形而上学(けいじじょうがく)は自然学よりも先立つ学問であると、アリストテレスは位置づけました。(哲学用語図鑑)
アリストテレス(紀元前384-322)はプラトンの主宰するアカデメイア(今の大学)に入学。
そこで、約20年学びます。
プラトンとの年の差は、40歳以上ありました。
しかし、
プラトン「ひどい!まるで仔馬が生みの母親を蹴飛ばして行ってしまうようだ。」
(ただし、アリストテレスはプラトンが死ぬまで学園にとどまったとされるので、逸話かもしれません)
アリストテレスから言われだした形而上学の内容を見るとともに、プラトンの哲学とどう違うのかを見ていきます。
アリストテレスの形而上学とは
形而上学とは、アリストテレスの講義録を編纂する過程で生まれた用語で、経験や感覚を超えたそもそもの原理や根源にさかのぼって考える学問です。
形而上学はもともと「メタフィジカ」と言われています。
「メタ」は「後」とか、そのものを「超える」という意味を持ちます。
「フィジカ」は「自然学」です。
では、自然学とは何かから見ていきましょう。
自然学とは
自然学とは、自然を合理的に探究しようとする学問で、今でいう物理学のイメージです。
万物の根源を神話で説明するのではなく、水や空気や原子や数で説明しました。
道具も使って、顕微鏡でその成分が見られればそれも分析していきます。
このように、人間の五官で実際に見たり聞いたりできる事柄を考えます。
では、この自然学の対比から形而上学をみていきます。
形而上学とは
対して形而上学は、それらを超えた事柄を考えます。
五官で観察できないものです。
ん?そもそも、イスってなんだ?(形而上学)
一般的に「形而上的な」という表現には「非科学的な」という意味がこめられることもあります。
しかし、アリストテレスがプラトンと仲たがいしたのは、プラトンの「イデア論」についていけなかったからなのではないかという説があります。 (哲学と宗教全史)
>>プラトンのイデア論についてはこちら
プラトンのイデア論は簡単に言えば、イデア界という世界があってそこにものごとの本質があるので、私たちが目にしているものは幻影にすぎないという考え方です。
では、2人の違いを詳しく見ていきましょう。
「アリストテレスの形而上学」と「プラトンのイデア論」との違い
アリストテレスの形而上学では、プラトンのイデアに異議を唱えました。
こちらのアテネの学堂の画像は、真ん中にいるのがプラトン(左)とアリストテレス(右)です。
アリストテレスは現実の世界を観察することによって、実在を求めていったのです。
プラトンは頭の中にあるイデアによって考えます。
アリストテレスは抽象的なイデアではなく、現実に即した考え方をしようとしたのです。
それでも、考え方がまるっきり違うわけではありません。
今では形而上学も非科学的と言われていると述べました。
アリストテレスは、日常の世界の現実に存在する個々のもののなかに、イデアのようなものが存在すると考えました。
整頓します。
アリストテレス⇨モノのイデア(本質)はそのものの中にある。
アリストテレスは、現実のモノはイデアの模造品ではなくて、そのものの個物の中に本質があると考えます。
プラトンとアリストテレスのあらゆる物や生物に対する違いです。
(ただしプラトンも場合によっては本質はそのものにあると説きます。 「メノン」ではイデアが感覚的事物とは別に、それ自体で存在すると疑われだしていました。)
プラトン哲学から離れた理由を推測する
イデア論の批判だけでは、アリストテレスがプラトンの死後にアカデメイアを去った理由が弱いと思われます。
なぜかというと、アリストテレスの考え方はプラトンのイデアを発展させたとも捉えられるからです。
他にも仲たがいの原因は当時の国際情勢やプラトンの大学の学頭にプラトンの甥が選ばれたこともあると言われています。
アリストテレスの形而上学-まとめ
アリストテレスの形而上学は自然の観察を超えて考える学問のことです。
経験や感覚を超え、そもそもの根源を問いました。
プラトンとアリストテレスは仲たがいしたと言われてします。
プラトンは手を天に向けて抽象的な物事を考る。
アリストテレスは手を下に向けて現実に即した物事を考えます。