あぶない法哲学から
おはようございます。けうです。
近いうちにまたkindle本を出します。
今はとりあえずの完成で、そこから推敲しています。
私は文章を見直したときに修正することが多く、どうしてこれをここで言っているんだろうと思うことがあります。
こんなとき、私の頭の中はどうなっていたんだろうか?と自分で自分がわからなくなるんですよね。
文字数もどんどん増えていく結果に。
今回は身近に即しているので、物語もたくさん引用しています。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです。
人権とは
では、今日はあぶない法哲学から人権について考えてみたいと思います。
筆者は人権とは、という概念に対して漫画を引用してわかりやすく述べてくれます。
寄生生物が人に対して言います。
「おまえに生きる権利があるというなら、寄生生物にもその権利がある
もっとも『権利』なんていう発想自体、人間特有のものだろうがね」
このように語ります。
権利というのは、人間に特有のものであり、他の生物には今のところ適応されていない、と。
ウサギ裁判
それでも、最近では人新世と言われていて地球の権利を守らなければいけないという視点があります。
例えば、例ではウサギが訴えたという話をしていました。
ほんとにウサギが訴えたわけではないのですが、開発をとめなければそこにいる動物たちが虐げられてしまうというもの。
裁判の結果は負けたらしいのですが、今後は人間の利益だけに基づいて決めていいのだろうか?という問いを残したということで有意義な裁判だったと述べられています。
人権の意味の変化
歴史的に見ても、人権というのは恣意的に決められてきたと語られています。
例えば、初めに人権がでてきたときには女性や奴隷階級の人々にはその権利が与えられなかった。
その権利について話し合われることで、ようやく人権が多くの人に適応されるようになったと話されていました。
道徳的権利と法的権利
そして、権利について道徳的権利と法的権利があるという言葉も。
道徳的というのは、道徳的地位を認めるとか、平等の配慮をするとか、固有の価値をもった存在として尊重しようというのが道徳的権利。
そして、それに一つずつ呼応して適応されるのが法的権利と述べていました。
1人の自由を主張するときに、それに呼応した他人の自由の制限があるので、それが法的に正しいのか話し合わなければいけないという解釈です。
自由を主張することは、他人の一つの「無権利」を主張することになる。
そして、権利を考える時はほぼ人を基準に考えているのだと言うこともこの仕組みからわかります。
しかし、この権利というのは人にだけあてはまるのか、という問いがあるということ。
権利を人以外にも適応させるということ
そして、人権の定義が変わっていくと言うことは、人間にとってだけ良いことではないと筆者は語ります。
今の世の中は、地球を顧みていなかったために地球を存続させなければいけないという話し合いになっています。
これは人権ではないけれど、地球の権利で、しかも、めぐりめぐっては地球を今のうちに救っておかなければ、人類が滅亡するかもしれないという話があります。
宇宙人の権利
そうなった場合、私たちの人権はどうかわっていくのだろうか。
筆者は一つのストーリーを提示します。
地球に宇宙人が攻めてきた。
その宇宙人は地球の環境がひどすぎて、こちらに被害が及んでいる。
その被害をなくすために人類を滅亡させたいのだが、どうだろうか、と。
人間はもちろん反対しますが、宇宙人には人権というものがありません。
だから、人間の権利が適応されない。
しかも、地球より大きい宇宙の権利を訴えている場合がある。
そうなると、これもめぐりめぐって宇宙が死に絶えるのならば人類も死に絶えるという循環がおこる。
もちろん宇宙人も死んでしまうから、今の地球環境をどうにかしなければいけないという議論になってくる。
そのとき宇宙人が、地球を存続させるために人類を間引きしてくれという案をだしたとする。
もし、それが法律に組み込まれたとすると、人権という権利が人だけのものではなくなって、広い範囲に適応されるようになる。
そうなると、一番に守られなければいけないのは人権だという基本的なものまでを考えなければいけなくなってくるという発想になります。
今の人新生からすれば、地球のことは考えなければいけないというのは倫理から来ています。
めぐりめぐっては人類のことを考えることになるのだから、と。
人権に世代を超えた声なき人権が入ってくると言う発想です。
人権とは-まとめ
時代と共に問題も増えてきて、権利で守らなければいけない対象も増えてくる。
そうなったときに、今の法も変わっていくのだろうなと思いました。
もし文章が変わっていなかったとしても、人権に女性や弱者が盛り込まれて解釈されるように、意味解釈は変わっていくのだろうと思います。
では、今日もお聞きいただいてありがとうございました。