おはようございます。けうです。
昨日、ブログのことについて教材をずっと勉強していました。
試しに自己アフィリエイトという、自分で資料請求をして、その分儲けられるというようなことも試しにやってみたんですよ。
で、試した結果、これでどうやって稼ぐのかわからない、とおもったんですよね。
自分のサイトが育っていく感覚がわからない、と。
それで、またブログのキーワード選定などに立ち返るような勉強を昨日はかなりしていました。
なので、また私はブログを二つ運営しているんですけど、一つは哲学特化させるんですけど、もう一つはきちんとワードプレスで稼ぐ元を伝えることに特化しようと思いました。
そして、今日は知ることについて話そうと思います。
今まで、キーワード選定だとか、ブログを育てる情報って、無料で転がっていたんですよね。
でも、その情報の一端を、情報だと見れていなかったんですよ。
しっかりと認識できていなかった。
こうやればいいんだろうっていう、思い込みが特に多かったです。
キーワードはこうやって調べればいいんだろな、というような思い込みです。
そこまで大まかに違っていたわけではないんですけど、その細部が違っていたんですよね。
たぶん、私はツイッターとかで流れていた情報の断片を拾って、それを自分でつなぎ合わせながら判断していたんです。
そして、無料と有料情報の違いは今だとこんなところに現れてくるんじゃないかなって思いました。
つまり、無料は相手をそこまで想定していない。
ツイッターで流れるとしても140字なので、その文字数で要約しながら話すんですよ。
それでかえって有料の方は、その分責任をおっているんですよね。
お金を払っているのに、伝わらないのは困る。
こんな熱が有料で教えている人から伝わるんですよね。
もしかしたら、仕事だからほんとになくなると困るのかもしれないですけど、その熱が伝わってくる動画が多いんです。
それで、その動画を見た人をやる気にさせるんですよね。
有料には人の心を動かしやすくものがあるんだろうなって思いました。
そして思ったんですよ。
もしどんなに高額だったとしても、そのやる気に心が動かされたとして、そうしたら自分は満足しているかもしれない、って。
いくらだったとしても、自分がそれを出せた金額ではあるんですよね。
そして、それが詐欺だとしても気がつかない可能性も多いだろうな、と。
満足している場合も、それを詐欺だとはいいませんよね
知ることを考えていくということは、既存にある言葉もまた考えていくことだなって改めて思いました。
また詐欺について振り返ったり、当たり前にやっていたものを振り返ったり。
今、たぶん私は副業についてほんとに考え出しています。
ほんとに、とつけたのから浮かんだのはショーペンハウアーの言葉なんですけど。
彼は、思索が意志とは関係がない、というんです。
私は自分が根本的な知識がない、と思い至った経験って、昨日実際にアフィリエイトをやってみてから思ったことなんです。
当たり前にいわれているアフィリエイトに自信がない。
これでどうやって稼げるんだろうって疑問になったんです。
自分の知識が不安になった。
どうやればいいのかわからなくなった。
これは学ばなければいけないって強く思いました。
その思いから、勉強しはじめたんですよね。
今まで、教材は溢れていたのに、手をつけていなかった。
でも、自分で自覚することで初めて手をつけたんです。
意識とは関係がないので、無理やりその問題を強く考えることってできないんですよね。
何かのきっかけを待つより仕方がない。
だからマインドが大事なのかなって思います。
よく副業商材の一番初めはマインド、心がけについて話しているんです。
意識的になってくださいと言ったり、そんなことでは危ないですよとあおったり。
ほんとうに知ってもらうためのあおりなんだなって思いました。
これでやる気になってはじめて、私たちは当の問題に走るんですよね。
無理やりだと、その当の問題を嫌うかもしれない、という場合さえあるんです。
そして、私は分析が大切なんだろうなって気がついてきました。
そしてこの分析なんですけど、両方分けるという漢字の意味らしいです。
問題を分割することは必要で、先に見落とされていたいくつかのことについても改めて気がつくし、その事柄をはっきりと注視するから、嫌っていた当の問題からも有益な点が見つけられるということがあります。
学んですぐにその通りに実践できれば早いんですけど、なかなか思考のきっかけっておりてこないんですよね。
実践をしてみてはじめてわかってくる。
今述べていること、私はショーペンハウアーの「読書について」の思想を元にしています。
哲学でどう副業と結びつくの?とか、学ぶことは意味があるのか、という問いがあると思います。
私は、哲学を学ぶことが無駄だとは思いたくないんです。
人の根本にかかわってくるものなので、結びつくはずだと思うんですね。
世界のエリートが哲学を学ぶ理由を、さらにしっかりと理解できるんじゃないかなって思いました。そこまで重要視している理由を私はまだ見つけられていないんですけど、現実にそって考えていくことで、見つけていけるんじゃないかなって思いました。
真の思索者は君主に類似している。その判断は君主が決定する場合のように自らの絶対的権力から下され、自分自身にその根拠をもつ。
つまり、思索者は権威を認めず、自分で真なることを確かめたこと以外は承認しない。
引用しましたけど、思索って難しいですね。
では、今日もお聞きいただいてありがとうございました。