おはようございます。けうです。
kindle本「何者かになる」出版
今日、kindle本を出版しました。
タイトルは「何者かになる」です。
本の内容をみてもらったときに、普通は簡単なことから難しいことにいく形式だというんですが、私のは逆をいっているらしいです。
ちょっと初めに硬い内容などを盛り込んで、その後に身近な例や物語の例などを引用しています。
また本全体のカタチについても勉強しなくてはいけませんよね。
ラジオではきちんと伝えられなかったことを推敲しつつ、本にしました。
脳科学や心理学や社会学や、もちろん哲学の視点から「何者かになる」を考えています。
思春期に一度は私って何?という問いを、自我の芽生えという観点からするといいます。
それをいくつかの方面から見たという感じになっています。
そして、次の話もこれに刺激されて考えようとしています。
私は何者なのかと考えたときに、自閉スペクトラム、ASDやアスペルガーともいうんですが、その傾向があるんですよね。
それをいろいろな面から考えた本を次にだしたいな、という構想が浮かんできています。
こうやって性質を特定していくのも、何者かになるという意味合いで使えますよね。
そして、私にその呼び名が適応される。
すると、みんなは私をそのフィルターを通してみるようになる。
別にネガティブな面ではなく、人は一つのことをずっとは考えられない。
だから、言葉があると思うんです。
意味づけて使えるようにする。
ソクラテスは書き言葉をよしとしませんでしたが、こんな面のあるんですよね。
言葉を意味づけると言う暴力性です。
これは「何者かになる」でも取り上げている内容になってきます。
そして、人は言葉で意味づけるし、見たいものを見る。
人が見たい気になるものといったら、困っているものや病気だったり、自分の持つネガティブな面も多いのかな、と思います。
そして、それがなぜネガティブかといえば、その一面でしか捉えられていないから、ともとれます。
一つの言葉にたいして、いろんな解釈ができるということを今回の「何者か」では語っています。
本に即して語ってばっかりになっていますね。
何者かになると、所有することについて
今日読んだ「あぶない法哲学」からもちょうど「どこまでが私の所有物か」という章を読んでいました。
何者かという肩書は所有できるとも言えますよね。
私はこのように呼ばれるものをもっている。
そして、そうみられている、と。
私は本をまた出すことでkindle作家と見られるようになるかもしれないけれど、その肩書を気にしない間はそれが私の意識には上ってきていない。
けど、kindle作家がすごいと思っている人には、私がすごい人に思えるのかもしれない。
私は自分を何ももっていないと卑下してしまうことが多いんですけど、他の人から見れば、私がやってきたことを見てくれていてすごいと思ってくれるかもしれない。
そんな風にも思います。
私は所有していない。それは、記憶力がそんなにないから。
これもASD特性ともいえるんですよね。
重要なこと以外のワーキングメモリが働かない。
ワーキングメモリが弱い。
でも、成果物は残っていくと言う印象です。
現実に私たちは所有しているのが前提の世の中を生きていますよね。
だって、私は継続して私であると思っているから契約が出来ている。
権利が主張されるし、ローンが組めるし、肩書や免許がとれる。
哲学では、今の自分だけが自分なんだよ!といわれても、社会的にはそんな風には見られない、ということ。
自分の内面と、他者からみた自分の齟齬が拡大することもあるのかな、と思いました。
でも、本では自分は自分の所有物であるといわれつつも、私の身体は私が売ることを禁止しているという現実もあるんですよね。
私が私の命を売りますとなったら、それはそれで法にふれてしまうということ。
この場合は、個人の所有ではなく、人権的な決まりにのっとるということですね。
だから、法の中でも所有と言うのは曖昧な部分も含むということ。
それでも、私の性格としては所有をそこまで好まないみたいです。
すぐに忘れるから、ものが少ない方がちらからない。
何かに縛られるのを嫌ってしまう面もある。
だから、kindle本も仕上げたらすぐに出してしまいたくなるんです。
本当は何日か寝かせておいて、見直して、といったほうがクオリティが上がるのかもしれないですけど、ずっと同じ作品のことを考えていると、同じことがぐるぐる回ってしまう。
そして、私は他の面の思いつきもよくするんですよ。
なのでどんどん書き足してしまいたくなる。
でも、不思議なことに一度手放すと落ち着くんですよね。
そして、次に向かいたくなる傾向が私にはあります。
反対の面もきっとあるんでしょうけど。
今日は「何者かになる」という本の宣伝と、所有を考えてみました。
お付き合いいただいてありがとうございました。