える、それゆえにわたしはある」と言われても、疑問の末にという過程を聞いてから納得するよね
パースはこの懐疑自体を省くことに疑問を感じたのです。
さらによく考えてみます。
われわれは完全な懐疑から始めることは不可能なのではないか、と。
われわれが出発点にしなければならないのは、哲学研究に着手しようとする際にわれわれが実際にもっているすべての先入見である。
「プラグマティズム入門」p40パース引用
パースによれば、デカルトの定理も先入見です。
私たちは言葉(記号)で考えるから、その記号という先入見からは逃れられない
パースはわれわれの知的活動において価値があるのは、「実際の疑念」、「本物の懐疑」であると考えるのです。
でも僕たちはデカルトの定理はホンモノだ!とずっと思ってきたのに、それは違うって言うの?
パースはデカルトの定理も可謬(かびゅう、間違える可能性がある)的だと説きました。
可謬主義⇒人間の知識は、将来的に誤りが発見され修正される可能性がつねにあるという考え
パースは、今までの真理は誤りが発見されるまでの真理だとして、その方法的懐疑すら含む方法を提示したのです。
気になる!

アブダクション

パースが提唱した方法はアブダクションです。

アブダクション⇒意外な事実を説明する仮説を、推論する方法

まずデカルトの哲学的方法について振り返ります。

演繹法

デカルトは演繹法によって正しい知識を導き出そうとしました。

演繹法(一般的な原理を個別の事実にあてはめる)の例

  • この袋の豆はすべて白い(A)
  • これらの豆はすべてこの袋の豆である(B)
  • これらの豆はすべて白い(C)
一般的な原理から出発するから、Cも絶対に真になる
この方法の欠点は、新しい知識が増えないことと、前提が間違っていれば結論も真にならないことでした。
利点は、結論は真なことです。
だからデカルトは定理を立てる必要があった
この演繹法と対立した(大陸合理論vsイギリス経験論)考え方が帰納法です。

帰納法

帰納法(個別の事実や経験から一般的な法則を導く方法)の例

  • これらの豆はすべてこの袋の豆である(B)
  • これらの豆はすべて白い(C)
  • この袋の豆はすべて白い(A)

この方法の欠点は、Cのサンプルが少なかったり正確でなかったりすると、Aも間違ってしまうということでした。

利点は、新しい知識が増えること。

しかし、パースはこの新しい知識が増えるという利点について疑問視しました。

今までの知識を確認するにすぎない、としたのです。

ABCはそれぞれの前提や結論に対応していると考えてね
(例えば、このAは演繹法の前提だった)
この演繹法と帰納法を複合させたような形で登場したのがアブダクションです。

パースのアブダクション

  • デカルトの方法は、疑問まで含めての定理
  • 帰納法はまだ新しい知識の獲得とは言えない
  • 今のところ(可謬的)の真理でしか真理は示せない

これらを含めたアブダクションの例を説明していきます。

アブダクションの例

  • これらの豆はすべて白い(C)
  • この袋の豆はすべて白い(A)
  • これらの豆はすべてこの袋の豆である(B)

この方法の利点は新しい知識が増えること、方法的懐疑ごと前提に組み込めることです。

欠点は、間違っている可能性が高いこと。

Cの豆とAの豆はまったく別のものという可能性もあるよね。
Cの豆は誰かのポケットから落ちたのかもしれない。
  • 演繹法⇒あるものがこうでなければならない(musu be)ことを証明する
  • 帰納法⇒あるものが現にこうである(actually is)ことを示す
  • アブダクション⇒あるものがこうであるかもしれない(may be)ことを暗示する
    「プラグマティズムの思想」p119参照

「アブダクションによる示唆は、その真理性を疑問視することができ、また否定することさえできる示唆である。(パース)」このように、アブダクションが可謬的であるからこそ、ある現象を説明するのに、私たちはくりかえし仮説をたて、ディダクション(演繹法)やインダクション(帰納法)をへて、それを検証することをくりかえすのである。
「プラグマティズムの思想」p122

演繹法や帰納法は否定されるのではなく、アブダクションと複合して検証することを求められます。

パースはアブダクションだけでは真理に近づけない、と考える

パースの観念

パースの観念(真理の元となるもの)はアブダクションによって得られた知識です。

つまり、仮説が(可謬的にではあっても)正しいとわかったものが知識。

例えば、「氷」に対する知識とは、「さわったら冷たい」ということ。

もしさわって冷たくなければまた仮説に戻るので、それは「氷」ではない、もしくは「氷」という仮説が間違っていることを示します。

仮説を立てて検証するから、知識は検証可能なものになる

パースにとって知識とは結果予測のこと。

つまり、知識は思考によって得られるのではなく、行為を通して(実験、体験などから)明らかになるのです。

…こうして私の観念(真理の元となるもの)が成熟していく過程のなかで、何年ものあいだ、私は自分の諸観念を可謬主義という名のもとに集約してきた。

つまり、実際のところ、[真理の]発見にいたる第一段階は、自分はまだ十分な認識にはたっしていないのだ、ということをみとめることである。

自分を正しいと思い込ませる病原菌ほど、確実にあらゆる知的成長をとめてしまうものはない。

100人の良識ある人の99人までが、そうした病気で駄目になってしまう。

‐しかも奇妙なことに、彼らの大半は、その病気におかされていることに気づいてさえいないのだ!
(プラグマティズムの思想p122パースの草稿断片)

知的成長を続けていけば、観念はいつかは何かしらの収束点(真理)に向かうとパースは考えました。

パースにとって真理とは、みんなの納得がいく説明ができる共通の知識のことです。

観察や実験によって、新しい共通の知識ができる

パースに続いてジェームズ(1842-1910)もプラグマティズムを一つの真理観として示しました。

年齢差も近くて、パースのが3歳上

二人は親友だったのですが考え方の違いから決別。

パースはジェームズに私の子ども『プラグマティズム』を取られたから、私の考えは今後『プラグマティシズム』という言葉にする、と語っています。

プラグマティズムを世に広めたのはジェームズです。

プラグマティズムとジェームズ

ジェームズのプラグマティズムは有用主義(実用主義)と呼ばれます。

有用主義⇒私にとって有用かどうかが重要であり、有用であればそれは真理であるという考え方。
ジェームズはふたつの真理観をもっていて、一方はパースと同じく検証可能な知識のことです。
「科学は、仮説のみをもちいて、…つねにそれを実験と観察によって検証することにつとめ、無限の自己修正と増進への道をひらく。(ジェームズ)」
こうした主張は、パースのいう「科学的探究」の主張にひとしく、またパースの「可謬主義」とおなじ立場にたつものである。
(プラグマティズムの思想p144)
では何が二人を決別させたのか。
ジェームズのもう一つの真理観は、限定的真理。
「もし宗教上の観念が、具体的な生活をおくる上に価値をもつことがあきらかであり、ある種の人びとに宗教的ななぐさめをあたえるならば、その観念は『その限りにおいて』真であるといわねばならぬ。
いま私は、ためらうことなくそう断言する。(ジェームズ)」
(プラグマティズムの思想)p144
検証不可能などんな観念であれ、それを信じる人にとって有用なら「その限りにおいて真」ということをジェームズは主張します。
この二つ目の真理観がパースにとっては受け入れ難いものでした。
パースはデカルトの定理に対して、それは主観的で検証不可能なものという批判からもプラグマティシズムを提示したからです。
ジェームズの二つ目の真理観は、各個人にとっての真であり、それは検証不可能な主観的なもの。
だから二人は決別してしまった

ジェームズの有用主義

ジェームズの主張を極端に言えば、「真理は人それぞれ違うから人間の数だけ真理はある」という主張になってしまいます。

科学技術が発達して客観的な事実が出せるようになったと思ったのに、また昔に戻ったみたい
しかし、ジェームズには独自の主張がありました。
例えば、「今何時?」と聞いた時、「私はアービング通りに住んでいます」という不可解な答えをされたとします。
この答えは検証可能ではあるのですが、真理とは言えません。
あっ、アブダクションの「これらの豆はすべて白い(C)」と「この袋の豆はすべて白い(A)」がまったく関係していなかった場合のことと関係がある!
疑問に対してそれが検証可能であると同時に、疑問にこたえる、という有用なものでなければ真理とならないのです。
真理とは、検証過程をはじめる観念にたいする名前であり、有用とは、その観念が経験においてはたした役割にたいする名前である。
真なる観念は、けっしてそれだけをとりだすことはできないのである。
「プラグマティズムの思想p147ジェームズからの引用」
ジェームズはただ単純に真理と有用性を同一視したのではなく、問題解決という役割を有用性にあてたのです。
そして、ジェームズの有用性は人生にまでおよびました。
かくして諸君につげる私の結論はこうである。
人生をおそれてはいけない。
人生は生きがいがある、と信じよ。
そのとき、この信念がその事実をうみだす一助となるであろう。
その信念が正しいという『科学的証明』は、最後の審判の日(あるいはこの言葉が象徴するなんらかの最終段階)がくるまで、ありえないのである。
「プラグマティズムの思想p155ジェームズからの引用」
人生は答えがでないけど、信念が人生に意味づけをする
ジェームズはアメリカ実験心理学の創始者でもあります。
ジェームズの心理学の研究に、西田幾多郎は影響を受けたみたい。
ジェームズは二元論(主観と客観)構造を批判していて、その構造は西田哲学と似ている

プラグマティズムとデューイ

デューイ(1859-1952)はプラグマティズムをさらに実践的な思想として展開しました。

彼のプラグマティズムは道具主義と呼ばれます。

道具主義⇒知識は人間の行動に役立つ道具であるという考え方

デューイは当初、ヘーゲル哲学ダーウィンの進化論に影響を受けたといわれています。
変化思想の流行!
デューイもまた新しい哲学的解釈をした

デューイはパースと同様に、今までの哲学に疑問を抱きました。

そして、社会構造的にそれを解釈します。

今までの伝統的な哲学は「傍観者的知識観」だ、と考えたのです。

真理の移り変わり

社会構造の変化の考察は古代ギリシアまでさかのぼります。

古来ギリシアは市民2万人、住民35万人からなる社会でした。

その哲学は市民側の哲学です。

そこでは、労働は奴隷がするもので、市民は暇な時間で哲学をしていました。

スコレーはギリシア語で暇を意味していて、そこからスコラ哲学が名付けられたり、学校(スクール)の語源になったりしている
哲学者はニートだった!?
元々、労働と思考が分けられる傾向があったのです。
この主観‐客観の図式は、プラトン的な「観察者・傍観者」としての認識者というイメージが、機械論的力学という新しい世界像に適応するために書き直されたものに他ならない。
しかし、この主観‐客観の図式は根本において分裂している。
「プラグマティズム入門」p81
時代とともに住民側が主役の哲学になるにつれ、その構図は変化していきます。
それは知識が観察者による世界の傍観や洞察ではなくて、世界へと介入し、世界との共同において知識を生みだしていくという発想の全面的な採用である。
「プラグマティズム入門」p82
観察者を当事者にした感じかな
ジェームズは心理学から主観‐客観の未分を説いたのに対して、デューイは主観‐客観の発生を歴史から説明して特級階級側からの視点だとしたのです。
プラトンから始まり、デカルトやカントも「疑いようのない絶対確実な真理」を突き止めようとしていました。
しかし、プラグマティズムではパースの可謬主義にはじまり、デューイも「保証付き言明可能性」を説くことで、真理の見方を変えたのです。
プラグマティズムの真理観
絶対的な真理⇒修正される可能性がある真理
デューイにとって真理は仮説の証明に成功した知識のこと。
仮説の証明には専門家が必要と言っている
こうして導き出された真理を「保証付きの言明可能性」とデューイは呼んでる。
可謬主義の考え方
フランス革命以後の社会の動きから、時代は民主主義になっていきました。
哲学も、市民(ピープル)が主役の思想に移り変わっていきます。
ここで出てくるのがデューイの説いた道具主義
人間の行動はすべて、置かれた状況に対する適応反応だとデューイは考えます。
今の時代に対しては「知識は道具である」。
道具は実際に使われないと意味がない、という発想になっていくのです。
その背景にはアメリカのフロンティア精神があり、知識と行動を結びつけないと生きていけない現実がありました。
例えば、荒野では食物を育てるのが難しい、竜巻がおそってくる、法が整っていないので荒くれものがたくさんいる、という現実です。
開拓時代、黄金が出るという噂に惑わされた人々が痛い目にあったのだとか
日本哲学も行動を重視してた。
それは、哲学をしていた層も労働していたからかな。
逆に仏教では「ニートになれ!」ってあったね

デューイの民主主義思想

デューイの思想は特権階級から市民に転じた見方。

なので、デューイの民主主義思想は特別な意味を持っています。

‐デューイは民主主義をこのような政治体制の一種としては理解しない。

彼はあくまでも、民主主義とは人間における知的な探求や努力の形態であり、問題的状況の共有とその解決の道への共同的模索のスタイルであると主張する。

民主主義とは体制であるよりもむしろ、まさに一つの「生のスタイル(a way of life)」である。
「プラグマティズム入門p90」

民主主義は生のスタイル!

デューイの創造的知性

デューイは「何か問題がおきたら、状況を観察し、解決の見通しを立て、求める結果に近づいていく過程で、真理は獲得されていく」と考えます。(続・哲学用語図鑑p226)

そこで重要なことは行動(実践)。

真理は頭の中だけで得られるものではなく(観察的知識の批判)、実践を取り入れた試行錯誤の過程において得られると考えます。

デューイは実践によって獲得された知性のことを創造的知性と名付けました。

創造的知性⇒問題を明確にし、解決するための仮設をたて、それを実行して、その正しさを検証し、その状況にふさわしい行為に導く知性のこと

頭の中ではできる!と思っていても、実際にやってみるとうまくいかない。
だから頭と行動で知性を獲得していく

創造的知性と可謬主義(知識は修正される可能性がある)はアメリカの学校教育の基本となっています。

プラグマティズムまとめ

プラグマティズムをまとめます。

プラグマティズム⇒物事が真理であるかどうかを、経験の結果により判断する哲学的態度
  • プラグマティズムは伝統的な「絶対確実な真理」を否定(可謬主義)
  • 主観‐客観という構図も否定
  • 民主主義の時代の哲学
  • パースは「知識は行動の結果予測であり、検証可能なもの」と考えた
  • ジェームズのプラグマティズムは主に有用主義と言われる
  • デューイのプラグマティズムは主に道具主義と言われる
  • デューイは創造的知性によって社会は進歩していくと唱えた

今回はプラグマティズムをやりました。

次回は社会主義とマルクスについて扱います。

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