「現代に生きる人間の倫理」
第1節「人間の尊厳」
4.カルヴァンとプロテスタンティズム
- カルヴァンと思想
- カルヴァンとプロテスタンティズム
参考文献 社会学用語図鑑、マックス・ウェーバー 近代と格闘した思想家 (野口雅弘著)、カルヴァン小論集 波木居齊二訳、宗教の現在地 (池上彰 佐藤優)
カルヴァンの思想
カルヴァン(1509-1564)は、福音を大事にし、さらに神の絶対性を主張しました。
神はどの人間を救うのかをはじめから決めている。
人間はその決定を変えることも知ることもできず、神による救済を信じるしかない(予定説)。
でも、その後の説明が違った!
ベルーフには、世俗の世界で生計を立てるための職業という意味と、「神から与えられた使命」という、いわば天職の意味の両方がある。
「マックス・ウェーバー」p78
ルターとカルヴァンの比較
ルターは聖書のみをよりどころとすべきだと説きました。
行動よりも信仰の心持を大事にするように主張。
しかし、ルターの話を聞いた民衆は、世俗の権力の平等を訴えるようになりました。
これによって農民戦争や革命運動が発生。
人々の行動を規制することが難しくなってきたのです。
そもそもお金がないと、教会側も生活ができない
- ルター⇒福音(心持ち)を重視(理想主義的)
- カルヴァン⇒福音(心持ち)+行動を重視(行動主義的)
カルヴァン「占星術への警告」
カルヴァンの予定説について言及している個所を、カルヴァンの「占星術への警告」から紹介します。
占星術に「地動説」も入っていた時代
我々は、大人も子供も、学者も無学者も、役に立たない事柄に時間をかけるためにこの世に生まれて来たのではなく、かえって我々の実行の目的は神を恐れることによって我々および他のひとびとを教化することでなければならないと考える。‐第一に、神を恐れることに専念し、その意志がなんであるかを知ることを学び、‐第二に、職務にまたは少なくとも正しいまた有益な事柄に心を傾倒するものはだれでも、天にも地にも近づかないで、雲のなかを飛び回って空中に身を置くような暇は持てないはずだからである。
「カルヴァン小論集」占星術への警告個所p177
カルヴァンとプロテスタンティズム
ルターやカルヴァンの宗教改革は、キリスト教に新しい立場をうみました。
プロテスタント(新教徒)です。
従来のキリスト教のカトリシズム(旧教)に対してのプロテスタンティズム(新教)です。
- カトリック(旧教、普遍的、全体的)
- プロテスタント(新教、福音を理念)
マックス₌ウェーバーのプロテスタンティズム
マックス=ウェーバー(1864-1920)は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を出版。
カルヴァニズムの職業倫理が近代ヨーロッパの資本主義を成立させたと論じました。
カルヴァンの予定説からくる禁欲的な精神状態とベルーフ(職業)観が土台になって、資本主義が発展したと説きます。
今は否定する説も多いけど、お金の価値転換を図ったカルヴァンの思想は無視できない
プロテスタンティズム
- 誰が天国に行くのか、神によってあらかじめ決定される
- 自分が選ばれた人間かわからないため、人々は恐怖する
- 不安を解消するために理論を考え出す。
「自分が天国に行ける人間なら、自分は神が望むことをしているはず!」 - ベルーフ(神から与えられた天職)観によって、ひたすら仕事に励む
- 労働の結果として、富が蓄積される
- プロテスタンティズムは贅沢を禁止!
なので、蓄積した富は、次の仕事の資金にまわされる - 資本主義の誕生
- 資本主義が成立してしまうと、労働本来の目的を忘れる。
富の蓄積が目的になり、プロテスタンティズムの精神と正反対になる
「ところが一生懸命に働かないといけないという倫理観に促されているので、働いてお金を稼いでしまう。
そのお金は神さまから貰ったものだから、神さまに返さないといけないけれど、神さまに直接返す方法がないから社会に貢献する」(宗教の現在地p78)
例えば、1553年セルベートの処刑(神学者セルベートはカルヴァンによって異端者とされ、火あぶりにされた)
オーウェルは「ヒトラーを嫌いになれなかった」と述べていた
プロテスタンティズムの心理的展開
野口雅弘著「マックス・ウェーバー」から、プロテスタンティズムはどのように説かれているか抜粋します。
「近代資本主義の精神の、いやそれのみでなく、近代文化の本質的構成要素の一つというべき、ベルーフ理念を土台とした合理的生活態度は‐キリスト教的禁欲の精神から生まれ出た」
(「マックス・ウェーバー」p80でのウェーバーの抜粋)
この禁欲的精神を、筆者はフロムの『自由からの逃走』から抜粋しています。
個人は疑いと無力さの感情を克服するために、活動しなければならない。
このような努力や活動は、内面的な強さや自信から生まれてくるものではない。
それは不安からの死にものぐるいの闘争である。
「自由からの闘争p99」「マックス・ウェーバーp82」
この不安が死にものぐるいの闘争になっていった
「文化的人間にとって、死に意味はない。詳しく述べると、「進歩」、つまり終わりのないものに組み込まれた、文明化された個別の人生は、その内在的な意味によるならば、終わりをもつことが許されないので、死は意味をもたない。」(マックス・ウェーバーp61 ウェーバー『仕事』からの抜粋)カルヴァニズムの世界には「キルケゴール的な意味での個人と倫理の分裂」がない。(同書p73)「ピューリタン(カルヴァン派の大きなグループ、清教徒)は仕事人間たろうとした。私たちは仕事人間にならざるをえない」(同書p86)
宗教改革をうけた自己改革運動
ルターやカルヴァンの宗教改革運動をうけて、ローマ‐カトリック教会でも自己改革の運動が起こりました。
例えば、スペインのイグナティウス=デ=ロヨラらはイエズス会を結成。
ロヨラ「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するならそれを信じよう」
という言葉が有名ですが、カトリック教会内部の汚職、不正などを激しく批判しました。
日本に来たフランシスコ=ザビエルもイエズス会の一員です。