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カルヴァンとプロテスタンティズム|高校倫理1章1節4

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第1章
「現代に生きる人間の倫理」
第1節「人間の尊厳」
4.カルヴァンとプロテスタンティズム
を扱っていきます。
カルヴァンはルターの思想を発展させて、宗教改革の運動をおしすすめました。
宗教改革⇒16世紀のヨーロッパで展開された一連のキリスト教改革運動
ルターの思想は、福音(罪からの救済の知らせ)を重視する考え方でした。
人間は存在自体が罪深いもの。
けれど、それをキリストがサービスによって救ってくれるように仕向けている。
だから、人間はその福音によることばに従うべき(サービスは喜んで受けるもの)、というのがルターの考えです。
ルターは福音を大事にしたから、教会の権威を否定して精神的平等を説いた
ここからカルヴァンは、ルターの思想をどのように発展させたのでしょうか。
ブログ構成
  • カルヴァンと思想
  • カルヴァンとプロテスタンティズム

参考文献 社会学用語図鑑マックス・ウェーバー 近代と格闘した思想家 (野口雅弘著)カルヴァン小論集 波木居齊二訳宗教の現在地 (池上彰 佐藤優)

カルヴァンの思想

カルヴァン(1509-1564)は、福音を大事にし、さらに神の絶対性を主張しました。

神はどの人間を救うのかをはじめから決めている。

人間はその決定を変えることも知ることもできず、神による救済を信じるしかない(予定説)。

カルヴァンもルターも人間の自由意志(自らの能力で救われる)を否定。
でも、その後の説明が違った!
カルヴァンは人間の自由意志を徹底的に批判しました。
人間は現世では何をしても、予定を変えられないのです。
そうなると、適当に生きようってならないのかな?
ここからが、カルヴァンの論理の発揮。
すべての職業は神から与えられた使命である。(ルターも説いた職業召命観
人間は各自の仕事にはげむべきであり、それによって得られた利益は神聖なものである。
つまり、救われる選ばれた人間であるかは、仕事によって得られた利益によってわかると考えられたのです。
つまり、お金持ちな人ほど神に救われている可能性が高いってみんな思った
その頃、お金稼ぎは卑しいものとして、新興の商工業者や自営業者は身分が低く見られていました。
しかし、カルヴァンの論理によって、お金をもっていることが特権的な意味として受け入れられたのです。
それまで卑しいものとされていた世俗の権力が上がりました。
「祈ること<働くこと」という価値観ができていった!
ちなみに、カルヴァンはルターが聖書でも使っていた「ベルーフ(職業)」を強調しました。
ベルーフには二つの意味があります。
ベルーフには、世俗の世界で生計を立てるための職業という意味と、「神から与えられた使命」という、いわば天職の意味の両方がある。
「マックス・ウェーバー」p78
つまり、カルヴァンは神聖なものと世俗のものとの接続を図ったのです。
多くの人々、スイスからフランス、オランダ、イギリスなどにカルヴァンの思想(カルヴァニズム)が広まっていきました。

ルターとカルヴァンの比較

ルターは聖書のみをよりどころとすべきだと説きました。

行動よりも信仰の心持を大事にするように主張。

しかし、ルターの話を聞いた民衆は、世俗の権力の平等を訴えるようになりました。

これによって農民戦争や革命運動が発生。

人々の行動を規制することが難しくなってきたのです。

ルターは世俗と神聖を分けていたけど、民衆にとってそれは一体化していた。
そもそもお金がないと、教会側も生活ができない
対してカルヴァンは、行動と心持ちを一致させました。
  • ルター⇒福音(心持ち)を重視(理想主義的)
  • カルヴァン⇒福音(心持ち)+行動を重視(行動主義的)
カルヴァンは現世での信仰による行動は、神からの救いを目に見える形で表してくれると説いたのです。
カルヴァンは規則に厳しかったよ

カルヴァン「占星術への警告」

カルヴァンの予定説について言及している個所を、カルヴァンの「占星術への警告」から紹介します。

昔の占星術は天文学と結びついてた。
占星術に「地動説」も入っていた時代
占星術によって干ばつや豊作が的中し、世の中は信仰よりも科学に興味が移っていました。
しかし、カルヴァンはそれを批判します。
ある哲学者は空を見て星に熱中し過ぎたので、穴に落ちてしまった。
そうならないために人々に現実離れせず、「われわれにもっとも近いものを考えることほど良いことはない」と述べました。
天災は予測できたとしても、実際の個々人の寿命を言い当てることはできないのです。
科学がどんなにすごくても、ある事件や天災が自分自身にどれだけ直接的な影響をおよぼすかはわからない
例えば、塩分取りすぎでも健康な人もいるし、個々のアレルギーがあったりするし、科学はどんな服装が良いかまでは教えてくれない
カルヴァンはこのわからなさ(不安)を強調します。
我々は、大人も子供も、学者も無学者も、役に立たない事柄に時間をかけるためにこの世に生まれて来たのではなく、かえって我々の実行の目的は神を恐れることによって我々および他のひとびとを教化することでなければならないと考える。
‐第一に、神を恐れることに専念し、その意志がなんであるかを知ることを学び、‐
第二に、職務にまたは少なくとも正しいまた有益な事柄に心を傾倒するものはだれでも、天にも地にも近づかないで、雲のなかを飛び回って空中に身を置くような暇は持てないはずだからである。
「カルヴァン小論集」占星術への警告個所p177
カルヴァンが行動に目を向けたことによって、かえって宗教性が薄れていく(世俗化)説が出てきます。

カルヴァンとプロテスタンティズム

ルターやカルヴァンの宗教改革は、キリスト教に新しい立場をうみました。

プロテスタント(新教徒)です。

従来のキリスト教のカトリシズム(旧教)に対してのプロテスタンティズム(新教)です。

  • カトリック(旧教、普遍的、全体的)
  • プロテスタント(新教、福音を理念)
カトリックとプロテスタントは大まかな分け方!
ちなみに、プロテスタントは抗議する人という意味もあります。
もともとの教会に対して、抗議書(プロテスタティオ)を送ったことから抗議者(プロテスタント)と呼ばれるようになりました。
このプロテスタントに対して、社会学から資本主義分析をしたのが、マックス=ウェーバーです。

マックス₌ウェーバーのプロテスタンティズム

マックス=ウェーバー(1864-1920)は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を出版。

カルヴァニズムの職業倫理が近代ヨーロッパの資本主義を成立させたと論じました。

カルヴァンの予定説からくる禁欲的な精神状態とベルーフ(職業)観が土台になって、資本主義が発展したと説きます。

説の根拠は、資本家にプロテスタントが多かった、というもの。
今は否定する説も多いけど、お金の価値転換を図ったカルヴァンの思想は無視できない
簡単に見てみます。(社会学用語図鑑 参照)

プロテスタンティズム

  1. 誰が天国に行くのか、神によってあらかじめ決定される
  2. 自分が選ばれた人間かわからないため、人々は恐怖する
  3. 不安を解消するために理論を考え出す。
    「自分が天国に行ける人間なら、自分は神が望むことをしているはず!」
  4. ベルーフ(神から与えられた天職)観によって、ひたすら仕事に励む
  5. 労働の結果として、富が蓄積される
  6. プロテスタンティズムは贅沢を禁止!
    なので、蓄積した富は、次の仕事の資金にまわされる
  7. 資本主義の誕生
  8. 資本主義が成立してしまうと、労働本来の目的を忘れる。
    富の蓄積が目的になり、プロテスタンティズムの精神と正反対になる
本来、カルヴァン派はお金が嫌い。
「ところが一生懸命に働かないといけないという倫理観に促されているので、働いてお金を稼いでしまう。
そのお金は神さまから貰ったものだから、神さまに返さないといけないけれど、神さまに直接返す方法がないから社会に貢献する」(宗教の現在地p78)
マックス=ウェーバーはプロテスタンティズムから発生した資本主義は、世俗化(宗教心が薄れていく)によって富の追究が目的化していったと述べました。
もともとの目的がなかった(予定は決まっている)から、富の追究が目的化しやすかった
また、カルヴァンの選ばれた人が救われるという論理でいえば、旧約聖書の選民思想もたどることができます。
カルヴァンとヒトラーを結びつける思想もあるよね。
例えば、1553年セルベートの処刑(神学者セルベートはカルヴァンによって異端者とされ、火あぶりにされた)
オーウェル評論のヒトラー批判も思い出される。
オーウェルは「ヒトラーを嫌いになれなかった」と述べていた
マックス=ウェーバーの心理的論理展開を、「マックス・ウェーバー」から見てみます。

プロテスタンティズムの心理的展開

野口雅弘著「マックス・ウェーバー」から、プロテスタンティズムはどのように説かれているか抜粋します。

「近代資本主義の精神の、いやそれのみでなく、近代文化の本質的構成要素の一つというべき、ベルーフ理念を土台とした合理的生活態度は‐キリスト教的禁欲の精神から生まれ出た
(「マックス・ウェーバー」p80でのウェーバーの抜粋)

この禁欲的精神を、筆者はフロムの『自由からの逃走』から抜粋しています。

個人は疑いと無力さの感情を克服するために、活動しなければならない。

このような努力や活動は、内面的な強さや自信から生まれてくるものではない。

それは不安からの死にものぐるいの闘争である。
「自由からの闘争p99」「マックス・ウェーバーp82」

救われているかわからない不安。
この不安が死にものぐるいの闘争になっていった
ウェーバーはこの禁欲的精神から生まれた資本主義に対して起こりうる問題も、述べています。
「文化的人間にとって、死に意味はない。詳しく述べると、「進歩」、つまり終わりのないものに組み込まれた、文明化された個別の人生は、その内在的な意味によるならば、終わりをもつことが許されないので、死は意味をもたない。」(マックス・ウェーバーp61 ウェーバー『仕事』からの抜粋)
カルヴァニズムの世界には「キルケゴール的な意味での個人と倫理の分裂」がない。(同書p73)
「ピューリタン(カルヴァン派の大きなグループ、清教徒)は仕事人間たろうとした。私たちは仕事人間にならざるをえない」(同書p86)
みんなが内面的孤独化(心はあるけど、それは重視されない)していく
歴史観で行くと、行動が重視された後は人文知がくるのかも

宗教改革をうけた自己改革運動

ルターやカルヴァンの宗教改革運動をうけて、ローマ‐カトリック教会でも自己改革の運動が起こりました。

例えば、スペインのイグナティウス=デ=ロヨラらはイエズス会を結成。

ロヨラ「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するならそれを信じよう」

という言葉が有名ですが、カトリック教会内部の汚職、不正などを激しく批判しました。

日本に来たフランシスコ=ザビエルもイエズス会の一員です。

日本に布教活動に来たフランシスコ=ザビエルは有名だね
今回はカルヴァンとプロテスタンティズムをやりました。
次回は、モンテーニュについて扱います。
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